呉春に酔う

高瀬 甚太

 ――もしもし……。
 二度ほど呼んで、ようやく返事が返ってきた。
 ――ああ、聞こえてるよ。心配かけてすまなかった。
 おっとりした喋り方は昔のままだ。懐かしさが込み上げて来た。
 ――ところで今、どこにいるんや?
 ――今か、今は大阪におる。
 関東にいるとばかり思っていたので驚いた。
 ――なんや、大阪におるんか。大阪におるのやったら逢いたいなあ、いや、会おうや。
 ――ああ、俺も会いたい。
 ――明日はどうや。何やったら今日でもええぞ。
 電話の声がまた止んだ。
 ――もしもし、おい、杉原、聞こえているか。
 呼ぶと返事が返ってくる。
 ――上繁、ありがとう。今日は無理だが明日なら大丈夫だ。
 ――北新地のおばちゃんの店、覚えてるか? よく一緒に呑んだあの店や。あそこで午後七時にどないや。
 ――『花村』だな、懐かしいなあ。よく覚えている。あそこで午後七時だな。わかった。
 ――じゃあ、午後七時に『花村』で待ってる。
 電話が切れた後、私はしばらく放心状態でいた。

 杉原真一と話をするのは十数年ぶりのことだった。学生時代から杉原は、私にとって唯一無二の親友で、共に切磋琢磨しながら頑張って来た仲だ。音信が途絶えて以後、彼の消息が不明だったこともあるが、探そうと思ったら探せたはずなのに私はあえて、そうして来なかった。
 大学卒業後、私は広告代理店に勤務し、杉原は高名な企画会社に勤めた。頻繁に二人で呑み歩いたのはその頃だ。
 北新地の『花村』は、学生時代から私たちのたまり場としてよく利用していた。『花村』を起点にして、夜ごと、さまざまな店を終電車間際までよく呑み歩いたものだ。
 仕事に忙殺された三十代、四十代が過ぎ、いつの間にか五十を過ぎてしまった。
 三十代の半ば、杉原はそれまで勤めていた企画会社を退職し、独立して新しい企画会社を興した。その頃からだ。会うのが難しくなったのは――。
「毎日が戦争だよ。なかなか上繁にも会えない。サラリーマン時代が懐かしいよ」
 嘆きとも自慢とも取れない話し方をして、電話をかけてきたことがある。三十代後半を過ぎていただろうか。私は相変わらずの勤め人だったが、杉原は経営に没頭し、かなり手広く発展させていた。
 杉原には元々商才があり、特に企画力や行動力に長けていた。誰もが成功疑いなしと思っていたが、四十を前にした年、突然、失速した。
倒産したと聞いたのは、それからしばらく後のことだった。同時に私は杉原とまったくの音信不通になった。
 離婚した――。夜逃げした――。ずいぶん借金があったようだ――。
 聞こえてくるのは悪い噂ばかりだった。
 その頃、何度か杉原に電話をしたことがあるが、携帯も固定も不通になっていて、つながらなかった。

 定時に仕事を終えて、そのまま北新地の『花村』へ向かった。
花村は、北新地のさほど大きくない十二階建て雑居ビルの二階にあった。他の店のほとんどがスナックやバーの看板がかかっているのに、『花村』だけが和風で、暖簾にガラス戸、他の店舗の二倍も三杯も大きいのに、厨房を囲んで後はカウンターという造りになっている。
 杉原と一緒に呑まなくなって、いつしか私は、『花村』に足を運ばなくなった。やはり、あの店は、杉原と一緒に呑まなければ楽しくない。杉原と音信不通になって、行かなくなったわけだから十数年ぶりに暖簾をくぐることになる。
 十数年前と同様に暖簾もそのままなら佇まいもまるで変りがなかった。北新地と言う一等地にありながら、こんな庶民的な居酒屋があるなんておかしな話だと、『花村』に来始めた当初、杉原と二人で話したものだ。
 『花村』の女将は、北新地に古くからある有名な料亭の主人の妾で、料亭の主人が亡くなった時、形見分けにもらったものだと、以前に『花村』の女将に聞いたことがある。
 真偽のほどはともかくとして、それならこんな小さなカウンターだけの居酒屋じゃなく、もっと大きな店をもらえばいいのにと、二人して女将を冷やかしたことがある。
 「お客さんと一緒に酒を呑むのが大好きでね。それでこの店をあの人にもらったんだよ」
 酒をコップで喰らいながら女将は私たちにそう言った。その時、女将は私たちより二十ほど年が上だった。まだ老ける年じゃないのに、と思ったことをよく覚えている。
 暖簾をくぐりガラス戸を開けると半円のカウンターに囲まれた形で女将が厨房のど真ん中に座っていた。客は二人っきり。定時を過ぎて間もなくの時間だから客が少なくて当然だと思ったが、それでも何となく寂しいと思ったのは、久しぶりに見る女将がずいぶん老け込んでいたからだと思う。
 「おや、いらっしゃい。ずいぶん久しぶりだねえ」
 女将が私の顔を見るなり言った。
 「お久しぶりです。ご無沙汰しました」
 覚えてくれていたことに驚きながら挨拶をすると、女将がまた言った。
 「相棒はどうしたのさ?」
 「相棒ももうすぐ来ます。ここで待ち合わせしていますから」
 「そうかい。あんたも元気そうだね。よかった。よかった」
 女将は屈託のない笑顔を浮かべてそう言うと、
 「呉春かい」
 と聞いた。
 呉春は、大阪府池田市の酒のことを言い、大阪を代表する銘酒として名高い。当時、その酒を私たちは好んで呑んでいた。
 この店にやって来ると黙っていても呉春が出てきたものだ。
 「いえ、今日はビールでお願いします」
 「ビール? 呉春しか呑まんかったあんたが珍しいやないか。あんた、しばらく見んうちに体でもいわしてしもうたんか」
 「医者から酒を止められているんですよ。アルコールは控えるようにって」
 「肝臓でも悪いんか。ほなしゃあないな」
女将が中瓶のビール瓶を冷蔵庫の中から取り出し、よく冷えた私のグラスに注ぐ。
 それを一気に呷り、私は「おいしい!」と叫ぶ。
 こんなに美味しい酒を呑むのはいつ以来だろうか。ずいぶん前に酒を止められて、家でも晩酌を呑まなくなった。宴会の席でも私はウーロン茶だ。酒豪で鳴らした私の哀れな末路と言える。
 「それにしてもこの店は変わらないなあ」
 グラスを置いてひと息ついた私は店内を見回して言った。壁に架けられた阪神タイガースの往年の名選手のサイン色紙、女将の大好きだった舟木一夫のポートレート、常連客が女将に贈った、へたくそな油絵――。あの頃にタイムスリップしたかのように、みごとに何も変わっていない。
 ガラガラとガラス戸が開いて客が三人入って来た。途端に店の中が賑やかになり、女将が三人のところへ出向く。
 十五人ほど入れば一杯になるカウンター、坪単価からみると家賃を払ってやっていけるのかなと心配をしてしまうほどゆとりがありすぎる店内、客単価もきっとそんなに高くないはずだ。三時半に開店して十一時半に終了する。客のほとんどが常連客で、常連客の連れてきた客がまた常連になる、そんなことを繰り返している店だ。
 しばらくして杉原がやって来た。二人連れの客と共に入って来たので、私はまるで気が付かなかったが、女将は杉原だと気が付いた。
 「おやまあ、珍しいね。元気だったかい」
 杉原もまた、長い年月にも関わらず女将が自分を覚えてくれていたことに驚いている。
 二言三言、女将と言葉を交わして杉原は私の隣に座った。
 「待ったか?」
 私のビールを自分のグラスに注ぎながら杉原が言う。久しぶりに杉原に会った私は、その顔を見て、思わず泣き出しそうになった。
 「いや、そんなに待ってない。それよりお前、ずいぶん変わったなあ」
 杉原の細面の顔半分がひげで覆われている。しかも病人のように痩せていた。
 「十数年前、会社が潰れてなあ――。それは聞いているだろ」
 「ああ、聞いたよ。聞いて心配して何度か電話をしたが通じなかった」
 「すまなかった。倒産後の処理に追われて大変だったんだ。しかも、女房にまで逃げられて――」
 「お前の一番大変な時だというのに秋子さんはお前を捨てて逃げ出したのか」
 杉原の妻、秋子は最初に杉原が勤めた会社の同僚で、杉原が独立する時、一緒に退職して結婚した。性格もよく、杉原にはもったいない女だとあの頃、よく噂をしたものだ。
 「いや、俺が悪いんだよ。倒産する二年ほど前から俺は、ミナミのクラブの女と浮気をしていた。倒産の時、その女がやって来て、金のことですったもんだして女房にばれてしまったんだ。女はどうでもいいが、女房が子供たちを連れて家を出て行ったのにはまいった。踏んだり蹴ったりの状態で俺は、弁護士に倒産処理を依頼して再出発をもくろんだ。だが、一度、倒産すると今までの信用をすべて失って、もう一度、同じ仕事で再出発をすることが難しくなった」
 「なぜ、相談してくれなかったんだ。頼りなくても何かできたはずだ」
淡々と過去を話す杉原を見て、私は情けなくて思わず大声を張り上げた。
杉原は昔からそういう奴だった。自分の弱みをみせるのが嫌で、相談すらしようとしない。私はそのたびに杉原に言ったものだ。
 「俺たちは友だちじゃないのか」と。
 「申し訳ない。あの頃、俺はどうかしていたと思う。結局、俺は逃げた。故郷に戻り、両親に迷惑をかけないように気を付けながら、故郷で漁師をやって金を稼いだ」
 「杉原の故郷はたしか、和歌山の南紀だったよな。今時、漁師をやって金を稼げるのか、遠洋漁業に出かけないと難しいと聞いているが――」
 「そうだ。最初のうちは近海漁業で小さな船を借りて魚を獲っていたが、それでは再出発する金を稼げない。食べて呑むだけで終わってしまう。そこで俺はつてを頼って遠洋漁業の船員として雇われ、船に乗った。半年から一年、俺は船の中で過ごし、金を貯めた」
 「それでまた事業を始めたのか?」
 「最初はそのつもりだった。でも、元の女房に連絡をして、子供たちのことを聞いて考えが変わった。上の娘は高校三年生、成績のいい、よくできる娘らしい。下の息子は中学三年生、高校入学を控えている。稼いだ金はすべて女房に贈った。娘の大学へ入学する費用と、息子の高校進学の費用にしてくれって頼んで――」
 「家族は喜んだと思うが、一文無しになったお前は、その後、どうしたんだ?」
 「事業欲はすっぱり捨てて、大阪へ戻った。企画会社なんてやっていても、何のつぶしにもならない。俺はありとあらゆる仕事に就いて自分の可能性を探ってみようと思ったよ。でも、仕事を転々とするだけでろくな仕事にありつけない。そりゃあ、そうだよな。五十を過ぎた男を雇ってくれる酔狂なところはどこにもない。それなのに自分の可能性を探るなどと大そうな旗印を掲げて――」
 「それで、杉原、お前は今、どうしているんだ?」
 「本町にある小さな繊維問屋の企画営業をしている。結局、俺は企画営業という仕事しか出来ないようだ。以前、会社をやっていた時の関係先の社長から声をかけられて雇われた。その社長曰く、俺に、新しい時代の繊維問屋の在り方を考えてくれ、というわけだ。従業員七名足らずの小さな店だが、七〇年もの間、生き続けている。何とかしたい。そう思った俺は今、俺の全知全能を傾けて仕事に取り組んでいる」
 杉原は、喉を鳴らしてビールを呑んだ。相変わらず豪快な呑み方だった。
 「そりゃあ、よかったなあ。お前にはその仕事が一番似合っているかも知れないな」
 「上繁はどうだ。大学を出てからずっと同じ会社なんだろ?」
 「五十を過ぎてようやく課長だ。きっとこのまま課長で終わるだろうな。俺は、お前のような才覚がないし、独立心も持っていなかったから生涯サラリーマンだと最初から覚悟していた。それに辞めたとしても、きっとどこからも声などかからないと思う。倒産したとしても、俺はお前が羨ましいと思っていたよ」
 「俺が羨ましいだって? 俺はお前の方こそ羨ましいよ」
 杉原はそう言って、私のグラスにビールを注いだ。私は杉原に言った。
 「おい、杉原、そろそろ呉春にしないか」
 杉原は一も二もなく賛成した。
 「女将さん、呉春ちょうだい」
 と大声で叫ぶと、女将は、ニコッと笑って「アイヨ」と言った。この店へ来て、すぐに呉春は呑めないと言ったことを忘れているようだ。
 ビールの時は酒の肴が揚げ物や肉類、焼き魚でもいいが、呉春になると、そういった肴は似合わない。芋の煮っ転がしとおでんを新たに注文した。
女将はグラス一杯に呉春を溢れさせ、
 「身体のことを気遣うのも大切だけど、時には冒険も大事だよ」
と、私は見つめながら言った。
 呉春のことを言っているのだと思ったが、生き方のことを言っているのかも知れないと、その時、私は思った。
 「上繁はマイホームもあるし、家庭もしっかり守っている。子供たちにも不自由させることなくそれぞれ大学へ進学させている。立派だと思うよ。一つの会社で居り続けるのは並大抵の努力じゃない。羨ましく思うと同時に尊敬しているよ」
 杉原の言葉のように、確かに私は安全を心掛けて生きてきた。それが私にとって最良の方法であったし、楽な生き方だった。それだけのことだ。
 妻を捨て、家族を捨てて、女と駆け落ちするほどの大胆さも勇気もなかった。仕事を辞めて生き方を変えるだけの強い意志もなく、与えられた仕事を言いつけ通りにこなしながら、自分を殺して勤めてきた。これが私の一生なのだと肝に銘じて生きてきた。
 語るべき何物もない私の人生なんて糞みたいなものじゃないか。そう自問自答して、悩んだこともあった。だが、どれだけ悩もうと、どれだけ苦しもうと、時間は止まってくれない。朝になれば私はいつものように判で押したように通勤電車に揺られて会社へ行く。

 その夜、私たちは終電車間近まで呑んだ。昔は『花村』でまず勢いをつけて、梅田で一杯、天満で一杯、京橋で一杯、ヘロヘロに酔っぱらうまで呑んで別れるのが常だった。
 だが、この夜は、『花村』で呑み、『花村』で別れた。時刻も午後十一時と、思いのほか、早い時間帯だった。
 呑んでいるうちに杉原の様子がおかしいことに気付いた。時々、胃の辺りを抑え、青白い顔に脂汗をにじませる。
 「杉原、お前、どこか悪いんじゃないか?」
 私が聞いても杉原は首を振るばかりで、はっきり答えない。年も年だ。どこか悪くしてもおかしくない年齢だ。何かしら持病を抱えていても不思議ではない。私にしても肝臓が危険信号を発していた。若い頃から浴びるように酒を呑んできたツケが回って来たのかも知れない。
 結局、呉春を数杯呑んで近況を話し合い、昔の話で笑い合って楽しく過ごすことができた。酒量といったら昔の五分の一にも満たない。
 「また、おいでや」
 店を出る時、女将が言った。
 「近いうちにまた一緒に来るよ」
 と言って、「なあ、杉原」と杉原に同意を求めると、杉原は小さく笑い、体を屈めて店を出た。
 電車の改札口に入り、右と左に分かれる前、杉原と握手をした。その握力の鈍さに驚いて顔を見ると、青白い顔が白くなっていた。
 「送っていかなくても大丈夫か?」
 と、聞いたが、杉原は逆に怒った。
 「そんな年寄りじゃないぞ。まだ五十三だ」
 胸を張って言う杉原を見て、少し安心した。お互いにまだ、五十三だ。まだまだこれからだ。杉原の背中を見送りながら、私はその背中にエールを送った。

 ――訃報を聞いたのは、杉原と会って一週間後のことだ。
 杉原の死を知らせて来たのは杉原の別れた、元の奥さんだった。
 ――上繁さんにだけは知らせなくちゃ、そう思って電話をさせていただきました。昨夜、午後十一時、杉原が永眠しました。長い間、お付き合いしていただいて本当にありがとうございます。
 奥さんは、杉原の直接の原因は胃癌で、摘出手術を行ったものの、転移が早くて手遅れだったと話した。
 私と出会った時、杉原は入院中だったのだ。市民病院に入院していて、私に逢いたくて『花村』にやって来た。とても酒を呑める状態ではなかったのに、無理をして呑んだのだ。私が殺したようなものではないか――。
 そのことを話すと、奥さんは笑った。
 ――病院のお医者さんが言ってました。上繁さんから電話をもらったことを嬉しそうに告げ、途端に元気になったことがおかしかったって。逢いたいから少しの時間でいいから外出させてくれ、そう言って頼み、許しを得て外出した。その時はもうどんなに手を尽くしても助からない、そんな状態だったようです。だからお医者様も仕方なく許した。そう言っていました。それでも帰って来て、二、三日は本当に元気だったんですよ。でも、急に悪化して――。
 その時のことを思い出したのだろうか。奥さんは電話の向こうで泣き崩れた。
 奥さんは、杉原と別れた後、一人で子育てをし、自力で働いていた。娘の大学入学資金や息子の高校入学資金に頭を痛めていた時、杉原がやって来て、お金を置いて行ってくれたのだという。それ以後、何度か杉原は、娘や息子のこと、奥さんの生活が心配だったのだろう、たびたび電話をくれたという。
 ――私もずっとあの人のことを心配していました。でも途中から連絡が取れなくなり、そのまま何年も音信不通になってしまい、どうしたんだろうと思っていた矢先、あの人から電話がかかって来たんです。再会すると様子がずいぶん変わっていたので驚きました。真黒に日焼けして汚い服を着て、以前のあの人とは思えないぐらい様変わりしていました。聞くと、お金を貯めるために船に乗っていたと言います。その時、再起のために貯めていたお金を娘や息子のためにと言って、すべて渡してくれ、おかげで娘も息子も無事、入学できて、本当にありがたかったと思います。その後、あの人は大阪で働くようになり、職を転々としながら私にお金を入れてくれました。一カ月ごとに会っていたのですが、会うたびにやつれていたので心配になって、無理やり医者へ連れて行ったところ、胃癌が進行しているとお医者さんに言われたのです。治療のために入院することになったのですが、その頃、あの人はちょうど以前、世話になっていた社長さんに乞われて企画営業の仕事を頼まれたばかりでした。あの人、ずいぶん悩んだ挙句、病気のことを社長さんに打ち明け、その話を断ろうとしました。でも、社長さんは、それなら余計に放っておけないと言い、入院の費用を支払うからよくなったら自分の会社で働いてくれ、と言って――。本当にありがたいお話でした。主人ともども社長さんには感謝して止みません。
 ――そうですか。でも、奥さんは杉原が許せなくて一度は捨てたのでしょ。それなのになぜ……。
 ――あの人がそう言ったのでしょ。でも、本当は違うのです。確かに浮気の問題はありましたけど、そのことで大騒ぎするほど私は子供じゃありません。倒産で私や子供たちに迷惑がかからないよう、あの人が私と離縁したのです。世間的には、あの人は私に逃げられたと言っているでしょうが、私、本当は離婚などしたくなかった。子供たちがいなければきっと離婚していなかったと思います。
 ――では、いずれまた、杉原と一緒になるつもりでいたのですか?
 ――私も杉原もそのつもりでした。でも、あの人と何年も連絡が取れなくなって……。その時はずいぶん悩みました。けれど、私はあの人を信じていました。きっと連絡をくれると――。
 奥さんの話を聞きながら、杉原はそういう奴だったと、改めて思い直した。
 どんなに困った時でも、あいつは泣き言を言わない。倒産の噂を聞いた時、連絡があれば少しでも助けてやらねば、そう思って準備していた。だが、あいつは何も言って来ず、連絡一つ寄こさず消えた。
 ――俺たちは友だちじゃなかったのか。
 そう思って私は彼の不義理を悲しんだ。
 時間が経過して、落ち着いた頃、ふと思い出した。学生時代からあいつは弱みを見せない男だった。どんなに苦しくても悲しくても、その影すら感じさせなかった。心配をかけたくないという思いもあっただろう。いつも強くあらねばと自らを叱咤する気持ちもあったと思う。私にとって彼は強い男、出来る男といったイメージがずっとあった。だから彼が会社を興した時も、彼なら間違いなく成功する、そう信じて疑わなかった。
 彼の会社が倒産した時、その時は困った時に相談してくれない彼を恨んだが、時間が経過して考えたのは、彼は必ず立ち上がるということだった。
だから、彼が行方をくらました後も、無理やり彼の行方を追いかけようとはしなかった。彼の復活を心底、信じていたからだ。
 奥さんは、通夜と葬儀の日程を私に伝え、時間が許せば出席していただければと言った。もちろん、私は、二つ返事で承諾した。

 団地の集会場を使った通夜、葬儀で、奥さんの友人たちが手伝い、団地に住む人たちが世話をしていた。ひっそりとした寂しい通夜、葬儀だった。
見知らぬ人たちの列に混じって参列している時、隣に並んだ人の話し声が聞こえてきた。
 「会社が倒産した時、杉原社長は、私たちの給料と数か月分の手当てを都合して払ってくれたの。それでなくても大変な時、社長は自分のことより私たちのことを考えてくれた。その気持ちが嬉しくて、社長が再起する時、何を置いてもお手伝いをしたい、そう思っていたのに――」
話し声はやがてすすり泣きに変わり、そのうち同調する数人の声が次々に被さって、やがて大きな泣き声になった。
 杉原が働いていたアルバイト先の従業員やひと目で船乗りとわかる人たちの集団もいた。杉原が勤めることになっていた繊維問屋の社長と社員も会場に来ていた。
 人数そのものは決して多くはなかったが、杉原の死を惜しみ、悲しむ人たちが葬列していることはすぐにわかった。

 葬儀の帰り、一人で『花村』に立ち寄った。暖簾をくぐってガラス戸を開け、中へ入ると、「あら、いらっしゃい」と女将の明るい声が出迎えてくれた。
 「相棒はどうしたの?」
 女将が聞くので、私は天に向けて人差し指を向けた。途端に女将の顔が曇った。
 「今日、葬式だった」
 ポツリと言うと、グラスが二つ、私の前に置かれ、そのグラスに呉春がなみなみと注がれた。
 「相棒の分も呑んであげることだね」
 女将はそう言って私の肩を叩いた。
 通夜、葬儀と我慢していた涙が、その時になって、ドッとあふれ出た。堰を切ったようにあふれる涙を隠そうともせず、私は子供のような泣き声を上げて一気に呉春を呑み干した。
<了>


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