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『当たり前』は奇跡を起こす

皆さん、こんばんは!
昨日の深夜の仕事が終わり、一息ついて家に帰ると、家のカギを忘れたことに気付き、パートナーが起きるまで1時間程立ち往生した次世代のイケおじから一歩遠ざかったGAMIです。

この間、家を掃除した時にPCの近くにキーケースを移動してそのままだったことをド忘れしていました。カバンの中に入れているだろうと思い込んで『あーやってしまった・・・』
と心から声をあげた朝7時の家の前でした💦笑

しかも今日は帰ったら軽く仮眠してから、午前中に早い時間予約を入れた眉毛サロンに行く予定でしたが、一睡もせずに眉毛サロンにそのまま行き、施術中に寝てしまいました😂笑

というわけで、皆さんも家のカギ忘れには気を付けましょうネ!
という前書きでした!

当たり前って何?

最近自分でnoteを書いていたり、他のクリエイターさんのnoteを見ていてある言葉を良く認識するようになってきました。

その言葉が

『当たり前』という言葉なのですが、、、


例えばどんな時に使われているかというと

『当たり前に感謝しよう!』とか
『当たり前だと思っていたことは当たり前じゃない』とか
『当たり前に~なると思っていたけど・・・そうじゃなかった』とか

そういう感じで使われることが多いと思うのですが、なんでこの『当たり前』が最近自分の中にあるなにかが認識しはじめたのかと言うと、

『当たり前という言葉に疑問を持ち始めたからです。』


おいおい。どういうことだよ?
『当たり前』は『当たり前』ってことだろう?
って話になると思いますが、

じゃあその『当たり前』について皆さんはどう使われていますか?

一般的に辞書などを調べてると出てくる意味が

わかりきった、言うまで もないこと。 当然。
②なんの変ったところもないこと

つまり、

『当たり前=当然』


そして『当然』の辞書的な意味が、、、

そうであることが、なんら疑問の余地のないこと。 あたりまえであること。

あたりまえの意味の中に当然が含まれており、当然の意味の中に当たり前が含まれている。

よって
当たり前=『そうであることが、なんら疑問の余地のないこと。』

これが一番しっくりくる辞書的な意味な気がします。


では、ここからが僕の考えた『当たり前』論のお話になります。

例えば、赤信号だから止まるのは当たり前です。という文章があったとしてあなたはこれをどう解釈しますか?

普通にそのまま受け取る人がほとんどだと思います。
赤信号で止まるのはルールだし、常識で、それを守らなかったら、交通事故は起こるは、不安や恐怖が常に脳に刺激を与えてきますよね。

ではこういう観点ではどうでしょう?

①赤信号で止まるのは非常に楽。だって青信号になったら動けばいいのだもの。

②急いでいるから赤信号でも左右を見て車がきてなきゃ渡っちゃえばいいんじゃない?

これはエネルギーの観点からの考え方です。
①のような考え方をしている人は無駄な事にエネルギーを使うことがないので、その分使いたい時にそのエネルギーを集中して使うことができる人なのかなと思います。

②のような考え方をしている人は無意識レベルでエネルギーを大量に使ってしまっており、いざ使いたい時にエネルギーを集中して使うおうと思っても、普段の無意識でエネルギーを使っている分、集中できないみたいなこともあると思います。

どちらもその人の「当たり前」の基準がそういった結果をもたらしているんだと思います。

ちょっとスピリチュアルの考え方になりますが、人間の表に現れる顕在意識って意識の中のわずか1%~5%程と言われていて、残りの95%~99%は潜在意識の中に眠っているというお話は聞いたことがあるでしょう。

僕は今日のキーワードとして話している『当たり前』という言葉は、無意識の潜在意識に起因する言葉だと考えています。

先程話したエネルギーの部分だったり、人のアイデンティティの部分だったりはこの潜在意識を通して顕在意識に現れるものであるので、赤信号を止まる、渡る例がわかりやすいのですが、

何も意識せずに素直に赤信号を止まれる人って実はそこまで多くないんじゃないかと思っているのです。

赤信号止まらなきゃいけないのはわかっているけど、他の人が渡ったし渡っちゃおうみたいなのが良い例だと思いますし、そもそも赤信号止まらなきゃいけない。と感じているのは、意識がそこにいっているからだと思うのです。

赤信号は止まるのが当たり前なんだけど、その当たり前を顕在意識で考えているからこそ、余計なエネルギーを使ってしまっているんじゃないかと。

無意識レベルでの当たり前になると、赤信号は止まるのが当たり前ということすら考えないのが当たり前になるということになりますよね。


そういった観点から最初に書いていた

『当たり前に感謝しよう!』とか
『当たり前だと思っていたことは当たり前じゃない』とか
『当たり前に~なると思っていたけど・・・そうじゃなかった』とか

の意味を少し考えてみましょう!

当たり前に感謝しよう!という言葉良く使われていますよね~!耳タコ🐙が出る位見る言葉のような気がします。

この文脈で使われている当たり前は、自分の日常の顕在意識にあるものに感謝しよう!という意味で使われていることがとても多い気がします。

例えば
昨日まで近くにいた人が帰らぬ人になってしまったとか、急に余命を伝えられたとかでもそうで、当たり前に一緒にいると思っていた人がいなくなってしまう状況においてその当たり前がなくなってしまうことを体験した人だったりの言葉で良く聞きます。

僕もガンで他界した母のことを話す時はこの文脈でそれを使うことがありました。

当たり前だと思っていたことは当たり前じゃないも、似たような文脈で使われることが多いのかなと思います。

当たり前に~なる(する)と思っていたけどそうじゃなかった。もそう。


ただ皆さんもご存知のように、この当たり前に感謝しよう!という言葉に心を打たれて感謝をしようとしても、なかなかそのいつも顕在意識にあるものに感謝しようとしてもなかなか難しい。


そこでこう考えると非常にスッキリすると思ったのが

『当たり前=当たる前』


とカラダで感じることです。
普段から行っている当たり前の行動って、当たる前の行動であり、所謂100%これから的中するものだと、、、

つまり当たり前のように行動していることは、当たり前の先にあるものを掴みよせていると言いましょうか。

そう考えることで腑に落ちたんです。


当たり前に感謝できない人は、頭では当たり前に感謝しようと考えていても、当たり前をカラダで感じていないから感謝しきれない。

当たり前だと思っていたことは当たり前じゃない。もそうで、当たり前だとカラダで感じたものは当たり前に起きるものなので、当たり前だと思っていても頭で考えている限りはそれは的中するにはほど遠いなと

当たり前に~なると思っていたけどそうじゃなかった。も同じ原理で、思っていることって顕在意識の中で考えるだけだから、潜在意識レベルまで落とし込めないと的中はしないですよね。


ちょっとだけまた赤信号の話に戻りますが、赤信号を無意識レベルで当たり前だと止まっている人はエネルギーを消費しない。そして赤信号を意識して当たり前だと考え止まる。または車がいないから渡る人はエネルギーを無意識で使ってしまっている。

それと同じように考えると、当たり前に感謝しようと意識的に思っている人はどこかでそれを考えることでエネルギーを使ってしまっていて、100%感謝することが実はできていなかったり、

当たり前だと思っていたことは当たり前じゃないと意識的に思っていても、そう思うことでエネルギーを消費しているので、その当たり前は無意識レベルの当たり前たるものではない。

当たり前に~なると思っていたけどそうじゃなかった。ってこともそれを意識的に思っているうちは当たり前に~なるなんてことはないんでしょう。


当たり前のエネルギーの次元で理解すると・・・

当たり前を意識的に思っているがそうでないことをしてしまっている人=エネルギーの消費が激しい

当たり前を意識的に思う人=エネルギーを少し使ってしまっている

当たり前を無意識にカラダで感じている人=エネルギーを使っていない

強いエネルギーは潜在意識の中にあればあるほど、僕は当たり前は当たる前の状態になっており、自分が無意識レベルで考えている方向へ100%に限りなく近く的中させてくれるものであると思っています。

フラットな状態で当たり前を感じていく。

当たり前のレベルをそうやって上げていくことで、僕は色々な奇跡は起こるものではないのかなって、ふとこの間散歩している時に思考しました。


ちゃんと言語化できているか、わかりませんが、今日はそんなことをお伝えしたいと思ってキーボードを叩いていました。

あとがき

今日お話したこのお話ですが、習慣化だったり自分磨きの観点でも非常に重要な視点なんだろうなって書いていて思いました。

習慣化というのも無意識レベルで行われるものなので、意識レベルで考えているのではエネルギーを使ってしまい疲弊してしまう。

無意識レベルで行われているものって疲れないんですよね!笑
自分磨きもそうですが、ある程度習慣化だったりルーティン化されてくるとエネルギーを使わずにその作業が出来てしまうので、頭ではそうは思っていなくても、カラダが自然と自分の理想に近づいていくという現象が起こってくるんですよね。

極論言いますと、ご飯を食べる、寝る、呼吸をする、このへんは無意識レベルで行っている人が多いと思いますし、普段のことひとつひとつがこの無意識レベル下で行うことができるようになったら最強ですよねー!!

というわけで、最近ちょっと疑問に思った「当たり前」という言葉について考察してみました。

それではまた明日お会いしましょう!

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