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トムとエディーとジタバタ子と。

今日は、お世話になっているBrightureの松井さんのnoteで紹介されていた対談を読んで考えたことをアウトプットしておこうと思います。

「学校の先生は読んだ方がいい」ということで、「学校の(英語の)先生」の視点で読んでみました。ただし、学校の先生も色々いますので、ジタバタ子独自の視点で。自分が理解しやすくするために、いくつかの単語を自分なりに置き換えてみました。

EJ 細かいことにこだわる国民性なのに、ことスポーツ「勉強」の指導になるとそれが消えてしまうのは、日本のスポーツ「勉強」の大きな課題ですね。その原因は、どの競技の選手「大人」たちも中学、高校時代から長時間練習「学習」に慣れていることにあると思っています。

TH練習「学習」に対する集中力を欠きがちですよね。

よく揶揄されることだけど、教員は小学校→中学校→高校→大学(院)を経て、学校に戻ってくる故、学校しか知らない。そして、自分が習ったように教えてしまう。そして、教員になる人間というのは、子供の頃に当たり前に長時間学習をこなし、学校での「成功体験」を経て、教員として学校に戻ってくる。勉強は「長時間やって当たり前」、という思考になりがち。やらない子供は怠け者。やらないからできないのだ、と思ってしまう(もちろん、そういう子供もいるのだけれど)。あるある。思い当たる節、あるある。

EJ その通りです。彼ら「生徒達」指導者「教員」から課される「根性練習「学習」」の中で育ってきています。すると、どうなるか? 選手「生徒」たちは体力を温存し、配分しようとします。それは人間として当然の反応なのです。ジャパンを率いていた当時、ある練習「学習」選手「生徒」たちの集中力が散漫だったことがあり、私は「この練習「学習/授業」に100%、フォーカスして欲しい。それができたら、この練習「学習/授業」を終える」と告げました。そして実際、私はたった2分間で切り上げました。選手生徒」たちはキョトンとしていましたよ(笑)。

「これもやれ」「あれもやれ」と、どんどん教材や課題を与える。これも思い当たる節あるある。1つ1つの授業や、1つ1つの宿題で、課題を明確に示し、その達成を客観的に見ているか、もしくは生徒が達成を自覚できるように示しているかと言われると、全く自信がない。自分主導で、「とにかくここまで『教えなくちゃ』」という気持ちで、生徒の頭に詰め込んでいる(つもり。ほとんどこぼれ落ちているのかもしれない)。

EJ練習「学習」は予定された時間が来たら終わるのではなく、成果によって終わるタイミングを判断するべきです。
(中略)
EJ体育館「学校や教室」にいること自体が目的になってしまう選手生徒もいるでしょうからね。

1年間のカリキュラムを組み、それをさらに定期試験単位に区切り、「テスト範囲までとにかく終わらせなくちゃ!」という、まさしく「予定された時間までに終わらせる!」という気持ちでいつも授業をしてしまっている。

生徒も「勉強をしたい」というよりも、「とりあえず学校に行って、教室で授業を受けていればいいんでしょ」という気持ちの生徒が大多数だと思う。「授業に出ないと、テストで困る。テストで点数が取れないと、進学(級)に影響する」、もしくは「欠席が多いと進学(級)に影響する」という気持ちかな。

EJ 問題となるのは、課題なき長時間トレーニング「学習」です。

「課題」はある。ただし、多分自覚しているのは私だけ?しかも時々、私でさえ、1時間1時間の授業における課題を自覚しているかと言われれば自信がない。言い訳をさせてもらうと、授業を作りこむ時間がないんだよ…(涙)授業に関係ない仕事が多すぎて…(って言い訳している自分がかっこ悪すぎて嫌だ)。
1コマ1コマ、「課題」を明確に生徒にも知らせて、生徒に「課題を克服した」という達成感を味合わせる学習を設計しないといけない…。そうじゃないと、「とりあえず、この時間をやり過ごそう…」という雰囲気漂う、なんとも生産性もなんもない、無駄な時間になってしまう(書いていて嫌になってきた…)。

EJ 単調な練習「学習/授業」では選手「生徒」たちも飽きます。練習「学習/授業」を工夫する創造性もコーチ「教員」には求められます。

本当にそうだと思います…。学校の授業って本当に単調です、自分で言うのもなんですが。言い訳したいけど、上でしたので自粛します。

THコーチ「教員」選手「生徒」たちにプレッシャーをかけ、冷静に振り返ることを繰り返すことで選手「生徒」たちを成長させることができると思うのです。

「教員」は「生徒」にプレッシャーをかけるっていう役割、本当にそうだと思う。子供も大人も、人間はいい塩梅でのプレッシャーがないと成長しない。大事なのは「冷静に」振り返ること。「感情的に」振り返らないこと。(つい最近、何度も忘れ物を繰り返す生徒に、感情的に𠮟ってしまっていたので反省)。

TH 私の仕事は、選手「生徒」たちと関係性を築くことから始まります。それから一緒に練習「授業」し、時を過ごしていく。そこが出発点です。選手たちのチーム「クラス・授業」へのコミットメントが高まってきたところで、ようやくバスケ「英語」のディテールにこだわり始めることができるでしょう。何回か合宿を重ねることで、よりよいゴールが設定できるはずです。

人間関係ができていないと、指導しにくい。経験上、これは本当。人間関係ができていない生徒には思い切り叱れない。一緒にもなかなか笑えない。「英語」というコミュニケーションツールの使い方を教える人間としては、いかに生徒たちと日ごろからコミュニケーション量を増やして、私という人間を信頼してもらうかがものすごく重要。今年度のクラスももうすぐ折り返しだけど、人間関係の土台ができているかと言われると、全く自信がない。もう一度、日ごろのコミュニケーションの取り方を見直して、土台の基礎固めをせねばならぬ…。

結論。学校の先生、読んだ方がいいです。できていないことが良く見えて、落ち込みもしたけれど、伸びしろが見つかったと思って頑張ろう。

バスケもラグビーも、頑張れニッポン!!(ジタバタ子もなっ!)






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