人生には「呼ばれる場所」がある話
人生には「呼ばれる場所」があるという。
私たちはこの世界で生を受ける。そして望む望まないに限らず、幼少期を特定の場所で過ごす。その後大人になった私たちは自分たち自身で自分が生きていく場所を選択する自由が与えられる。
ところが、である。人生にはどうやら、自分の意思とは関係なくある特定の場所に引き寄せられてしまう、言い方を変えれば「人生においてご縁がある場所」が存在しているようだ。
そこでこの記事では、そんな場所に呼ばれる理由や意味について、個人の経験を含め語っていく。
なおこの記事は、「人生においてある特定の場所で過ごすことになる(その場所に呼ばれる)必然性」について語っている記事である。
「◯◯の土地とは相性が悪いからやめておきなさい」
「◯◯という場所を見つければ人生めでたしめでたしになります」
といった趣旨の話ではないことを、予めお断りしておく。
はじめに
私的な事柄で大変恐縮だが、ここ数年は過去の出来事を振り返る機会が度々訪れた。
それまでの自分の歩みを確認し、なぜあの場所であの出来事を経験し、それが自分の人生においてどのような意味を成したのか?考える機会が度々あった。
そのなかで気づき、深く考えたことが一つ、あった。それは「もしかしたら人は、その人生で必要なことを経験するために、必要な人と出会うために、ある場所から呼ばれるのではないか?」ということである。
出会い、というのは本当に不思議である。なぜ意図もしていないのに、あの日あの時、そしてあの場所で邂逅したのか?その理由はわからない。
だが、たった一つの偶然(のように思える)の出会いによって人生が劇的に変わってしまうのは間違いのない事実である。
私自身、東京を始めとする京都や大阪、札幌など日本の様々な都市で生活した経験を持つが、住む場所を変えた「結果」を振り返ったとき、そこにはそれ相応の必然性があったことを、認めざるを得ないのだ。
だからこそ思う。「人は場所に呼ばれる。そこで経験すること、出会うべき人と出会うために」と。
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