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夢に帆を張ろう

「夢に僕らで帆を張って
来るべき日のために夜を超え
いざ期待だけ満タンで
あとはどうにかなるさと肩を組んだ」

いつしか、夢を見ることを忘れていました。
現実が毎日押し寄せてくる中で、
理想を掲げる余裕と時間が無くなった、とも言えます。
夢の見方を忘れたのかもしれない。

冒頭の言葉は、映画「天気の子」の劇中歌「Grand Escape」の一節です。映画の主人公・陽菜と穂高のように、若さに満ちてエネルギッシュ。夢がある歌詞ですね。


言うても私は25歳。陽菜と穂高に比べれば10程歳を食いましたが、周りから見ればまだまだこれから、という時期なのでしょう。
今目の当たりにしている困難や混迷は、若者には必要な試練なのかもしれない。
しかし一方で、夢や目標を持つことがこれほど難しいのかと、苦しんでいるのも確か。この経験は後に活きると信じていますが、現在進行形のこの悩みは苦しいものです。

人は何歳からでも夢をもてます。

「志を立てるのに遅すぎるということはない」

という言葉もあります。
私も今はもがき苦しんでいますけど、いつかきっと、陽菜や穂高のように明るい夢を掴みたいなと思っています。

それに、夢って大小は関係なく、自分に適した形があるのではないか、とも思います。
「夢は大きく」という人もいますし、「目標が低過ぎればそれ以下の結果しか出ない」という人もいます。
それはそれで正しいと思いますが、こと人の生き方に関する部分は、これはもう自分で決めていかなくてはいけない。自分で歩んでいかなくてはいけない以上、本人の気持ちや身体的なキャパシティに応じた、等身大の夢があってもいいのではと思うのです。

例えば私が今からパリコレに出たいと思っても無理です。脚が短すぎます。お腹も出てます。
努力ではどうにもならない事もままありますので、自分に適した等身大の夢を追求するのが、幸せになれるひとつの形なのかもしれません。

「天気の子」だと、空を晴らすことのできる陽菜の能力を使って、天気を求める人々のために東奔西走する姿が描かれています。
自分のできることで人の役に立つ。
これも立派な等身大の夢ですよね。
これはあくまで映画ですけど、現実も似たようなものかもしれません。
自分のできることで人の役に立つ。
仕事であれ趣味であれ、手っ取り早く実践できる生き方ではないでしょうか。

つらつらと述べてきましたが、風が吹かねば帆は張れません。
帆を張るには時期とタイミングをうまく読む必要があります。
また、暗い夜を過ごす時期だってあります。
でも、来るべき時には帆を全開に張れるように、
日々自分と向き合い、社会と向き合い、生きていくのが大事なのかもしれませんね。

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じとめん
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