嫁感が足りない
今朝がた、Twitterでこんな話をした。
昨今話題になっている「嫁グラフィー」なるものについての言及である。
もちろん、お互いが納得の上で「写真を撮って撮られてそれをネット上に公開すること」それ自体は他人が口を出すようなことでもない。そして、ここnoteに限らずTwitterやインスタグラムなどネット上で公開するからには写真の腕にも自信があるのだろうし、当然私など比較対象に出すのもはばかれるほどなのではあるが、私はこう思ってしまうのです。
個人的には「嫁グラフィー」と名付けるからには「嫁感」が欲しくなってしまうのです。ここが難しいところで「嫁を撮った写真ならそれらはすべて嫁グラフィーだ」という主張もわかります。しかし、その「嫁」とはあなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか?
「嫁」と「職業モデル」を見分けることが、撮られた写真から可能でしょうか?「嫁グラフィー」と呼ぶなというのではない、ハッシュタグを使うな、でもない。しかし、そう呼ぶからにはあなたの嫁を、「ならでは」を、「でなければ」という写真を撮り続けていただきたい。もちろん「そうせねばならない」理由などはありません。
noteでもたびたび見られる「関係ないハッシュタグをつけて人目に触れる機会を増やす」話につなげるのはやめておきます(笑)
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