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自分らしく生きるために  ~思いやりと信頼~



「自分らしく生きていたい」

多くの人がそう思っているはずです。

僕もそうです。


人の目、
世間の目、
他人の意見、
世の中の常識、

自分の意見や行動が、
それらによって制限されたり、
躊躇してしまったり、、、

なかなか
自分らしく生られず苦しみます。


だから、
 “他人”の意見に縛られず、
 “世間”を気にし過ぎないようにして、

 自分の幸せを想い、
 自分らしく生きよう。。。



他人は自分らしさの敵?

さて、
“他人”の意見とか、
“世間”の目とか、
それらがまるで、
『自分らしさ』の“敵”や“邪魔”のように
感じてはいないでしょうか?


しかし、
よく考えてみたら、
仲間や友人が、
『自分らしさ』を“邪魔”するとは思えません。
むしろ、応援してくれると思います。


ところが、
“他人”が大文字化したとたん、
『自分らしさ』を抑圧する力になります。

ここになにかヒントがありそうです。



人は”思いやり”の生きもの

なんの肩書もなく、役割も持たず、
個人と個人とが関わり合うと、
お互いに『自分らしさ』を認めあえます。

しかし、
“会社”とか、
“親”とか、
“常識”とか、
何かを背負うと、とたんに
『自分らしさ』が
『我がまま』に見えてしまうのでは?


アメリカの著作家のレベッカ・ソルニットが
「災害ユートピア」
という考えを提唱しています。

災害の下では、
社長とか、部長とか、
そんな役職は意味がなくなります。
社長さんから小学生の子どもまで、
みんな、一個人でしかなくなります。

災害の下では、
役職や肩書に関係なく
みんな思いやりをもって助けあう
 「ユートピア」
が出来上がります。


人間は本来、
思いやりのある
温かいこころをもった生きものなのです。



信頼すれば『自分らしく』なれる

しかし、
肩書や役割から成り立つ“文明社会”のせいで、
他人を『我がまま』に感じ、
人を信頼できなくなります。


『自分らしく』生きられないのは、
他人の意見や、世間の目があるから
ではなく、
他人や世間を
信頼できないと思い込んでいるからです。

他人や世間を
信頼していないからです。


もし、
他人を信頼していれば、
堂々と『自分らしく』生きられるはずです。



自分らしく生きる戦略

でも、
日々のニュースは
人を信頼するなと
ひっきりなしに伝えてきます。

ほんの一握りの犯罪や
詐欺や
不注意を
あたかも世の中はそういう事案で
溢れかえっているような印象を抱かせます。

でも、
そこで必要なのは、
ある程度のリテラシーであって、
“不信感”ではありません。

人の本来持っている
“思いやり”を信頼したほうが、
『自分らしさ』を抑圧せず生きられるのです。


そこで心配になるのが、
信頼したら騙されやすくなるのでは?
という疑問です。

でも、そうはならないようです。

遺伝子的にも
(※リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」参照
社会的にも
(※山岸俊男「信頼の構造」参照
基本、信頼したほうが有利になります。

もし騙されたらやり返す
 「基本信頼して、やられたらやり返す」
戦略が有効のようです。

どちらもアクセルロッドの囚人ジレンマシミュレーションを参考にしている


あなたを信頼します

 『自分らしく』生きるなら、
 他人や世間と戦うのではなく、
 思いやりをもって
 人をもっと信頼するのがいいです。

だから、
僕も皆様を信頼します。
あなたを信頼しています。


ただし、やられたらやり返しますよ。。。



お付き合いいただきありがとうございます。



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