異世界に行くかのように。
7月最終日。今日も今日とて記事を書いている。
ここまでなんとか2週間ほど毎日更新を続けているわけだけど。
書いていて、やはりまだモヤモヤが抜けない。
ずっと、そんなふうに感じていた。
そもそも自分は、書くよりも、読むことをおこなってきた。
小学生の時にも中学生の時にも、昼休みにも放課後にも、毎日のように図書館に通っていたし、高校生の時には流石に頻度は減ったけれど、それでも時間を作ってじっくり本と向き合う時間を作っていた。
あたらしい世界が好きだったんだ。
自分が触れたことも、いったこともないようなあたらしい世界に触れることができるから。
それは、フィクションだろうが、ノンフィクションだろうが同じで、自分以外の人の貴重で面白い経験というのに全力で興味を注いでいた。
今振り返ってみれば、物語に自分を重ねたかったのかもしれない。
ここ5年くらいでアニメや漫画、では異世界転生系ものが数えきれないくらい出てきている。あなたはいくつ思い出せるだろうか?
前々から思っていたのだけど、このトレンドも明らかに人々が非日常を楽しみたい、あるいは、自分の現実とは違う違った人生を追体験したいという思いが強くなってきている証拠なのだと思う。
あるいは自分の叶いきらなかった夢や思いを文章に乗せて書いてみたりする人が増えたこと。
今までは自伝なんて偉い人が書くものだという風潮がどこかあったけど、個人の力が強まった現代ではそんなの関係ないってわけ。
だから、書く人がいるだけ異世界系の創作物は増えていくだろうし、僕はそれでいいと思っている。
現実世界の技術革新に拍車がかかっていることも理由の一つだろう。
3Dプリンタとか、グラフィックツールとかの開発で、なんやかんやできることは増えてきて、現実からアニメだけではなくアニメから現実に逆輸入されてきたことも増えた。
実は二次元と三次元の境界は少しずつ薄くなっているんだ。
毎日こうやって記事を書いてみて思ったことは、自分の心がまさに二次元にあるんじゃないかということ。
だって、それくらい未知で面白く、無限に可能性を秘めているんだから。
二次元の異世界世界では何をどうやろうが自由で、人それぞれ何らかの特殊能力を持っている。(ある人は、「何もない」という能力を持っている)
たいていうまくいかないことばっかりが発生するけれど、それすら人生の糧にできる。
アニメにしかないようなちょうど定番な考えも、あながち現実に当てはめてもおかしくないんじゃないかと思うのだ。
フリーランスという働き方は、まさに異世界への挑戦状ともいうことができる。ようこそ!異世界へ。
僕達は、何者でもなくて、何者であってもいい。
死にそうなくらい働いているのなら、思い切って異世界に来てみるのも手なのではないかい?って思う。
少なくとも、僕はそうしてきた。
現実世界で頑張って生きて、自分らしくありのままに〜なんていって自分を出していたら、集団圧力にボッコボッコにされて、泣く泣く社会のレールからは転がり落ちて、異世界という今まで見たことのない世界に迷い込んだ。
最初は訳もわからずもがきまくって生きてきたけれど、年月を経るごとになんとなく生きられるようになってきて、小さな幸せをコツコツと積み重ねている。まだまだ課題は多いけど。
異世界でも、一人じゃない。
自分の生き方は自分で決めようぜってところで、今日は終わろうと思います。
皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。