見出し画像

私と「食」の関わり方

生きている限り、避けることのできない、食べること。

その食べ方は、人それぞれ。
自由に。楽しく。健やかにあればいいと思う。

でも、そう考えるのに至るまで、いろいろな人に出会ったり、いろいろな体験をしてきた。

ここではその個人的な体験から考える、様々な「食」の在り方と、わたしなりの「食」との付き合い方を書きながらまとめてみた。

小さい頃は都心に住む核家族として、それなりに外食や冷凍食品、デパ地下のお惣菜の助けも借りながら育ち、

のちに渡ったアメリカでの国籍の違う友人との共同生活、コミュニティキッチン(食事を無料で提供するサービス)でのボランティア、

オーストラリアでのWWOOF(オーガニックで野菜を栽培したり家畜と共に暮らす家庭にて、住み込みのお手伝い)では、育てている鶏を自分たちでさばいて頂いたり、

タイの僧院プラムビレッジや、ヴィパッサナー瞑想センターで3食を提供していただく滞在、

日本で伝統的な食を大切にするコミュニティでの保存食や調味料を作る暮らし、そこでのスタッフ10人以上で食べる日々のまかない作り、自家栽培の調味料や野菜で作る玄米菜食のカフェでの調理、動物性食材を使わないビーガンスイーツ作り、

ローフードの聖地、バリ島ウブドでカフェと学校を営むSayuriさんのリトリート、

姉の産後の養生ご飯をマクロビオティックをベースに作り、

自転車でUber Eatsの宅配員をしてひたすらマックと牛丼をお届けし、

日本の農家さんでのアルバイトを経て、

また東京での暮らしに戻ってきた今、

世の中にはいろんな「食」があるよなあって思うようになった。

(日々の食のことは、自分のインスタのストーリーなどでシェアしてます〜。
▶︎▶︎@jj_downunder)

食養としての食。医食同源。不調や病を治す方法、心身を整える方法として食をみること。身体を温め、消化吸収、排出、排毒を促す食事。腹八分目。断食。ハーブや薬草、薬膳。

伝統文化としての食。大量生産に押されつつある、職人の技術や伝統製法を継承しようという食べ方。お醤油の木樽熟成やわら納豆、自然発酵のチーズ、日本酒、昔ながらの梅干しなど。大掛かりで面倒だからか、なかなかやらなくなってきている餅つきや、季節ごとの行事に合わせて作る料理。

家庭料理の文化としての食。おばあちゃんの味、や、それぞれの家庭で、ずっと受け継いでいきたいような味付けや食べ方。ふるさとの味。

嗜好品としての食。好きなものを食べてホッとする時間。ケーキやワインでホッとゆるむこと。ストレスが増えると、比例してこの息抜きが必要になる頻度や、欲の強さが増す気がするな〜。あとはこの楽しみを共有する相手が近くにいたりするとね。

グルメや流行としての食。未知なる味への探究心。Netlixにあるトップシェフ達の世界もそうだし、いわゆる「B級グルメ」と呼ばれる変わった組み合わせの食べ物や、次々出てくるラーメン屋さん、タピオカ、グルメバーガー、凝ったかき氷などもそうかな。

社交の場、コミュニティを育む場としての食。居酒屋やバーで隣になった人と話すことの偶然性から生まれるアイディア、ビジネス、ご縁。同じ釜の飯を食うこと、食卓を共にすることで生まれる絆、一体感。

環境問題へのアプローチとしての食。農薬、化学肥料、単一栽培、畜産、高フードマイレージ、遺伝子組み換え食品の与える環境(と動物、人間)への影響を訴えて、地球の機能を邪魔しない食べ方を提案する食。田舎暮らしとはきってもきれない、猪や鹿肉も。

アニマルライツへのアプローチとしての食。食肉として育てられる動物への扱い方を、より公正なものへと変えていこうという動き。

精神性を重要視する食。お寺の精進料理、五葷抜き、あるいは「不食」(食べ物を食べずに、プラーナという、空気中の生命エネルギーを摂取する生き方。)やローフードなど。食を「波動」として見て、より精神性を高める食べ方。

サバイバルの食。昆虫食など。世界的には人口増加の今、昆虫を豊富なタンパク源としてみて、昆虫を美味しく食べられる方法を探求する。きのこや野草の食べ方も知っておくといざというときに安心。

主婦・主夫の知恵としての食。「時短」や「作り置き」、「節約レシピ」など。家事や子育て、共働きの時代に、いかに時間やコストをかけずにバランスの良い食事を作るかを探求した知恵。あとは家族のそれぞれの好み、食べる量、お弁当にした時に(冷えても)おいしいかも考慮したり。いや〜すごい。

宗教の信条を反映した食。牛は神聖だから食べない、「豚」は不浄だから食べない、という考え方など。

農家の食。食べ物を生産している立場上、「規格外」としてたくさんの余剰がでるからこそ生まれる食べ方のアイディア。

もったいない料理としての食。農家やスーパーで廃棄になる食材や、持ち寄られた食材、冷蔵庫に余った、それだけではどうにもならない量の食材を、をどうやって美味しく食べるか?を探求して生まれる新しい組み合わせ。私が個人的にとっても尊敬する、中島シネマさんの得意分野。これを題材にした映画「もったいないキッチン」も現在上映中!

ビジネスとしての食。
命を支える食、というよりは、経済のための、お金を生み出すためだけに作られる商品。コマーシャルや雑誌、テレビ、様々な手法を使って「これを食べると痩せるよ!」「健康にいいよ!」「長生きするよ!」「あなた、これ足りてないんじゃない?」とかってアピールしてくる。経験上、やけにアピールしてくるものはたいてい信用できなくて笑、本当に体にいいものは、細々と、アピールをするよりもただ淡々と、真摯につくられているように思う。

社会的弱者のための食。
これだけフードロスがあって、食べ物は飽和状態なのに、一定の人たちには日々食べるものが不足するという事態が起きている。そんな人たちへ食べ物を届けるのが子ども食堂、炊き出し、コミュニティキッチンなどの活動。私はオーストラリアで、大手スーパーを回って廃棄になる食材を集めて、200人分の食事&デザートを作る活動をお手伝いしてた。貧しい人だけでなく、一人で暮らすご老人や、子供とシングルマザーが一緒に来たりして同じテーブルを囲み、ご近所さんと仲良くなってコミュニティ精神を育む場にもなってる。

とまあ、私の限られた経験の中から今、ざっと考えてみただけでも、
これだけ多様な「食べ方」「料理の仕方」が思いつく。

例えば私は、普段は「食養」、「伝統文化」、「環境問題」「もったいない料理」あたりを多少なりとも意識して作って食べているけど、

こないだ少しハードなお仕事をしていた間は、
それに「時短」「作り置き」「節約」の要素が加わって、
15分で作れること、ひと鍋に多くの野菜を入れることが重要になって、
色んな食材を一緒くたに煮ることで新しい料理が生まれたり、
簡単な麺食が多くなって、時として「食養」の要素は薄まったり。

時間や体力に制限が出てくることで、今までとは違う料理の仕方に出会う。

前職の半自給自足コミュニティ、ブラウンズフィールドにいた時は畑があったので、大根が豊作だと大根だけでどれだけ飽きずにおかずが作れるか?に頭をひねらせ、時としては大根だけで6種類のおかずが食卓に並んだり。
春はその辺で採れる野草や筍料理ばっかり食べてたけど(タダで手に入る食材!)、東京に来た途端、それらは高級食材となったり。

(ちなみにブラウンズフィールドの季節を感じる豊かな食卓の様子はインスタグラム@bf_makanai(不定期更新)でも見られます〜。毎日3食veganでも全く飽きない、アイディア満載な食卓!)

田舎にいるとチェーン店が多く、行きたいお店があまりなかったりするから必然的に外食は減るけど、都会ではふらっと入りたくなる個性的で魅力的なお店がある。あるいはカウンターバーでの店員さんとの会話から、新しいワインに出会う感動。薄暗い照明やBGM、周りのお客さんのざわざわとした話し声がある場だからこそ、話しやすい会話もある。

都会ならではの、家が狭かったり、実家暮らしだったりするがゆえ、人と会うにも素敵なお店を利用したくなって、外食の楽しみが増える。

だから、一つの考え方だけで「食」を捉えることなく、
自分の置かれた状況、その場にあるもの、食べる人のニーズに合わせて、
柔軟に、作ったり、作ってあげたり、作ってもらったり、
食べることを楽しみたい。

そして楽しみつつも、生きることと密接する「食べること」を人任せにしないで、自分なりに向き合い続けたい。

それは、

食を通してどういう人でありたいか?を問うこと。

食べたものが私になる、ということを意識して
動植物の、感情やエネルギーも含めて、
毎食、命をいただいているという事実をないがしろにせず、感謝していただくこと。

生産者さんたちへの感謝を忘れないこと。

延々に終わらないのではないか?!と感じる稲刈りの大変さや
農家さんでのお手伝いがきついな〜と感じた時、
でも彼らが育ててくれなければ私たちの食べるものはないんだなあとしみじみ感じた、その気持ちや感謝、自分の身をもって体験することの大切さを次世代にも伝えていくこと。


そして食を通してどんな社会、未来を望んでいるのか?を表現、発信すること。

食べるために育てられる動物たちがあまりに「いいね!」とも思える育てられ方をしていなかったり、すべての食べ物が元々は命であるということをもはや感じられなくなるくらいにまで加工されている食品で溢れる食の産業のあり方は変わってゆくべきだと思うし、そのために、まずは消費者である私たちが自分の食べているものがどうやって育てられているか?何が入っているか?に疑問をもったり、調べてみる人が増えたらいいなとも思う。(調べると、いろんなドキュメンタリー映画や、youtube動画、本があるよ〜)

野菜やお米に関しては、すべての生産者さんに感謝しつつ、
自然栽培(ざっくりいうと農薬も肥料も使わない栽培方法)だったり、
それぞれのこだわりの農法に取り組む生産者さん(とそれを扱う小売店)をできる限り応援したい。
例えば自然栽培は、収穫できる量が少なく、手もかかるし、
それに見合う収入も得られなかったりするけど、
野菜の本来持つ力を引き出したり(びっくりするくらい美味しい)、環境負担も少ない栽培方法でもある。

何より、「自然をコントロールして、人間の都合にそぐわないもの(雑草や虫や菌)は薬で排除する」という考え方よりは、
「自然の持つ生態系やバランスは本来完璧で、それを人間の都合で崩すから問題(病気など)が起こる。そもそも農業自体が不自然な行為で、でも生きていくためにも耕作は必要だから、できるだけ手を加えずに自然を観察し、自然から学び、生態系を尊重した栽培方法を探求する」というスタンス(これは私の個人的な理解です)が、私は好き。

もちろん、戦後の貧しい時代に、より多くの食料を生産できるようにしてくれた農薬や肥料、栽培技術の発展、それに携わったすべての方にも心からの敬意と感謝を示しつつ。

日本では人口も減少中で、農薬や肥料の問題も見えてきた今、これからの、人と農の関わり方が変わっていくことは自然な流れだと思う。

自分で少しでも栽培できたらいいな〜とも思うし、CSA(Community Supported Agriculture:ある特定の農家さんをサポートするシステム)や、援農などで畑との関わりは積極的に持ちたいけど、
自分の得意不得意、役割も考えつつ、
できることを楽しくやっていけたらいいな〜と思う今日この頃。


生きている限り、避けることのできない、食べること。

自由に。楽しく。健やかに。

そもそも、食べ物を美味しくいただけるのは、健康な身体があってこそ
だから、いつも、不断に働き続けてくれるからだ、内臓に感謝もする。

そうだ、最後に、私が食べる前によくやっているお祈りをシェアしよう。
世界各地で出会ったお祈りからインスピレーションを得て、
自分なりにミックスしたバージョン。
その場の気分で、全部言ったり言わなかったりだけど。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(まず深呼吸、
忙しかったマインドから、
呼吸と共に今、ここに意識をもってくる)

今日も、おいしく食事がいただけることに感謝します。
火、水、土、風、太陽、微生物に感謝。
育ててくれた農家さん、運んでくれたひと、作ってくれた人に感謝。
そしてこの食事を味わえる肉体があること。ご先祖様に感謝。
育ててくれた両親や親戚、すべての人に感謝。
今、ここで食べる場を提供してくれている**に感謝。

いただきます。
ありがとうございます。
(深呼吸)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ちなみに私が、住み込みで働きながら食との向き合い方をとことん考えることができた場所はこちら。「食べること」を通して豊かな生き方、コミュニティを育むブラウンズフィールド(千葉県いすみ市)の日々の暮らしを写した1分の動画です。薪を割っているのが私。笑

ここでの米炊きは毎回、かまどを使って薪の火で。火の前に座ってパタパタあおいていると、プシューって蒸気とともにお米の炊けるいい匂いがしてくる。便利さと効率を求める現代社会において、お米を炊くのに1時間半かける。贅沢な時間なんだな〜これが。

ここではカフェの利用や宿泊、暮らしの体験も可能なので、興味のある方はぜひ訪れてみてください^^

読んでくれてありがとう!

日々の食のことは、自分のインスタのストーリーなどでシェアしてます〜。
▶︎▶︎@jj_downunder


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?