自分のコンプレックスと他人の意見の渦の話 あなたのモノサシで私を決めないで
誰しもがあると思う『コンプレックス』との向き合い方について最近思うことがあったのでそのお話です。
内面のコンプレックスや外見のコンプレックス様々なコンプレックスを抱えながら皆生きているのですが、もちろん私にも内面も外見もどちらのコンプレックスもあります。
そして自分が思っているコンプレックスについてSNSで発信をしていく中で度々意見や指摘を受けることってあるんですよね。
SNSに限らず本人が気にしてるなんて思わず、弓矢のように打ち付けられることもありますが。
私の小学生~高校生の1番のコンプレックスは一重だったことでした。これに関しては当時1番気にしていたし、周りから『一重でブス』『目付きが怖い』『目空いてる?』など今思うと酷いことばかり言われてきたのですが。
少し気にしていたことが自分以外の人の言葉や文面にされることでどんどんその悩みが肥大化していくんですよね。怖いことに。
当時はそんな他人からの言葉で『一重な私』を受け入れられず『一重な私』でいることが怖くて1歩でも家から出る時は必ずアイプチで二重にしていたり、
当時付き合った彼氏の前ではアイプチを外すのが怖くてお泊まりの時は寝る時もアイプチをして寝たり。
もちろんそんなことしていたらカブれたりもするのですが『一重な私』の方が自分からしたら恐怖だった。
とにかく意地でも二重になりたくて高校生の3年間は毎日アイプチをして、寝る時は夜用のアイプチをしたりしていました。
どんどん重かった瞼が伸びていったのか結果5年くらいしたら二重幅が定着して、27歳になった今では当時望んでいた二重になったのですが今思うと他人が思ってる正義押し付けられて自分の概念壊されることってとっても怖いことだなと思っていて。
美容系の発信をしているからこそ一重には一重の良さがあって二重には二重の良さがあるんです。どちらも魅力的でどちらも美しい。
周りの意見なんかに流されることなく『自分が美しい』と思えたら、それでいいはずなのに必ず自分の正義を押し付けてくる人って1人はいるんですよね。
最近のエピソードでいうと私は究極の『困り眉』なんですけど、Twitterであげた自撮りを5チャンネル(前でいう2チャンネル)で、
『かおりんりんってブスじゃね?』『眉毛が変なんだよね』って結構前に書かれていて。
そんな顔も見たことない人に言われてるのが悔しくて、それを見た瞬間眉毛サロンの予約を入れて先日眉毛サロンに行き『ブス眉毛』を卒業してきました。
確かに困り眉はとてもコンプレックスだったし、解消したいから眉毛サロンに行きたいなあってぼんやり思っていましたが、こんなにネガティブな気持ちでコンプレックスを解消するってなんだかやるせない気持ちだなって思ってしまいましたね。
その人にはその人の良さがあってその人が思う美しさやその人しか持ってない好きがあるのに、自分よ正義や定義を振りかざして他人をものさしで測れるなあ、、なんて日々思います。
こうやってコンプレックスって次々と出て永遠に向き合わなきゃいけないコンプレックスが増えていくってなんだか怖いですね。
私は人の悪いところを見つけるより、いいところを見つける方が楽しいし私自身も幸せな気持ちになるから素敵!可愛い!最高!と思ったらどんどん口に出して言ってしまうし、
みんなハッピー!みんな最高ー!いぇーい!みたいにポジティブに生きたいのですが、周りの声でそこが潰されてしまうところが悔しいですね。
だからこそ自分の好きなところは自分で褒めてあげたいし、自分が1番の自分の理解者でありたいなあって感じます。
そうやって今日もコンプレックスと向き合っていくという今日も深夜1時の呟きでした。
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