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【人体改造カラダコラム vol.35】

人体改造カブ式会社とは、札幌駅前通地区全体の健康=エリアヘルスマネジメントに取り組むプロジェクトです。35回目のコラム執筆者はシャチョーの照井レナさん。お母様が入院された時の経験談です。

親の終活 その後 -母の入院 父の入院-

昨年の暮れ
ついに来たか…。
秋田の両親と同居している妹からそのLINEが入ったのは金曜日の夜、行きつけのワインビストロにいる時。
「お母さんが右足に力が入らないと言っているけれど、どうしたらいい?」
長いこと高血圧で治療をしていた母。82歳になる。
私は同じくLINEで、「それは脳梗塞の可能性があるから、救急車だよ。」と答えた。

2時間近く後に、妹に再びLINEをする。「どうなった?」
「心配かけました。血圧は高いけれど、脳のCTに異常はなかったよ。」と、診察や検査のあと家に帰された旨の返事。
翌日土曜日、同じ市内に住む姉にLINE電話をした。
右足に力が入らないとは言っているが、食事も摂り、横になって過ごしていたとのこと。
実は、母の抵抗に遭い、昨夜、救急車では行かなかったこと、整形外科医の診察だったこと、血圧は上が220mmHg以上だったことを知った。

月曜日の朝、姉からのLINE。
母が夜中トイレに起きて2度転び、「やっぱり当たったかな(脳梗塞に)」と漏らしたので、父が説得し救急搬送されたとのこと。

この母の入院劇。
自分や病院、父に対する私のモヤモヤが甚だしかった。
「母の我慢強い性格を知っていて、なぜ医療職である私が直接説得せずLINEでのやり取りで終えたのか。」
「医療職であり状況の見える私が、なぜもっと細かく妹に指示しなかったのか?」
「血圧220mmHgなのに、なぜ病院は帰してよこしたのか?」
「なぜ整形外科医が診察したのか?」
「父は自分のときはすぐに自分で救急車を呼ぶのに、母の時はそうしなかったのか?」
目くるめく「なぜ?なぜ?なぜ?」が私の頭の中を飛び交う。

母のいないお正月は、へんてこだった。照井家伝統の神棚へのお供えをちゃんと知っている者はおらず、うろ覚えが反映されたものだった。父は、気持ちがこもっていればいいと言った。

秋田では桜咲く季節、4月。
母は、急性期病院に1か月ちょっととリハビリ専門病院で3か月入院して自宅に帰ってきた。
右麻痺は残ったが、大好きな洗濯もできるようになって帰ってきた。杖は使いたがらない。「当たって不自由でも、何でも自分でできる」と言って笑っている。そういえば、「粛々とリハビリをこなしてます。」と看護師が言っていたのを思い出す。

「自分が死ぬときは、大好きな中華そばが食べられなくなったときだからね」と昔から母は言っていた。
一緒に食べに行ったら、上手にすすって全部食べた。嬉しかった。

母のこの右麻痺がドラスティックに治るということは考えられない。代償はいまだ大きい。
しかし、こういったネガティブな経験にも意味づけができる。
「入院劇のその時、倫理的であるために、私、いや母を含め家族全員にもう少しの勇気が必要だった。」「当たり前の日常にこそ、本人のその家族の価値づけがわかるエピソードがある。」
「こうして両親は自分たちの老いを、身をもって教えてくれている。」などなど。

札幌も真夏日の今日、父が緑内障の手術のため、私の母校の大学病院に入院した。
盆地の横手はさぞかし暑かろう。昼頃、母に電話を入れて、熱中症注意報を入れて、父の3泊4日の入院中、少し羽を伸ばしたら?と言うつもりである。


シャチョー 照井レナ

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