見出し画像

呪いみたいなものを解く

親に教えられたこと


子どもの頃に親によく言われた。
「男なんだから泣くな、弱音を吐くな」と。
小学生の頃、イジメっ子に叩かれたことがあった。
必死で親に助けを求めた。
でも「我慢しろ、甘えるな、男ならやり返せ」と簡単に片付けられた。

親は私に「勉強しろ」と何度も叱ってきた。
しぶしぶ勉強を始めるとわからない部分があったので親に聞いてみた。
親は「授業を聞いていないのか、なんでわからないんだ」とさらに私を叱った。

親は私の態度が気に入らないとすぐに怒鳴り声をあげ、殴る蹴る、投げ飛ばす、壁に叩きつけるなどの暴力を振るってきた。

私は次第に「誰にも助けてもらえないんだ」と割り切るようになった。
そうすることで自分を守った。
いつの間にかそれが当たり前になり、人に助けを求めなくなった。
助けを求めることは悪いことだと考えた。
子どもながらに生きづらさを感じていた。
でも人に助けを求める方法がわからなかった。

助けてが言えない

人に助けを求めない。
つまり自分で何とかするしかない。
だから自分で調べて行動する癖がついた。
それはメリットだったと思っている。

でもデメリットの方が大きかった。
本当の窮地に立たされた時も人を頼れない。
だから問題をすべて自分で抱え込む。
そして自分が壊れてから問題が露呈する。
この結果、周りに迷惑をかける。

人を見下していた?

最近、色々と考える時間が増えたおかけで気が付いたことがある。
私は人を頼れなくなったのではなく、人を信じられなくなったのではないかと。
「どうせ自分以外の人間には問題を解決することができない」と人を見下していたのではないかと。

今まで自分についてちゃんと考えたことがなかった。
理不尽だと感じつつ、親の価値観も疑ったことがなかった。

「男だから泣いてはいけない、弱音を吐いてはいけない、人に甘えてはいけない」

…なんで?
誰が決めた?いつどんな理由で決まった?
守らなかったらどうなる?
今まで常識だと思っていたことに疑問を感じるようになった。
停止していた思考が働きはじめた。

人に頼ることは悪いことではない。
実際に助けてくれる人はいる。
今ならそう思える。

呪いみたいなもの

「社会人だから、親だから、男だから、女だから」
そういう固定概念に縛れている人は多い気がする。
親にそうやって教えられた人は特に。
そういう言葉は簡単で使いやすい。
でも自分の自由と行動を簡単に縛り付ける。
次第に他人にも強要する。
それは呪いみたいなものに感じる。

ゲームで主人公が呪いにかかったら、どうにかして呪いを解こうとする。
でも自分自身にかかった呪いみたいなものは解こうとしなかった。
ゲームならできることが現実だとできない。
他人にできることが自分にはできない。
なぜか?
それは、悪いものだと認識していなかったことと、自分を大事にしていなかったからだと思う。

自身を俯瞰することは重要だと思う。
俯瞰すれば、自身にかけられた呪いみたいなものは解いた方が良いと思える。
つまりは気にしないようにすること。
私が言っていることが正しいことかはわからない。
もしかしたら、親の教えの方が正しいのかもしれない。
でも、私の人生の主人公は私だ。
好きなように考えて生きていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?