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サイン、をヨム

 今日は、ご縁がありとある御一行の湾内クルージングにご一緒させていただいた。

(帰ってからある試験を控えていたのだけど、それはまた別の話)。

 ご一緒させていただき、その後デザートを一緒に食べに行った際に、その会の講師の先生に聴いたことがあった。

自 : 『●●●●』という同じことを、二日連続、別々の方に言われたんですが、これってもう色々自分が動き出した方がいいよ、という合図なんでしょうか?

それに対するやりとり。

講 :全ての現象は投影だ。つまり、あなたがそう言われたというのではなく、『そうさせんだ』。あなたは、あなたが会った人に『そう言わさせている』。だから肝心なのはそれを理解することと、その、言われたときにあなたがどう感じたか、を見つめることだ。どう考えたか?と頭で思うことではない。そのときザワザワしたのか、心が開いた感じがしたのか、たとえばそういうことだ。

 なるほどと思った。というかおこる現象自体元々全て自分が引き起こしているのだという。

 (この理論自体は、とある元易者の先輩からも前に伺った)

まるで禅問答、あるいはoshoの禅タロットを彷彿とさせるかもしれないが、このことはここ数年でだんだんと腑に落ちてはきていて、しかし思考のループに入った瞬間に止まってしまう、それもわかってきている。

 全ては自分の中の思考ではなく、内面にアクセスし、エネルギーの滞りがあればそれをみつめ、流れるように循環させなさい、そういうことなのだ。おそらく。

であるならば。

 私の中にあるザワザワは正しい。そのザワザワは、踏み出すことへの戸惑いなのだ。しかし、そのザワザワは自分が自分として個性化(ユング風?)していくために越えなければいけないものであり。

 言葉を変えるなら、今に至りやっとようやくそこへ行き着くことが叶ったのかもしれない。

 

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