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『接続詞』でありたい ~人生でどうありたいですか?


『接続詞』でありたい!!
と思うようになりました。


あなたは、
自分の人生で何に“なりたい”ですか?

あなたは、
自分の人生でどう“ありたい”ですか?



僕は、

“なにか”にならないと、
自分の人生に
価値を見出せないと感じていました。

“なに”にもなれない、
平凡でつまらない人生で終わりたくない。


でも、
“なに”にもなれず苦しんできました。



その苦しみから救ってくれたのが
“哲学”や“心理学”です。

頭のいい人の“考え”や“知識”のおかげで、
“なに”にもなれない自分でも
生きやすくはなりました。


どうして生きやすくなったのか?
を振り返ってみますと、

頭のいい人の“考え”や“知識”自体のおかげ
というよりも、
その“考え”や“知識”を材料にして
“自分で考えた”から
だと思っています。

僕は、
どんなりっぱな“知識”でも、
“自分で考える”ことをしないと、
自分の力にはならないと実感しています。

と同時に
“自分で考える”には、
りっぱな“知識”という材料も必要です。



そこで、

僕は、
“知識”と“自分で考える”
の間をつなぐ存在として生きてみたい
と思ったのです。


僕の知識は“にわか”です。

専門家ではありません。

けれど、
専門家ではないからこそ
できることがあると思っています。

専門家は間違ってはいけません。

けれど、
素人の僕は、
無責任に好き勝手な解釈ができます。

専門家の言っている“知識”を
好き勝手に解釈して、

日常の些細な問題から、
人生の苦しみにまで、

いろいろ好き勝手に
つなげてしまえるのです。

「それは」、「そして」、、、など、
好き勝手に接続できるのは素人の強みです。



さらに、

普段思っていることや、
考えていること、
常識や当たり前だと思っていることに、

~は
 「つまり」○○では?

~と言うけれど、
 「しかし」○○と言えるのでは?

~である。
 「そして」○○になる。

~だとして、
 「ところで」○○だったら?

~は、
 「しかも」○○である。

なんて、
にわか“知識”も使いつつ、

誰かの考えるきっかけになれたらいいな
と思うのです。


~と○○の間の『接続詞』になりたいのです。




考えることは力になります。

僕は答えを与えることはできません。

けれど、
考えるきっかけになることは
できるかもしれません。


これが、
僕の『接続詞』でありたいという願いです。

伝わるでしょうか?

皆様は、どういう存在でありたいですか?



最後まで、読んでいただきありがとうございました。

皆様の考えるきっかけになれば幸いです。


『生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちになにを期待しているのかが問題なのだ』
(引用:『夜と霧 新版』ヴィクトール・E・フランクル著 池田佳代訳 みすず書房

僕たちは、普段、
人生で“なに”になりたいかを考えます。
人生に「“なに”なれるか?」を問います。

でも、ほんとうに問われているのは、人生で“どうありたいか”です。

似ているようで違います。

僕たちは、
「“なに”になれるか?」を人生に問うのではなく、
人生に「“どうありたいか?”」を問われているのです。


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