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【第二回】関本郁夫・茶の間の闇緊急電話インタビュー 自伝「映画監督放浪記」に寄せて

第一回 

取材・文/やまだおうむ

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映画と同じ気持ちで撮った「影の軍団」シリーズ

――私自身が関本監督の作品に初めて出会ったのは、千葉真一主演のテレビ映画「影の軍団Ⅱ」(81)だったのですが、初期は「座頭市物語」(61 三隅研次)で知られる大映出身の大御所キャメラマン牧浦地志と独占状態で組んでいらっしゃいましたよね。テレビながら、関本監督の回は画面の厚みが格別でした。 

関本 牧さんは東映が連れてきたんだけど、「凄いキャメラマンだね」と僕は言った覚えがある。予算がない中で、「水持ってきてくれ」「藁を持ってきてくれ」と指示を出しながら、スモークを使った重厚な画を作ってくれた。

――霧の中で殺人鬼が凶行を重ねる「姿なき吸血鬼」(「Ⅱ」第2話)などは、ジョン・カーペンター顔負けだなと思って観た記憶があります。

関本 ええ、実に見事なんですよ。だから、僕は必ず牧さんに頼むようにしていましたね。牧さん亡き後は、水巻(祐介)と井口(勇)だった。

――水巻祐介の参加した「密偵の愛・らあぶ・ゆう」(「幕末編」第11話)は、坂本龍馬役の世良公則と原田美枝子との悲恋が、石畳の坂道で柿をちぎる場面を中心に描かれ、とりわけ鮮烈でした。

関本 柿のシーンのことは、今咄嗟には思い出せない。ただ、世良君の龍馬には、かなりのめりこんで演出しました。水巻もいい仕事をしてくれた。関本家の墓は、龍馬の墓と同じ場所にあって、僕は幼少時からそれを言われ続けていたんです。中学の頃、高知に旅行した時は、龍馬の墓所を訪ねたこともあったしね。

――「影の軍団」シリーズは、派手な見せ場が盛り沢山で、海外にもファンが多いですね。

関本 あの番組は関西テレビの制作で、視聴率が凄く良かった。並行してテレビ朝日も、千葉主演で「柳生十兵衛」シリーズ(81~83)の制作に乗り出したほどでした。ただ、当時、千葉はJAC(現JAE)を率いてたでしょ。それで、JACの俳優のアップを撮ってくれ、それは監督の分野だろう、というようなことが随分あったんです。彼としては、JACの俳優を映すことが、運営する養成所の宣伝にもなるわけ。僕はもちろん、一切聞き入れませんでした。新人俳優のアップなんて撮れないというのが僕の中にはあった。 

――なるほど、「影の軍団」は、ないと映画として成立しない重要なカットが抜け落ちていたり、かと思うと、不自然な絶叫芝居が入ったり、着ぐるみの熊が画面に乱入して来たり・・・・・・と破綻した回も散見されました。ただ、関本監督が手掛けたエピソードに限っては、演出にブレがなく、流石と思って観させて頂いておりました。

関本 そうですか。千葉とケンカしないように、要望を聞きながら撮ってた監督もいたかもしれない。まあ、でも今考えると、千葉の言うことを聞かなかったことが、後にテレビ「柳生十兵衛あばれ旅」(82~83)で彼と決裂する遠因になったのだけど。

讀賣新聞朝刊・新番組案内の「服部半蔵 影の軍団」評。初回の監督は、「大魔神」シリーズの特撮で名高い大映京都の黒田義之が担当。関本も、大映の名キャメラマン牧浦地志と組む

JACメンバーとは仲が良かった 

――しかし、「映画監督放浪記」の中では、そのことと同時に、JACの俳優、真田広之、志穂美悦子、黒崎輝との出会いについてご自身が監督を続けていく上での財産になったという話を書かれていました。 

関本 千葉と決裂するまでは、JACの若い奴らとは仲が良かったんだよ。黒崎は、鈴木(則文)さんの映画で主役をやったんだよね。「影の軍団」では僕も彼を主役に撮った回があったけど、黒崎は、千葉にずーっと付いていましたから特別な思いがあったんです。志穂美は、毎回あの綺麗な容姿で目の覚めるようなアクションを見せてくれた。真田には、捕り手の棒を奪わせ、女の長襦袢を着せて、立ち回りをやって貰った回がありましたね。

――「影の軍団Ⅱ」の最終回(第26話「二十六人最後の首」)ですね。この回は、軍団のメンバーに殺陣を通して一人一人花が持たされているのですが、あの真田広之はインパクトがありました。

関本 現場で話し合って、女だてらのアクションをやって貰ったところ、実に鮮やかに演じてくれた。JACは、「影の軍団」シリーズはじめ、自分たちの出演した番組は必ず全員で観て、反省会をやるんです。その時完成作品を観た真田が、「傑作だ!」と言ってくれたんですよ。

1981年10月6日付讀賣新聞朝刊の「影の軍団Ⅱ」第1話(深作欣二監督)評では、一転して苦言が呈せられている。初期は回によって大きく作品の方向性が異なることも珍しくなかった。だがそのことは、同時代のテレビ番組とは異質の、ある種混沌としたエネルギーをもたらしていた

(第三回に続く)
次回は2024年1月6日の掲載予定です

《無断転載厳禁》

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<著者プロフィール>
やまだおうむ
1971年生まれ。「わくわく北朝鮮ツアー」「命を脅かす!激安メニューの恐怖」(共著・メイン執筆)「ブランド・ムック・プッチンプリン」「高校生の美術・教授資料シリーズ」(共著・メイン執筆)といった著書があり、稀にコピー・ライターとして広告文案も書く。実話ナックルズでは、食品問題、都市伝説ほか数々の特集記事を担当してきた。また、映画評やインタビューなど、映画に関する記事を毎号欠かさず執筆。

 



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