ライバルが死んだよ

高瀬 甚太
 
 ――よぉー、元気にしてるか?
 威勢のいい電話の声を聞いて、思わず顔がほころばせた。サブちゃんからの久しぶりの電話だった。
 ――ああ、元気だ。サブちゃんも元気にしていたか?
 サブちゃんの元気な様子を想像したのだが、返ってきた答えは意外なものだった。
 ――わしか、わしはあかん。病気だらけや。
 話の内容とは真逆に、サブちゃんは受話器が壊れそうなほど大きな声で笑って応えた。
 目の手術をしたという話は聞いていたが、それ以外にも何かあったのか、心配になって聞いた。
 ――白内障の手術をして、その後、すぐに腰をいわしたんや。その後、しばらく入院せなあかんようになった。ようやく治りかけたと思うたら今度は前立腺が引っ掛かった。幸いガンではなかったやが、また入院せいと言われた。その後、歯、皮膚、糖尿病と、次々とまるで病気のオンパレードや。
前回、会ったのが二年前だから、その間にサブちゃんはこれだけ多くの病気と遭遇したことになる。
 ――で、今はどうなんだ?
 ――腰の治療をしながら歯の治療をして、糖尿病の治療もしているといった具合や。そやけど、基本は元気やで。
 サブちゃんはそう言ってまた笑った。
 ――ところで、サブちゃん、何か用があって電話をしてきたのじゃないか?
 サブちゃんは即座に「そうやねん」と神妙な声で答えて言った。
 ――小野塚、知っとるやろ。わしらの同級生やった小野塚新一や。
 ――ああ、知ってるよ、知ってるとも。
 ――あの小野塚やけどな、ついこの間、死んだんや。
 ――えっ……! 小野塚が死んだ?
 ――そうや、しかも自殺やねん。
 返す言葉がなかった。あの小野塚が死んだ……、しかも自殺なんて、とても信じられなかった。
 ――冗談だろ?」
 ――いや、ほんまや。淀川大橋の橋の下で首を吊って死んでいたらしい。
 小野塚とは高校時代、よく行動を共にした。喧嘩っ早いところこそあったが、気のいい男だった。高校時代はラグビーをやっていて膝を痛めて退部したが、スポーツなら何でもこなせた万能選手だった。
 私とサブちゃんと小野塚、そしてもう一人、柴田友彦、この四人が遊び仲間だった。だが、卒業後、小野塚は九州へ行き、サブちゃんは地元で就職、柴田は東京へ行き、私も東京の大学に合格し、以後、三人とはほとんど付き合いがなくなった。
 風の噂で小野塚が九州で商売を始めたことを聞いていたが、その商売が何かまでは知らなかった。ただ、ずいぶん羽振りがいいという噂だけは耳にしていた。
 その頃にはもう私と小野塚の接点はほとんどなくなっていて、高校を卒業してからは顔を合わせたことがなかった。だがサブちゃんだけは、時たま小野塚と連絡を取り合っていたようだ。そのサブちゃんから私は間接的に小野塚の噂を聞くことがあった。
 「あいつ、派手に商売をやりすぎて、莫大な借金を抱えていたようや。その中には危ない借金もあったようやで」
 「そうか……」
 学生時代の小野塚の顔が浮かんだ。笑顔の似合う男だったなあと懐かしく思い出した。サブちゃんからの電話は、その小野塚の葬儀の報せだった。
 
 小野塚の葬儀は、身内だけでひっそりと行われた。サブちゃんと私は無理をいって参列させてもらったが、柴田は来なかった。柴田は仕事が忙しいようで、どうしても出席出来ない旨の連絡を小野塚の自宅にしていた。
 喪主は小野塚の妻である智子さんが務めた。智子さんは高校時代の一年後輩で、二人は高校時代から付き合っていて、小野塚が成人するのを待って結婚したと聞いている。高校時代から小野塚を通じて旧知の仲だった私は、彼女のやつれた顔を見るのが辛かった。
 小学生高学年と中学生の子どもが二人いた。それぞれ女の子で、二人とも小野塚に顔がよく似ていた。
 葬儀を終えた後、私とサブちゃんは、落胆の余り涙に押しつぶされてしまいそうな智子さんに挨拶をして、ほとんど話が出来ないまま、その場を辞した。莫大な借代を返済するために小野塚は高額の保険に加入していたと聞いたのはその少し後のことだ。保険の金額が膨大であったために、一時は、智子さんが事情聴取されたようだが、疑いが晴れ、借金のほとんどを保険で返済出来ることになったとずいぶん経ってから聞いた。
 「あいつ、何でおまえに連絡せえへんかったか、知っているか?」
 葬儀の帰りに立ち寄った喫茶店で、ポツリとサブちゃんが言った。
「いや、わからない。おれも連絡を取っていなかったから」
 駅前の小さな喫茶店だった。午後の日差しが大きな窓ガラスを通して降り注いでいた。喪服に身を包んだサブちゃんはタバコをくゆらしながら静かに語った。
 「あいつ、高校へ入ってからずっとおまえのこと、ライバ。知ってたか?」
 北区の高校へ入学し、小野塚に初めて出会った時のことを思い出した。
 小野塚と出会う前に私はサブちゃんと出会っていた。サブちゃんとはクラスが一緒で、席が隣同士だったこともあり、陽気なサブちゃんの朴訥さに惹かれて親しく付き合うようになった。その延長に小野塚や柴田がいたのだ。
サブちゃんこと、加藤三郎は、小学生時代から日本拳法をやっていて、噂では高校生にしてすでに段位を持っていると聞いていたが、本人が何も語らなかったので真偽のほどはわからない。サブちゃんは、自分のことをひけらかすようなことを一切しない男で、自慢話などしたことがなかった。
 サブちゃんの紹介で初めて小野塚と出会った時、あまりにも不良っぽい小野塚に驚き、うまく付き合えるだろうかと一抹の不安を感じたものだ。
 だが、やがてそれが彼の個性だとわかり、彼への不安は一掃された。小野塚は無口で、何ごとも斜に構える男だったが、決して、悪い奴ではなかった。
 サブちゃんは小野塚を紹介する際、私に「小野塚は家庭が複雑で、そのせいか少し歪んだところがある」と前もって私に話した。
 私を校舎の裏側に連れて行ったサブちゃんは、「おれの幼なじみやねん」といって小野塚を紹介した。
 「よろしく」
 私がそう言って片手を差し出すと、小野塚はポケットに手を突っ込んだまま、値踏みをするかのように私を眺めて、「ああ……」とだけ言った。
その時はそれで終わった。彼はサブちゃんとはよく話したが、私には一言も口を利かなかった。
 「坂口、気にすんなよ。あいつ、初めて会った人間にはいつもああいう態度を取るねん」
 サブちゃんはそう言って小野塚をかばった。
 授業が終わった放課後、私たちは梅田へ出かけ、ゲームセンターに入り浸ることが多かった。サブちゃんと私、小野塚、そして後から仲間に加わった柴田の四人でゲームに興じた。
 柴田とはサブちゃんに紹介された時から普通に話が出来たが、小野塚とはなかなか言葉を交わせずにいた。性格が合わないのか、それとも自分のことが好きではないのか、そんなことを考えたりもしたが、元々小野塚は無口な性質だったのだろう、私と同様、柴田ともあまり話をしなかった。
 ゲームセンターには私たちと同様に他校の生徒たちもたくさん入り浸る。時々、生徒同士の小競り合いが起こることもあったが、そんな時、先頭に立って相手を威嚇したのがサブちゃんだった。非力で、暴力の苦手な私と柴田をかばうようにして、サブちゃんは小野塚と二人でそのグループの人間を追い払った。
 サブちゃん同様、小野塚も喧嘩が得意のようだった。サブちゃんに言わせると、小野塚の頭突きと蹴りがすごい、ということだったが、サブちゃんのように特に何かを習っているわけでもなかったはずなのに、行動はいつも素早かった。瞬時に相手を地に這わせる独特の技を持っていて、そこに私は一種の才能を感じたものだ。
 ゲームが終わると、私たち四人は繁華街の喫茶店にたむろした。一杯のコーヒーで数時間粘り、女の子をナンパするのが目的だった。
 柴田はナンパを得意としていた。いい女の子を見つけると真っ先に声をかけるのが柴田で、巧みに女性に声をかけて、誘い出すことに長けていた。柴田の誘いだした女の子のグループに私たち三人はちゃっかり合流し、楽しい時間を過ごしたことが幾度もあった。
 また、夏休みに四人で旅行をしたこともあった。旅行といってもテントを担いでのキャンプで、行き先は四国の高知県の桂浜だった。
 この旅で、私は小野塚と初めて親しく会話をすることができた。
 高知に着き、桂浜に近い海岸にテントを張ったその日の夜半のことだ。柴田が突然、高熱を出し、動けなくなった。サブちゃんが柴田を看病する間に、私と小野塚が急いで病院を探すことになった。
 人気のない海岸ということもあり、電話がなく、近くには家屋もなかった。救急車を呼ぼうにもすぐには呼べず、深夜2時、私と小野塚は町の方角へ向かってひたすら走り、病院を探し歩いた。
 「坂口、ともかく公衆電話のある場所を探そう。それと人家だ。人家を見つけたらたたき起こして病院へ電話をしてもらおう」
 テントを出てからすでに20分が経過していた。柴田の容態が心配だった。サブちゃんが付いているから少しは安心だったが、それにしても柴田の高熱は普通ではないように思えた。私と小野塚は必死になって公衆電話と人家を探し回った。
 「小野塚、あの向こうに見えるの、あれって人家じゃないか?」
遠方にかすかに見える灯りを見つけて私が言うと、小野塚は、
 「多分そうだ。とにかく行ってみよう」
 と言って、信じられないほどのスピードで小野塚は走り始めた。私は小野塚の足についていくのが精一杯だった。
 10分ほど走ると人家にたどり着いた。小野塚が荒っぽく戸をドンドンと叩くと、しばらくして灯りが点き、家の人が驚いて起きてきた。六十歳ぐらいの家の主人は、訝しげな表情で私たちを見たが、事情を話すとすぐに救急病院に電話をしてくれた。
 救急車が駆けつけ、柴田は寸でのところで命拾いをした。あのまま放っておくと生命に支障をきたすほどの大事に至ったと、病院の医師から教えられた。
 柴田は一週間ほど病院で手当てを受け、無事、退院することが出来た。
入院した翌日、柴田の両親が病院に駆けつけたので、私たち三人はテントに戻って旅の続きをした。だが、柴田が入院していることもあり、楽しむ気持ちはすっかり失せていた。
 砂浜で甲羅を焼き、少し泳いで、また休んでを繰り返したが、結局、私たちはキャンプを断念し、その翌日、テントを引き払い、大阪へ戻った。
 柴田の病気入院の件があって以来、私と小野塚は急接近した。小野塚は変わらず無口だったものの、笑顔で私と対するようになった。
 小野塚と智子の関係も、その旅の途中、小野塚の口から聞かされた。
 小野塚と一歳年下の智子は、幼い頃からの付き合いのようで、幼児の頃からいつも一緒だったという。
 「あいつは、おれにとって永遠の妹のようなもんだよ。家が近所で、泣きべそのあいつをいつもおれがかばってやった。あいつもおれも、両親が離婚していて、あいつの家は酒飲みの父親と二人暮らしで、おれは、泣き虫の母親と二人きりの生活だった。
 幼い頃、酒を飲んで暴れる智子の父親の暴力から、智子を守るのが俺のつとめだった。幼稚園の時も、小学校の時も、いじめにあったあいつのためにおれは身体を張って守ったものだ。
 あいつはいつもおれのことをまるで本当の兄貴のように頼りにしていた。新さんと呼んでおれのそばから離れなかったんだ。あいつにはおれが必要だったし、おれにもあいつが必要だった。中学生の時、おれは、おれが二十歳になったら一緒になろうって約束した。恋とか愛とか、そういったものではなかったかもしれない。おれたちは多分、意識の上では兄妹でしかなかったかも知れない。それでもよかった。おれはあいつを一人にしてはおくわけにはいかなかった」
 太平洋を臨む、焼け付くような砂浜で、小野塚は珍しく饒舌だった。彼のことを少しは知ったような気になって私はとても嬉しかった。
 だが、それでもやはり小野塚と私の関係は、サブちゃんという存在があってこそのものだった。サブちゃんがいなければ、私と小野塚の関係はすぐに希薄なものになり、案外早い時期に決別を迎えていたことだろう。
 サブちゃんが、「小野塚は井森をライバル視していた」と口にしたが、私にはその意味がわからなかった。サブちゃんに何度か問いかけたが要領を得る答えは一度ももらえなかった。
 私と小野塚の間にライバル心をそそるものがあったとは思えない。勉強に関しても、常に学年のトップに君臨していた私に、中間より下をうろついていた小野塚がライバル視するはずもなく、逆にスポーツでは、群を抜いて運動神経のいい小野塚と、運動音痴の私とでは、ライバルになり得るはずもなかった。かといって他に何があったというのだろうか、どのように考えても何も思い浮かばなかった。
 
 小野塚の葬儀を終えて十日が過ぎた。
 あれ以来、サブちゃんからの連絡はない。一度、柴田から電話がかかってきたが、小野塚の死と、葬儀の様子を伝えると、悲しい声を張り上げて電話が切れた。私にはわからなかったが、柴田と小野塚の間にはきっと深い絆があったのだろう。柴田の電話にそれを感じることが出来た。
 私は相変わらず忙しい日々を送っていた。朝から夜半まで編集に追われ、小野塚の死も、サブちゃんのことや柴田のことさえもいつしか忘れてしまっていた。
 その日の午後9時、仕事を終えた私は、ふと思い付いて天神橋筋商店街五丁目の盛り場に向かった。
 気分転換と空腹を満たすことが目的だったが、何かしら心の中に出来た空洞を癒す目的もあった。知らず知らずのうちに小野塚の自殺が私の中で尾を引いていたようだ。
 JR天満駅から少し離れた場所に時折顔を出す立呑屋があった。酒の値段が安くて、メニューが豊富でしかも値段がそれぞれリーズナブルなところに惹かれて通っていた。
 午後9時を過ぎてもその店は相変わらず満員すし詰めの状態で、隙間を見つけるのに一苦労する有様だった。大瓶のビールがカウンターに置かれ、土手焼きを酒の肴にしてグラスを傾けた。
 一気飲みしたグラスをカウンターに置いて、ビールを注ごうとした時のことだ。
 「坂口」
 と呼ぶ声が聞こえたような気がして円形のカウンターを見渡した。誰も見知った人はいなかった。気のせいか、そう思ってビールをグラスに注いでいると、また、私を呼ぶ声が聞こえた。
 もう一度見渡したが、やはり誰もいない。
 「おれは、おまえに負けたくない」
 今度ははっきりと声が聞こえた。気のせいではない。そう確信してカウンターに並ぶ酔客を見渡した。
 だが、やはり誰もいない。不思議に思ってもう一度、見渡した。真正面に先程はわからなかった小野塚が見えた。いや、小野塚に似た人物と言った方がいいだろう。小野塚は死んでしまっているのだから。
 早くも酔ってしまったのだろうか、いや、酔ってはいるはずがない。
 先程から小野塚らしき人物が私を見ていた。酒の入ったグラスを私に向けて、「ひさしぶりだなあ」と言っているようにも見えた。
 「おれは、おまえに負けたくなかったんだ」
 その男は真正面にいて、そう呟いている。そんな声が聞こえた。私は思わず聞いた。
 「私に何を負けたくなかったんだ?」
 「おまえもおれと同じ、母一人子一人の貧困家庭だったじゃないか。でも、おまえはそんなこと、おくびにも出さず、明るく元気に振る舞っていた」
 「貧しさが何だというんだい。母一人子一人が何だというんだ。おれは、それを不幸に思ったことは一度もなかった。小野塚がどう考えたか知らないが、おれはそれでも十分幸せだったよ」
 「おまえはそういう奴だった。逆におれは、貧しさを恨んだよ。両親の揃っている幸福な家庭を思い切り妬んだ。中学時代に非行に走ったのもそういう理由からだった。だが、サブちゃんに紹介されておまえに会って、おれは少し変わったと思う。おまえに負けたくないと思ったんだ……」
 真正面の人混みが少し減って、カウンターに立つ小野塚らしき人物の姿がはっきりと見えたような気がした。
 「おれと変わらない状況のおまえが、貧困にめげず歯を食いしばって頑張っている……。おれは知っているんだぜ。おまえが深夜、ビル掃除をしたり、新聞配達をしていたことを。そして、休日にはレストランの皿洗いをしていたことも。でも、おまえはそんなことをこれっぽちもおれたちに見せなかった。いや、おれたちだけでなく、周りのみんなにも……。
 世の中に不満を持って、すねて息巻いているおれとは、ずいぶん違って見えたよ。おまえに会って、おまえのことを知って、おれだってと思ったんだよ。おれだって負けてたまるか。そう思った。
 だからおれは頑張ったんだ。智子を幸せにするという義務もあったし、貧困を世の中や人のせいにするのは辞めようと思ったんだ。それでもおれはおまえに負けていると思った。
 知人のいる九州へ行き、そこで商売のいろはを学んだ。無口なおれが、商売の世界で生きられるかどうか、不安だったが、おれにはその方法しか思い浮かばなかった。
 サブちゃんからおまえのことは聞いて知っていたよ。大学へ行って出版社へ就職をして、母親を養いながら、三十代でおまえは出版社を立ち上げたということもな。経営は厳しいようだが、楽しくやっているとサブちゃんが言っていた。
 おまえのようになれたら、おれはおまえにすぐ会いに行くと決めていた。だが、商売がうまく行って金もしこたま儲けたが、とうとうおまえに会いに行くことはかなわなかった。
 あくどいことをやって儲けた金は、所詮、うまくいかないもんだ。いつの間にかおれは、金に追われるようになっていた。そしてこのざまだ。だが、おれはおれなりに精一杯生きたと自負している。智子もそう言っていた。智子はおれと暮らして、おれといて、幸せだったと言ってくれた。だから死なないでと。死ぬなら一緒に死にたいと――。
 だが、これがおれの生き様だ。とうとうおまえには勝てなかったが、もっと一緒にいろんなことを話したかった。一緒に酒をたらふく飲みたかった。それが出来なかったことを今、とても後悔している」
 小野塚、小野塚――。私は呟くように小野塚の名前を何度も呼んでいた。
いつの間にか、真正面にいた小野塚の姿はかき消えた。
 携帯電話に着信があった。店を出て電話に出るとサブちゃんだった。
 「井森、元気かぁーっ」
 「ああ、元気だよ」
 そう言った後、サブちゃんに、
 「小野塚と会ったよ」
 と小さな声で伝えた。
 「えっ……!?」
 サブちゃんが素っ頓狂な声を上げた。
 四十九日までまだ間がある。小野塚はまだこの辺りをウロウロしているに違いない。
 「サブちゃん、小野塚の墓を建ててやろうや」
 サブちゃんにそう言うと、サブちゃんは電話の向こうで、
 「ああ……、そうだなあ」
 と調子っぱずれの声を上げた。
〈了〉


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