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父と向き合おうと思う。


母親との関係性は
強烈に自分を苦しめてきた。
今もそれはなくならない。
でも、
その苦しみに向き合うことを僕は始めた。

今では、
母親の影から
少しずつ逃れられるようになってきたと思う。
それは
徐々に自分を認められるように
なってきたことを意味していた。

僕は子どもの頃、
母に
自分の愛し方を教わることが
できなかったけれど、
多くの人の助けで、
今さらながら
自分を愛して受け入れるすべを
学び始めることができた。

思えば
これまで母親の影と戦う人生であった。

しかし、
母親の影に隠れていた
大事な戦いがもう一つ残っていたのだ。

父親との戦い、、、

父親の影は、
母親と比べると圧倒的に薄い。
だから、
無視してしまえばよく、
戦う必要なんて、
向き合う必要なんて、
みじんも感じてこなかった。

でも、
それは間違いだったのだと思う。

社会の中で生きていくために、
社会の荒波を乗りこなすために、
父を越えるという作業が必要なのだ。

それなのに、
僕には
乗り越えるべき存在としての父はいなかった。

無に等しかった。

フロイト的に言えば、
父による去勢と、
父殺しを経験して、
はじめて大人として生きていける。

その経験が僕にはなかったのだ。

僕は
母親の機能不全を
どうにかこうにか乗り越えてきた。
克服してきた。
本来、母的存在から与えられる
生きるうえでの大前提としての
「自分は存在してもいいんだ」
というこころを
僕は遅ればせながら育てつつある。

今度は、
父親の機能不全と
向き合うときがきたのだと思う。

本来、
父的存在から与えられるべき
「社会をいきるための力」
を今さらながらだけれども
育て上げていかないといけない。

そのために、
母親の影と向き合ったように、
子どもの頃からの
父との関係も振り返ってみようと思う。

この作業は、自分にとっては、
母親のとき以上に黒歴史的になると思う。
正直、あまり見たくない過去だ。

でも、
過去から逃げることはできない。

この作業が
ほんとう必要なのかはまだ分からい。
けれど、
先に進むためにも向き合ってみたいと思う。

本題はその先にあるのだけれども、
まずは父と向き合ってみようと思う。


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