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note Advent Calendar 2018.12.23 クリスマスによせて

 「クリスマスは嫌いだ」と言えるほどの思い出が、私にはない。それは子供のころから家で「クリスマス」なるものを口実にケーキを食べたり、あるいはプレゼントを交換しあったりする機会がなかったためだろうと思う。周りの同級生と比べて特に実家が貧乏だと感じたことは無かったが、もしかしたらそうだったのかもしれないし、両親になにか宗教や思想上の深い考えがあったのかもしれない。いまさら確かめる気もないし、あったところで聞いても意味などないと考えている。

 ある程度成長してからはクリスマスを祝うと称した集まりに誘われるようにもなって、参加してみればそれなりには楽しかったのだけれど、元来の性格もあってか自分のほうから企画、主催してクリスマスにイベントを開催するほどには興味を持たずにきた。

 季節柄、街に出れば電飾その他飾りつけをしたツリー(何故か「木」と表現することをためらってしまう)やサンタクロース風のコスプレじみた衣装、クリスマスセールやらそういったものは嫌でも目に付くが、逆に言えばとりたてて目の敵にして「今年こそ中止にしろ」と思うようなこともない。

 現代の日本ではクリスマス、特にイブの夜といえば恋人同士で過ごすイベント的な日だったり、家族や仲間で集まって本来の主役そっちのけでパーティーをしてフライドチキンとケーキを食べ、プレゼントを贈り合う日となっている。

 起源をたどれば「Xmas(Xとmの間にアポストロフィを入れる表記は誤り)」とは「キリストのミサ」を意味し、当時のキリスト教の指導者たちがキリスト教普及のために、古代ローマで冬至の日に行われていた太陽神の祭を「キリストの誕生日でもあるから祝おう」と利用したらしい(諸説あり)。そして、クリスマスイブのイブとは「イブニング」であって、これは当時、一日の始まりが日没であったことに由来する「クリスマス当日である夜」のことである。日本で考えられているような「前日(の夜)」というような意味ではない。イブイブってナニ。

 中には最近の日本で行われているような「クリスマス」が、そういった本来の意図とはかけ離れたイベントと化している風潮を否定したり反感を持つ人々もいるようだが、私は人々が楽しめるのならばそれでもいいのではないかと思う。

 そう思わない、思えない人は参加しなければいいと言えるほど、無視できるような規模ではとっくになくなってしまっているか。しかし、それも25日を過ぎるまでのことだ。「今年のクリスマス」などは年末年始の慌ただしさに埋もれ、すぐに過ぎ去ってしまうことだろう。そしていつか、明日か来年か、数年後か十年後かに、懐かしさとともに思い出すようになる。出来ればそれが、みなさんにとって良き思い出であることを願う。

 ではそろそろ、今年も行ってきます。

Merry Christmas!

 

 以前の投稿。残業つらいです。みんなの笑顔のためとはいえ。


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