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【第四回】関本郁夫・茶の間の闇 緊急インタビュー 自伝「映画監督放浪記」に寄せて

第一回 第二回 第三回

取材・文/やまだおうむ

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予算は当初から逼迫していた

――第11話「花嫁と暗殺の鬼」では、笑い声と共に、仏像が真っ二つに割れ、中から服部半蔵が現れる。それ迄の回になかったカタルシスです。あの演出は、後に黒田義之監督もアレンジを加えて使っていますね。

関本 この話に限らず、ラストの立ち回り前の千葉の登場の仕方は、考えに考えたよ。そうした場面の中から、他の監督が踏襲していったものがあるかもしれない。

――夜霧の荒れ寺で展開する、石段を使った立ち回りも、非常に雰囲気があります。番組の1クール目で他の監督が撮った話は、黒田監督の立ち上げ回2本を除くと、殺陣のシーンが盛り上がり切っていない印象を受けたのですが、この第11話は、第10話に引き続き、その鬱屈を晴らすような弾けぶりです。 

関本 でも、あの時はスモークが使えなかったんだよな。

――え? そうなんですか。

関本 現場で千葉(真一)が色々な意見を出すもんだから。

――それは、スタッフが千葉さんのアイディアに対応するため、制作費がかさんでいたということですか。

関本 うん。俺が入った時には、スモーク・マシンを借りる予算すらなかった。でも、牧さん(牧浦地志)にイメージを伝えたら、「藁を持って来て下さい」ってすぐにスタッフに筵(むしろ)を持って来させてね。それに水をかけ、燻して煙を立て、見事な画面を作り上げてくれたんだ。

――牧浦地志といえば、宮川一夫門下の大キャメラマンですが、これは関本監督の指名ですか。

関本 テレビでは、監督がキャメラマンを指名することなんて出来ないよ。

――やはり、プロデューサーが当時若手の関本監督と大映京都の巨匠を組ませたら面白いと思ったのでしょうか。

関本 その辺の事情はよく判らない。でも、初期は大体牧さんが付いてくれた。話す言葉もですます調で、腰の低い人だったよ。当時もう60歳ぐらいだったと思うけど、巨匠という感じでは全くなかった。他社の仕事だから色々気を遣っていたのかもしれない。

――以前から、大映京都製作の時代劇の霧は、ハリウッド映画の均質で細かな霧と違って、複雑な濃淡があると感じていましたが、仕掛けそのものが全く違っていたんですね。ところで、「影の軍団」シリーズは二本撮りと聞いていますが、「黒髪は恨みに燃えた」と「花嫁と暗殺の鬼」は交互に撮っていったんですか。

関本 同じセットを使う芝居は、一度に撮っていきましたね。二本撮りで14日ほどでした。

――通常のテレビ時代劇だと、どのくらいの撮影期間があったのでしょうか。 

関本 たとえば、松方弘樹の「遠山の金さん」シリーズ(1988~1998)は12日だった。ちなみに「大激闘80 マッドポリス」(1980)が同様2本撮りで14日。だから、当時きつい現場といわれていた「影の軍団」は、俺にとってはどうってことなかったんです。

「影の軍団」を語る関本郁夫監督。

二人のプロデューサーから出た正反対の指示

――「服部半蔵 影の軍団」は、当初より千葉真一演じる服部半蔵、菅貫太郎演じる宿敵・水口鬼三太、二人の間で揺れる三林京子演じるお甲の三角関係が連続ドラマ的なストーリーを形作っていました。関本監督が初参加された「黒髪は恨みに燃えた」も例外ではなく、鬼三太が人質を取って半蔵を呼び出し、お甲も鬼三太側に付いて半蔵と戦わざるをえなくなるという話で、連続ものの通過点のような要素が元々の脚本にはあります。抵抗はありませんでしたか?

関本 なかったなぁ。菅貫太郎は、確かこれの前の回(前出・第9話)で千葉に片腕を斬り落とされるんだよね。

――ええ、それで半蔵への恨みが極点に達している。 

関本 そこは重要な要素だから、プロデューサーから事前に伝えられてたよ。でも作品はあえて観なかった。あくまでも石川孝人の脚本を、“原作”として捉え、関本映画を撮った。人様の真似をするのは嫌だからね。

――しかし、それで連続ドラマとして全く違和感なく話が繋がっていくのが凄いですね。

関本 東映で俺は、加藤泰、小沢茂弘といった監督たちの作品に助監督として付いて来ましたから、話がどのように転がっていくか、それをどう撮ればいいか、という基本的な要領は判ってた。

――なるほど、手慣れたものだったのですね。 

関本 ただ、「花嫁と暗殺の鬼」を褒めてくれた翁長さんでしたが、「黒髪に恨みは燃えた」については、「そんな情感は入れるもんじゃない」って言うんです。翁長さんは、俺が監督昇進第一作「女番長 玉突き遊び」(1974)を作った時、京撮の製作部長だった人で、アクションや男のドラマが好きだったんだ。一方、もう一人のプロデューサーの奈村さんは「舟の場面が凄く良かった」と。 

――奈村さんは、「札幌・横浜・名古屋・雄琴・博多 トルコ渡り鳥」(1975)や牧口雄二の「玉割り人ゆき 西の廓夕月楼」(1976)のプロデューサーですもんね。 

関本 そうなんだよ。 

――評価のポイントも違うはずですね。 

関本 違う、違う。奈村さんと翁長さんは真逆だった。10時台の番組はそこが難しいんだよ。

――翁長プロデューサーは、内田吐夢監督の「宮本武蔵」シリーズ(1961~1965)が有名なので、延々と死闘の展開する「黒髪は恨みに燃えた」を高く買いそうに思うのですが、そうじゃなかったんですね。 

関本 「黒髪は恨みに燃えた」で、俺は情感溢れる場面も撮ったからね。

――関本監督が“情”の部分にこだわっていることを見逃さなかった……。

関本 それをいらんと言うのよ。俺はどっちかっていうと“女”の作家だから、女のほうはよく判るんだ。だけど「男と女の世界を描くな」というのには参ったね。だから、「花嫁と暗殺の鬼」では、放送コードぎりぎりの表現を狙ってみた。

――男女の世界を描くことが出来ると同時に、男性視聴者にもアピールするというわけですね。

関本 それが次の二本撮りの「吸血!女の館」につながるんだ。凄い裸のシーンが一杯出てくる。

Special Thanks/伊藤彰彦(第五回に続く)
次回は4月20日の掲載予定です

《無断転載厳禁》

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<著者プロフィール>
やまだおうむ
1971年生まれ。「わくわく北朝鮮ツアー」「命を脅かす!激安メニューの恐怖」(共著・メイン執筆)「ブランド・ムック・プッチンプリン」「高校生の美術・教授資料シリーズ」(共著・メイン執筆)といった著書があり、稀にコピー・ライターとして広告文案も書く。実話ナックルズでは、食品問題、都市伝説ほか数々の特集記事を担当してきた。また、映画評やインタビューなど、映画に関する記事を毎号欠かさず執筆。

 


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