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ロマンスを取り戻せ、もういちど。許せない日々を忘れられなくても

ココにはないどこかへ行こう、そんなロマンチックな歌詞が好きだった。なんていう曲だったか、おぼろげで自信がない。あるかもしれないね、ないならつくってしまおう。空想の地図を広げれば、新しい世界を描き足してくれる人が好きなのだ。そして、わたしもペンを握って一緒に描ける人になりたかった。

東京で暮らしはじめてもうすぐ7年が経とうとしている。真っ白の23区に、椎名林檎が歌った新宿、異世界に繋がる渋谷、クリープハイプみたいな下北沢。偏見も感動もひっくるめて、塗って塗られて、かなりよい色が出てきたと思うのですよ。だからあえて、もういちど、ロマンスを取り戻そうと、掲げてみます。

既視感のある暮らしに、退屈よりむしろ心地よさを感じるのは、悪くないなとも思う。とはいえ、どうしても新鮮な感動とは相容れない。誰かを心ときめかせたり、一匙のロマンスをカップにこっそり溶かしてみたい。あってもなくても死なないけれど、手に取るともう戻れないものを探したい。砂糖菓子の弾丸で撃ち抜きたい。光の粒子を額装してみたい。雲みたいな空想を綿菓子にしてなめてみたい。撒いた種が芽生えるように、あたためた卵が孵化するように、覚醒めを思い出したい。

先日、新年の誓いをnoteに投げ込んでああ、名前のつけようのないものを、たくさん抱えてしまったなと気づいた。

個人的な痛みというのは誰にでもあって、避けて生きるのはノーコンティニューな難しさだと分かってはいるのです。名前をつけづらい感情が増えてきて、それらは行き場のないガラクタみたいに私に溢れてきた。見ちゃだめだ、と避けるのも難しくなってきた。コンティニューだ。

年末の歌番組をボケーッと見ていたら印象深い言葉が飛び込んできた。新しい1年に持っていかねばと思わされた。「許されながら生きてきた」

(中略)今の自分は誰かに生かされてきたということでした。
自分の身の回りにいる人間いや、遠くで自分に影響を与えてくださったたくさんの方々、そのすべてにちょっとずつちょっとずつ許されながら、「おまえはここで生きていてもいいんだ」と。そういうふうに許されながら生きてきたのが今の自分だと思っていて、そういうことを考えていました。

米津玄師さんが嵐に提供した楽曲へのコメントだ。いろんな痛みを見てみぬふりをしながら、あるいは上手く飲み込みながら、生き残った気でいた。許されてここまで生きてきた。そうか、そうだったのかぁ。きっと、痛みとともに許してくれた人もいただろうな。

私も誰かを許せているだろうか。認めたくなけど、許せないの感情比重が重い。いつかは許せるのだろうか。きっといつか、許せる日に思い出せる痛みでありますように。

コンティニュー、もういちど。ロマンスを取り戻そう

そろそろ地図を広げてもいいでしょう

コンティニュー、もういちど。忘れなくてもいい痛み

いつか許せる時にまた、思い出せますように


深夜の高速道路みたいたなハイテンションで新年note初め、お粗末様でした。

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