ようこそ幽霊レストランへ


高瀬甚太
 
 零細出版社の編集長兼代表の井森公平は、グルメではなかったが、人の倍ほど食欲があり、食い意地が張っている。雑食タイプで何でも口にするのだが、野菜の類はあまり好きではなかった。
 夏の猛暑に圧倒されながら、壊れかけのクーラーに往生しつつ、噴き出す汗をタオルで拭いながら井森が事務所で仕事をしていた時のことだ。携帯電話がけたたましく音を立てて鳴った。時計を見ると午前11時、こんな時間に電話をかけてくるのは、たいてい借金取りか、昼飯を食べさせてくれと、おねだりにやって来る売れないコピーライターか、仕事のないデザイナーと相場が決まっている。着信を見ると非通知になっていたので、井森は出ようか出まいか一瞬迷ったが、しつこく鳴り続ける呼び出し音に閉口して電話に出た。
 ――井森公平編集長でいらっしゃいますか?
 案に相違してかかってきた電話は、女性の、しかも美しい声の持ち主だった。
 ――はい……。
 井森は恐る恐る返事をした。相手が誰であるのか見当が付かなかったし、美声に騙されてはいけないという思いもあった。
 ――突然で申し訳ありませんが、編集長を私どものレストランのパーティーにご招待したいと思いましてお電話をさせていただきました。
 ――レストランのパーティー? なんでまた私を……?
 ――本来はご案内をお送りすべきだと思ったのですが、厳選した方しかお呼びしていないので、電話でのお誘いになりました。申し訳ございません。
 ――それは構いませんが、私なんかがお呼ばれして本当によろしいのでしょうか?
 ――編集長に来ていただかなければ逆に困ってしまいます。明日、午後11時、編集長の事務所の方へお迎えに上がりますのでよろしくお願いします
 ――午後11時ですか? ずいぶん遅い時間に食事を始めるのですね。
 ――朝までパーティーが続きます。そのご予定でお願いします。
 電話が切れた後も、女性の美しい声が耳に残っていた。透き通るような声だった。レストランと言ったが、果たしてどんな料理を食べさせてくれるのか、場所はどこなのか、何も聞かされていなかったことに、その時になってようやく井森は気が付いた。
 翌日も桁外れの暑さだった。クーラーはいよいよ寿命が来たようで、何の反応もしなくなった。窓を開け放すと、熱気がドッと押し寄せてくる。噴き出す汗に耐えられなくなった井森は外に出た。炎天下の大阪の暑さは人語に絶するものがある。井森は急いで商店街の中にある喫茶店に飛び込んだ。クーラーの冷たい風に汗が吹き飛び、アイスコーヒーを口にするとようやく生き返った心地がした。
 結局、井森はその日、数軒の喫茶店をはしごし、喫茶店の中で原稿を書いた。書くといってもペンで書くのではない。ノートパソコンを使って書く。事務所に帰った時は午後5時を少し回っていた。
 夕刻の陰った日が熱気を和らげてくれた。原稿を整理した後、井森はグルメに詳しい田辺淳一に電話をした。井森はこの日の午前11時にかかって来た、レストランへの誘いがずっと気になっていた。食に詳しい田辺に尋ねれば何かわかるのではと思って電話をしたのだ。
 ――レストランのパーティー? 少し大きいレストランだったら、たいていぼくのところに連絡が届くが、今日はそういう予定はないなあ。それにしても午後11時からのパーティーなんて珍しいなあ。あまり耳にしたことがない。時間があればぼくも行きたいぐらいだが、昨日、徹夜をしたからその元気はないよ。
 そう言って田辺は電話を切った。できれば田辺にも一緒に行ってもらいたかったのだが、体よく断られてしまった。他にも数人誘ったが、ほとんどの者が夜中のパーティーということに不信感を持ったのか、誰もが井森の申し出を受けなかった。結局、井森は一人で迎えを待つことにした。
 午後11時ちょうどにチャイムが鳴り、迎えが現れた。暑いのにも関わらず、制服を着た運転手は、「マンションの入り口に車をお停めしています」、と丁寧な挨拶をしてドアを閉めた。井森は急いで用意をし、運転手の後を追いかけるようにしてマンションの前に立ち、停めていた車を見て腰を抜かさんばかりに驚いた。
 ロールス・ロイス・ファントム新型シリーズⅡアール・デコが停まっていたのだ。確か、限定車で日本に一台しかないと聞いたことのある車だ。それが今、自分の目の前にあることが井森には信じられなかった。しかも、その車が井森を迎えにやって来たのだ。
 「ロールス・ロイス アール・デコ・コレクション」は、一九二五年のパリ万博のオマージュとして製造された世界限定40台のカスタムモデルである。フロントグリルには、光を放つオリジナルスピリット・オブ・エクスタシーが輝いている。サイドボディのコーチラインやヘッドレストの刺繍にもアール・デコのテーマが表現されていて、車という感覚を遥かに超越した名車だ。
 夢見心地で乗車すると、運転手は、
 「ご主人様、出発いたします」
 と井森に軽く会釈を送り、颯爽と車を走らせた。
 いったいどこを走っているのか、どこに向かっているのか、それさえ気にならないほどの優雅な乗り心地に、井森は自分が一国の首相にでもなったかのような気分になり、うっとりと車窓を流れる深夜の風景に見とれた。
 「到着いたしました」
 運転手の言葉で我に返り、ドアを開ける運転手に礼を言い、目の前を見ると、そこには眩いばかりの西洋のお城を模したレストランが建っていた。
 ここはどこなんだ――。
 井森は思わず辺りを見回した。しかし、周囲は闇に包まれていて、場所の見当が付かない。かすかに潮風の匂いがした。海の近くだろうか。そういえば潮騒の音が聞こえる。
 レストランに向かってゆっくり歩を進めると、一人の女性が近づいてきた。黒いドレスに身を包んだ女性は井森を見ると、
 「いらっしゃいませ。お待ち申し上げておりました」
 と丁寧な挨拶をした。その声を聞いて、井森は電話をくれた女性ではないかと思い、
 「お電話をいただいた方ですか?」
 と確認した。美しい容姿と美貌を持ち合わせた三十歳前後の女性は、
 「はい、そうです。お電話では失礼しました。来ていただいてありがとうございます」と言って、深々と礼をし、魅惑的な笑みを井森にくれた。
 会場内に入ると、すでにたくさんの客が来場しており、クラシック音楽の優雅な調べが会場を支配していた。フロアではすでに、西洋の映画でよく見る舞踏会の一シーンが展開されていた。
 紳士淑女が集い、カップルになって踊る。とても日本にいるとは思えないような光景に見とれている井森を、女性は「こちらへどうぞ」と別の一室へと案内した。
 賑やかなダンスパーティーの会場を通り抜け、大きな扉を二人のボーイが開けると、まったく雰囲気の違う会場がそこにあった。
 「どうぞ、こちらへ」
 女性に促されて中に入った井森は、そこが本日の目的のレストランであると知った。
 二十数人の客と思しき人物がすでにテーブルに着き、静かに料理の登場を待っていた。
 「こちらの席でお待ちくださいませ」
 女性に案内されて席に着くと、円形のテーブルに座っていた三人の客が井森を見て、小さく礼をした。どのような人物が招待されているのか、井森は興味を持って周囲を見回した。円形のテーブルに四人、そのテーブルが全部で五個あった。年齢も職業もさまざまなようで、白髪のかなり老齢の男女もおれば、格式の高いモーニングに身を包んだ中年の紳士もいた。そうかと思えば二十代の女性、三十代の女性などの女性が華やかなドレスに身を包み、その対向に同年齢の男性たちが礼服を身に着けてかしこまった様子で座っていた。そうかと思えば、ラフなジーンズに身を包んだヒッピーまがいの若者もいた。また、アイドルタレントのように華やかさを振りまく若い女性や、静かな佇まいの中年過ぎの女性もいた。相対的に女性が多く感じられたが、どのような意図で集められたのか、井森にはまるで見当が付かなかった。
井森が席に着くと同時に、会場にしつらえたステージに一人の老人が立ち、挨拶を始めた。
 喋っていることはわかるのだが、井森には老人の喋っている言葉がよく聞こえなかった。耳を澄まして聞こうとするが、そうすればするほど声が遠ざかって行く。一瞬、自分の耳がどうかなってしまったのではないかと疑ったほどだが、他の客はしっかり聞き取れているようで、老人の話が終わると盛大な拍手が沸き起こった。
 つづいてステージに上がったのは、井森を出迎えた女性だった。井森を出迎えた時は黒のドレスだったが、ステージに上がった今は、艶やかな着物に身を包んでいた。
 女性の声はよく聞き取れた。女性は、
 「本日はようこそいらっしゃいました」
 と挨拶し、本日の料理について説明をした後、料理人を呼び、ステージに上げて紹介した。紹介された料理人は、五十代ぐらいの男性で、よほど著名な人物なのだろう。その料理人が出てきただけで拍手が沸き起こった。
 どこかで見たことのある料理人だな、と思ったがすぐには名前が思い出せなかった。コック帽のよく似合う男性だった。
 二人がステージから下りると、ボーイやウエイトレスによってテーブルに料理が運ばれてきた。フランス料理のフルコースがこの店の看板のようだった。まず、前菜がテーブルの上に並べられた。
 量こそ少ないが色鮮やかな目を惹く前菜の数々が食欲を駆り立てた。ワタリガニのクリームプリーズと海草クリスピーボウルとウニ、味付けは酸味の効いた刺激的なもので、触感がよく、好き嫌いの多い井森も夢中になって食べてしまったほどだ。
 次に登場したのがサラダだった。サラダには血液をアルカリ性にする働きがある。メインの肉料理を食べる前に血液バランスを取るためのものであるのだろうか。パリパリとした食感が一瞬、普段、野菜嫌いであるということを忘れさせるほど美味に感じ、あっという間に平らげた。
 スープが登場して、続いてパンが皿に置かれた。このタイミングで登場するパンは、口の中の掃除である、と聞いたことがある。スープによって口全体に広がった雰囲気をパンによってリセットする。
 天然鯛をメインにした魚料理がテーブルを飾り、それを食べ終わると、シャーベットが出た。魚を食べ終えた後の口の中のごつごつを冷たいシャーベットでリセットする。
 いよいよメインの肉料理、和牛フィレ肉のロティが登場し、食べ終えるとチーズが運ばれてきた。チーズは、肉料理を食べた後の口の中の雰囲気を変えるのが目的なのだろう。よく考えられていると思った。
 デザートとして最初に登場したのがリンゴとシナモンのソルベだ。甘いが味の薄いフルーツは、その後に登場するデザートの甘味をより味わいやすくしてくれる。
 最後に甘味のあるデザートが登場した。甘いものは胃から腸へと食べたものを押し出す働きを促す。そして最後にコーヒーと一口サイズの小さなケーキが出てきた。コーヒーの目的は、リラックスと消化促進にある。カフェインのリラックス効果が食後の満腹感を癒してくれる。
 食べ終えるまでに要した時間は1時間半程度。心地良い満腹感が心を満たし、井森を幸福な気分に浸らせた。
 それにしてもすごい料理家だと井森は思った。こうした味付け、料理に出会ったことは今まで一度もなかった。食べ終えるのを見計らって、井森を出迎えた女性が、料理人を従えて再びステージに登場した。
 期せずして拍手が起きた。井森ももちろんお礼の意味を込めて拍手をした。料理人は客に向かって感謝の言葉を述べているようだったが、どういうわけか、井森の耳には届かない。しかし、他の客にはしっかりと届いているようで、さらなる拍手が巻き起こった。
 最後に女性が挨拶をした。その声は普通に聞こえた。それなのに料理人の声も、最初に挨拶に立った老人の声も井森には届かなかった。
 「皆様、本日は本当にありがとうございます。料理人の下部大作も心から喜んでいます。皆様方に精魂込めた料理の数々を食していただいたこと――」
 そこから声が聞こえなくなった。やがて、会場から一人、また一人と去って行く。その後ろ姿の寂しさに、井森は不吉なものを感じ、事故に遭わなければいいのだが、と思ったほどだ。
 席を立つと、女性がやって来て、出口まで見送ってくれた。いつの間にか、ホールで行われていたダンスパーティーは終了していた。まばらな人影が祭の後の寂しさを感じさせ、広々とした会場に飾られた大きなシャンデリアに哀愁が漂っていた。
 「編集長、今日はどうもありがとうございました」
 ロールス・ロイス・ファントム新型シリーズⅡアール・デコの前に立った井森に、女性は丁寧に礼をした。お礼を言わなければいけなかったのは井森の方で、慌てて、礼を返し、「ご馳走様でした」と言葉を付け加えた。
 車に乗ろうとした井森は、どうしても聞きたかったことを女性に尋ねた。
「今日はレストランの開店パーティーだということでしたが、なぜ、私が呼ばれたのでしょうか。私は一介の出版社の編集人で――」
 そこまで言いかけたところで、女性が井森の言葉を遮った。
 「編集長、そのわけは後ほどわかると思います。あなたに来ていただいたこと、本当に感謝しています」
 女性が話し終わるのを待って、運転手が、井森に声をかけた。
 「編集長、出発します」
 急いで車に乗ると、ドアが閉まった。遠ざかる西洋の城を模したレストランを眺めながら、井森は夢のように過ぎた至福の時間を振り返った。
 事務所のあるマンションの前に到着すると、運転手は一度車の外に出て井森に深々と礼をした。井森もそれに倣って礼を返すと、車は音もなく発進した。
 
 事務所に帰った井森は、満腹感と満足心の両方に襲われてソファで心地良い眠りに就いた。
 翌日、井森は電話の音で目が覚めた。時計を見ると午後1時を回っていた。急いで飛び起きて電話に出た。
 ――昨日はどうだった?
 電話の主は田辺淳一だった。パーティーがどうなったか、気になったのだろう。井森は「最高だったよ」と答えた。
 田辺は井森に料理の内容を聞いた。井森は、詳細に料理の内容を話して聞かせ、田辺を羨ましがらせた。
 ――料理人の名前は何と言った?
 と田辺に聞かれた時、井森は一瞬、その料理人の名前を思い出すことができなかった。
 「ちょっと待ってくれ、すぐに思い出して、こちらから電話をする」
 そう答えて電話を切った。電話を切った途端、どういうわけか、すぐに名前を思い出した。
 下部淳一だった。すぐに田辺に電話をした。一回目の呼び出し音で田辺は電話に出た。
 ――名前がわかったか?
 ――わかったよ。下部淳一だ。
 その名前を聞いて一瞬、田辺が沈黙した。
 ――下部淳一だよ。
 聞こえていないのかと思い、井森は声を大きくしてもう一度伝えた。
 ――冗談だろ?
 田辺が不審の声を上げた。
 ――下部淳一という名前に間違いない。
 井森の声が届くか届かないうちに、田辺はトーンの低い声で井森に言った。
 ――もし、その名前が本当ならおかしいよ。
 ――なぜだ。なぜ、おかしい。
 憤慨して井森が声を上げると、田辺は、
 ――フランス料理の達人、世界に名だたる三ツ星シェフ、下部淳一なら先日、旅客機の墜落事故で亡くなっている。井森が会ったのは、きっと同姓同名の別人だろう。
 ――亡くなっている!?
 井森は、自分の見た下部淳一の特徴を田辺に話して聞かせた。田辺は、細部に亘って特徴を確かめた後、吐き出すようにして言った。
 ――間違いなく下部淳一、フランス料理の達人だ……!
 田辺の言葉を聞いて愕然とした。血の気が引く思いがした井森は、その場にぶっ倒れそうになり、あわてて電話を切った。
 そう言えば先日、フランスから日本に向かう途中の旅客機がインド洋上空で行方不明になったというニュースが報じられていたことを思い出した。急いでネットで検索し、乗っていた乗客名簿を確認した。
 日本人乗客二十数名とあり、その中に下部の名前もあった。他の乗客の写真を見ると、全員見覚えがあった。レストランに招待されていた客たちだ。間違いなかった。ただ一人、井森を迎えてくれた女性だけが見当たらない。それと運転手の二人だけが旅客機の名簿の中になかった。
 井森は昨夜のことを思い出した。
 ――あのすべてが幻だったというのか。ボリュームも食感もとても幻とは思えなかった。
 それになぜ自分が招待されたのか、その理由が井森には未だにわからなかった。
 井森は、下部淳一のことを調べることにした。そこにしか手がかりがないように思えたからだ。
 亡くなった下部の家は大阪にあった。豊中市の高級住宅地の一角にあり、訪ねると下部の家は喪に服し悲しみに包まれていた。
 遺体はまだ見つかっていなかった。しかし、生存の可能性は極めて低く、全員死亡の報が流されていた。下部の妻は傷心のまま、ひたすら夫の無事を願い、仏壇に向かってお参りを繰り返していた。
 「主人は、日本に帰ったら、東日本大震災の被災地の方々に世界最高の料理をご馳走してあげたい、そんなふうに言って、とても楽しみにしていたんですよ」
 井森が下部の妻に話を聞くと、開口一番、そう言ってハンカチであふれる涙を拭った。
 「しかし、まだ事故の全容も解明されていませんし、ご主人が生きている可能性も否定できないでしょう」
 井森はそう言って下部の妻を励ましたが、下部の妻は、
 「確かに遺体は見つかっていませんし、墜落の詳しい情報も伝えられていません。でも、無事でいるはずがないと思います。主人は――」
 確かに下部の妻の言う通りだった。飛行機が墜落して、無事でいる人間などいるはずがない。
 下部の家を辞した井森は、その足でK新聞大阪本社にいる友人の樋口幸一に電話をして、フランスから日本に向かう旅客機の墜落事故のその後について尋ねた。
 樋口は、焦りの混じった声で、
 「インド洋上空で墜落したと伝えられているが、機体はまだ見つかっていない。おそらく墜落したものとみられていて、生存者はいないだろうと推測されている。新しい情報がまだ届いていないのでよくわからないが――」
 やはり、機体も生存者の存在もわかっていなかった。もしかしたら乗客が生存している可能性だって否定できない。
 井森は今一度、ネットで調べてみることにした。井森を迎えに現れた女性と、運転手のことが気になっていたのだ。
 乗客名簿にはやはり二人の存在はなかった。もしかしたらと思い、調べてみると、キャビンアテンダントに一人、日本人女性が混じっていることがわかった。そして、副操縦士もまた、日本人であることがわかった。
 二人の写真はネットで公開されていなかったので、K新聞の樋口に頼んで取り寄せてもらうことにした。その日のうちに連絡が来たので新聞社を訪ねると、樋口が、
 「なんで写真が要るんだ。仕事に関係ないだろ」
 と不満げに言う。仕方なく井森は、深夜に招待されたレストランの話をし、そこにいた客が旅客機事故の犠牲者とされる人たちだったと説明をした。
 最初、馬鹿にして笑っていた樋口も、そのうち顔をひきつらせ、井森の話に強い関心を寄せた。樋口は、持って来た写真を井森に見せ、
 「旅客機に乗っていたキャビンアテンダントと副操縦士の写真だ。この二人に間違いないか」
 と聞いた。写真を手に取って眺めると、間違いなく井森を迎えた女性と、副操縦士であることがわかった。
 「それにしてもわからんなあ、幽霊レストラン、それもわからんが、もっとわからんのはお前をそこへ招待したことだ」
 樋口がそう言うのも無理はなかった。井森もそれをずいぶん前から考えていた。そこに何か意味があるに違いないと思ったからだ。しかし、どう考えても回答など見つかることはなかった。
 ――旅客機墜落から五日が経った。機体の捜査は続いていたが、未だに発見できずにいた。
 その夜、井森は、自分が招待されたパーティーのことを逐一思い出すよう努力した。あのパーティーに鍵がある。そう思ったからだ。しかし、思い出すのは料理のことばかりで、他には何も思い浮かばない。場所だって判然としなかった。
 飛行機が行方不明になったという場所を地図で確かめてみた。インド洋の上空で、突然、交信が途絶え、行方がわからなくなったということだ。おそらく墜落し、機体がバラバラになって確認が取れないのだろう。そう思って地図を眺めてみると、行方不明になった周辺にいくつかの島が点在することがわかった。
 深夜2時を過ぎていたが、田辺に電話をした。当然のことながら田辺は眠っていて、眠りを妨げられたことに憤慨し、機嫌の悪さを隠そうとしなかった。
 ――田辺、お願いがある。行方不明の旅客機だが、もしかしたら……。
 田辺の機嫌などお構いなしに、急き立てるように井森が言うと、田辺は理解不能のまま、渋々、連絡を取ってみると約束してくれた。
 
 行方不明の旅客機が見つかったのは日本時間の午前6時だった。奇跡的に乗客全員が無事救助されたと報道があり、全員が重傷を負っていたことで体力の消耗が激しく、もう少し発見が遅ければ危ないところだったと伝えていた。
 突然の予期せぬエンジントラブルに陥った旅客機は、操縦士の機転で無人島に着陸することができたが、その際、無線などすべての通信手段が壊れ、操縦士を含む乗員と、乗客のほとんどが怪我をしており、外部に現在位置を知らせるのが困難な状況だった、と救助された際、操縦士は話している。
発見に至ったのは、日本の新聞社から、「インド洋に浮かぶ無人島に着陸している可能性が高い」と連絡を受けたことによると、調査に当たった航空官の責任者が話した。
 探索の飛行機は、何度もインド洋の上空を旋回し、行方を追ったが、機体のかけらすら見つけることができず、ほとんどあきらめにも似た心境に陥っていた。問題の無人島の上空も探索の飛行機は、数回に渡って飛行しているにも関わらず発見に至っていない。
 「無人島の上空を旋回して機体の行方を捜したが、密林の木々の陰に隠れて、機体を発見することができなかった」
 と捜査にあたった飛行士は証言している。お手柄は日本の新聞社で、世界のメディアは、どうしてあの島に着陸していたのがわかったのか、と不思議に思い、新聞社に対して世界中から質問が殺到した。田辺は一躍ヒーローとなり、世界各国のインタビューに答える羽目に陥ったが、井森の名前は一切出さないという約束をしていたので、ずいぶん悪戦苦闘したようだ。
会社から金一封と来季の昇進を約束された田辺はその夜、井森を呼んで、一流レストランでご馳走を振舞ってくれた。
 「井森のおかげで、来季、部長昇進が決まったよ」
 田辺は得意満面の様子で語り、発見に至るプロセスを語るについてずいぶん苦労した、と嘆いてみせた。
 「井森から、自分の名前を出さないようにと連絡を受けていたから、仕方なく、テレパシーのようなものを感じて、すぐに助け出さないと危ない、そう思って連絡したと、わけのわからないことを言って、何とかごまかした。以来、おれは超能力者扱いだよ。でも、まあ、金一封と昇進を得たからね。ありがたかった」
 その後、田辺になぜ、飛行機があの島に不時着したのがわかったのか、と散々聞かれたが、井森は適当にごまかして、その場を離れた。
 治療を終えて、乗客全員が帰国したのは発見から二週間後のことだ。包帯姿が痛々しかったが、それでも全員、元気な笑顔でタラップを降りる姿がテレビの画面に映し出されていた。その中に、下部の姿も、運転手や私を迎えに来てくれた女性の姿もあった。
 
 無人島へ不時着した、飛行機に乗っていた日本人乗客たちの生へのかすかな希望が、幽霊レストランという現象を生んで、井森を呼び寄せたのだろうか――。
 しかし、あの味は本物だった。今でも、井森の味覚の奥深くにあの料理の残像が遺されている。
 あの後、井森はいろいろ考えた。なぜ、自分が選ばれたのかということについてだ。もしかしたら井森を雑誌社の著名な編集者と間違えたのではないかとも考えると、何となく納得がいった。井森は三流、いや四流の出版社の編集長だ。編集以外の能力など何も持ち合わせていない。それなのにいつも次々と事件に巻き込まれ、霊や不思議な現象に出会ってしまう。しかもそれを井森は疑ってかかったことがない。常に信じることから出発するからだ。今回のことでもそうだった。井森は、自分を紹介してくれた人たちを信じ、料理の味、礼節に心から感謝した。そう思ったことで、彼らが自分に助けを求めているのではないかと、考えるに至った。
 井森に救いを求める彼らの必死な思いが、すさまじいエネルギーとなって伝わり、井森にインド洋に浮かぶ無人島を指し示させた。すべては彼らの思いがそうさせた結果なのだ。井森の手柄ではなかった。
 
 事故から三カ月、クーラーを修理しないまま夏を過ごし、いつの間にか晩秋を迎えた。
 その日、井森は、遅い昼食を食べ、喫茶店で新聞を読み、コーヒーを飲んで事務所に帰った。帰ると、ドアにハガキが挟まれていたのでそれを手に取り、ハガキの裏面を見ると、『ご招待状』とあった。そこに、パーティーを開催する旨の一文があった。井森は、思わずそのハガキを放り投げた。幽霊レストランならもうこりごりだ――。
〈了〉


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