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楽趣公園(ルーチー・コンユァン)-HANABI 前編-

ふぐ鍋

 

「先輩。家でふぐ鍋なんて初めてよ」

「ふぐ料理屋やってる従弟に電話したら、パンデミックの煽りで休業中だったんだよ。頼んだら出張でやってくれるって言うから来てもらったけど。あんた達、運が良いよ。こんなご時世だから食べられないと思ってたんだけどね」

「でも、ふぐ鍋って冬もんだと思ってましたけど、中々美味しいわね」

「夏ふぐって言うのもあるらしいよ。いつでも美味しいって従弟が言ってたよ」

「あたし。初めて食べました。美味しいですね。洋輔は食べたことあるの?」

「一度だけ。大阪で食べたよ」

 想は藤木の膝の上で愛梨がよそった小皿の中のふぐを箸で突きながら遊んでいる。

「想。食べ物で遊んじゃ。はい。あーんして」

 愛梨は細かく食べやすく分けたふぐを、想の口に入れた。

「おいちい」

 嬉しそうに笑いながら想は口をもぐもぐさせた。

「はい。朗君も食べて」

 キジトラを抱きながらキョトン顔の朗の口に愛梨はふぐを食べさせた。

「おいしい?」

 朗はふぐを噛みながら笑顔で頷いた。

「恵美ちゃんの具合はどうなんだい?」

「今日は来るって言ってたんですが、直前でダメだったみたいで。彼女のお母さんが恵美先輩に付き添ってます」

「そうかい。お母さん、早く良くなると善いねえ」

 真由美はそう言いながら、朗の頭を撫でた。

「サミー。遠慮しないで食べてるかい?」

 真由美の気遣いを純太が通訳すると、サミーは満面の笑みを彼女へ向けた。

「鍋も美味しいけど、ひれ酒が気に入ったみたいですよ」

「従弟の自家製だからね。注ぎ酒は、二、三杯いけるから。飲みたかったら言いな」

 二人は、注ぎ酒のお代わりを頼んだ。

 そして、それに続いて柄にもなく遠慮気味に藤木も頼んだ。

「ちょっと、洋ちゃん。飲みすぎないでね」

 愛梨の尻に敷かれている洋輔に、他の面々は苦笑する。

 そしてキジトラキャットは、大欠伸をすると朗の膝の上で居眠りを始めた。

 

告白の風景

 

 坂本園から帰り道。

 酔い覚ましを兼ねてそぞろ歩きする純太とサミー。

 お盆前の夜は熱帯夜だが、時折過る風に秋の気配が感じられる。

「結構飲んだね」

「うん。ひれ酒。初めて飲んだけど美味しかったよ。純太は飲んだことあるの?」

「何度かね。日本酒を出す店で。でも自家製のヒレだから味が濃厚で美味しいよ」

 サミーが純太の手を握った。

「どうしたの?」

 サミーは何も答えず、握る手を強めたり緩めたりしている。

「変なの」

 少し照れながら純太がそう言うと、サミーは彼の手を引っ張りながら言った。

「少し公園で涼んで行こうよ」

「サミー。涼むって熱帯夜だよ」

「大丈夫」

「マンションまで一分で帰れるよ。その方が涼しいと思うけど」

「嫌かい?」

「嫌じゃ無いけど、蚊に刺されるし」

「大丈夫」

 純太の返事を待たず、サミーは純太を公園へ連れて行った。

             *

 入口付近の自動販売機で水を買い、広場を見 渡せるベンチに座って二人は水を飲んだ。

 広場の片隅で親子が花火をしている。

 そこから少し離れたところにあるベンチに大学生の男女のカップルがイチャイチャしていた。

「あれっ?」

「純太。どうした?」

「あそこのカップル、見たことあるなぁ」

「知合い?」

「違うけど…」

 そうだ、あの二人は楽趣公園の朝の散歩を初めて間もない頃、キジトラキャットを追いかけていた時、奴と対峙していたカップルだった。

 その様子を思い出して、純太はサミーに話した。

「彼女の方が、きゃー可愛いなんて燥ぎながらキジトラの奴に駆け寄ったんだけど、奴にスルーされてたよ。彼氏の方はちょっと困り顔でオロオロしてさ。なんだか面白いカップルだったよ」

 花火を終えた親子が、後片付けを済ませて公園から出て行く。

 辺りは虫の音だけの静かな夏の夜となった。

 サミーは純太の手を握り続けながら身体を彼に寄せている。

 純太は苦笑しながら言った。

「サミー。汗だらけだよ」

「そう?」

「全然、涼めてないし」

「熱帯夜だかね」

「バカじゃん」

 二人、笑い。

「あっ。二人。見て」

 サミーが小声で言い、二人は大学生カップルを見た。

 彼と彼女は抱合ってキスをしていた。

「何だか初々しい。出会った頃って、俺たちもあんな感じだったのかなぁ」

「うーん」

 サミー、思わせ振り。

「そうだったでしょう?」

「秘秘」

「秘密って何?」

 サミーは笑って誤魔化した。

「ねえ。サミー?」

「うん?」

「母さんがさ、サミーをちゃんと紹介して欲しいって」

 サミー、純太を見つめる。

「ダメ?」

「ううん。良いよ」

「大丈夫?」

 サミーは握っていた純太の掌を自分の胸に当てた。

 純太の掌にサミーの激しく打つ鼓動が伝わった。

「大丈夫」

 純太、彼の顔を見つめる。

「でも、もの凄くドキドキしてる」

「大丈夫。心配しなくても。俺も付いてるから」

 ちょっと困った顔つきでサミーは純太に言った。

「うーん。それが一番心配」

「何だよ。それ…」

 サミーは、純太を抱きしめた。

 

純太の実家

 

 仁美が運転する車中。

 助手席の真由美は、バックミラー越しに後部座席の純太とサミーをチラ見し続ける。

 二人とも少し改まった感じのサマージャケット姿で座っているのだが、どちらも緊張しているが見て取れた。純太はまだしも、サミーは緊張の極みらしく表情も硬い。

「やれやれ…」

「ま、真由美さん。どうかしました?」

「二人とも暑くないのかね。この暑い盛りにジャケットに長ズボン。革靴まで履いて」

「あら真由美さん。二人とも似合ってるし、お洒落でカッコイイですよ」

「相手の親の所へ結婚の挨拶に行くみたいじゃないかい」

 真由美は、からかい気味に茶化して言った。

「分ってるくせに。あまり二人をいじめちゃ可哀そうですよ」

「別に悪気はないよ。サミーがガチガチだから緩めてやろうと思ったまでさ」

「真由美さんに言われたら益々固くなっちゃいますよ」

「何だよ。それは?」

「はい。そろそろ着きますよ」

             *

 純太の実家は、近隣の中では大きい純日本家屋である。

 彼が小学生の時、遊びに来た友達は玄関を見てお風呂屋さんと言い、家の中に入ると部屋数が多くて迷うことから忍者屋敷と言われた。

 サミーはそんな外観を見上げていたが、彼の緊張度がもう一段上がったことは言うまでもない。

「サミー。緊張し過ぎ」

「えっ。でもさぁ…」

「サミー。ゆっくり深呼吸しよう」

 サミーは純太に言われるまま数回、深呼吸。

「少し落ち着いた?」

 サミー、小さく数回頷く。

「今日、サミーを紹介することはお袋に伝えてあるし、君の事は俺以外にも老板や太太から聞いているから心配ないよ」

「そうかなぁ…」

「それにさ、今日は仁美さんがお茶の稽古の見学も兼ねてるから。真由美さんも居るから大船に乗った気持ちで居れば良いよ。だからリラックス。リラックス」

 純太の笑顔に答えようとサミーも笑顔を作るが、まだ固くぎこちなさは抜けなかった。

「さぁ。入りましょうか」

 純太は玄関を開けた。

「あら。ここの玄関、広いのねぇ…」

 そう言って仁美がキョロキョロ眺めていると、純太の母が面々を迎えた。

「あら。皆さん。いらっしゃい」

 着物姿の純太の母親、佐和子へ面々の視線が集中する。

「えっ。どうなさったの。皆さん、早く上がって」

 真由美に伴われて仁美が上がった。

「先生。こちらがお話した長野さんです」

「長野です。初めまして。宜しくお願い致します」

「こちらこそ。ご足労頂きまして。さぁ。中へどうぞ」

 仁美は真由美と一緒に奥へ行った。

「純太。何やってるの。早く上がって」

 佐和子に即され純太が隣のサミーを見ると、彼は直立不動に立っている。

 そして突然、彼は挨拶を始めた。

「はっ、初めまして。サミー。あっ、いや陳柏睿(チン・ボウルイ)と申します」

 そう言うと彼は、直角に腰を曲げて頭を下げて挨拶する。再び、顔を上げた時の彼の表情は硬く緊張の極み。

 悪いとは思いつつ、そんな彼を見ながら純太はクスッと笑った。

 ちょっと面食らった佐和子だったが、彼の生真面目さを感じ取ったのか彼女も息子動揺にクスっと笑い、穏やかな笑みを浮かべて言った。

「初めまして。純太の母です。さぁ。上がって下さい。ほら。純太。ちゃんと案内しなさい。サミーさんも自分の家だと思って寛いでね」

 純太はサミーの肩に手を回して、コチコチに硬くなっている彼を優しく即した。

             *

 真由美さんの点前を見るのはその日が初めてだったが、結構スムーズに薄茶点前をしている。

 純太は、彼女の上達ぶりに舌を巻いた。

 上座に仁美、末座にサミーが正座している。

 純太は二人の間に入って、お菓子の食べ方やお茶の飲み方を教えた。

 仁美さんは、女子高でお茶をやっていた経験があり、純太がひと言、二言伝えればサラサラと対応できた。

 だがサミーは、全くの初心者。

 自然と純太が、手取り足取りでサミーにレクチャーとなった。

「サミー。お菓子は箸で懐紙の上に載せて食べるんだよ」

「懐紙?」

「この紙の束を懐紙って言うんだ」

 サミーは懐紙を手に取ると表にしたら裏返して見たらと興味深く見ている。

「折り目を自分の方へ向けて、一番外側の一枚を折り返すんだ。そうしたら自分の前に置いて、箸でお菓子を取って懐紙の上に載せると」

「こう?」

「そうそう。箸の先が汚れてるから、菓子の隅に置いて、角を三角に折って拭いて」

「こんな感じ?」

「そう。初めてにしては上手だよ」

「うん。拭いたらどうするの?」

「先ず、菓子器の蓋をして」

「こう?」

「OK。そうしたら蓋の手前から三分の一くらいの所に箸を揃えて横に置く」

 サミーは箸を置いた。

「そうしたら菓子器を少し左側に寄せて置くんだ」

「えっ。どうして?」

「前に置くと、お茶を取りに行く時に邪魔だからね。予め脇に寄せて置くのさ」

「ふーん。次の事も考えてるんだね」

「うん。それじゃあ懐紙を両手で持ち上げ、お皿として使ってお菓子を食べる」

 サミーはお菓子をジッと見つめている。

「どうしたの。食べないの?」

「どうやって食べるの?」

 純太は右手を上げて言った。

「手で食べる」

「手?」

「女性は菓子切りって道具を使うんだけどさ、男性は手で食べるんだ」

「どうして?」

「そう教わったからね」

「ふーん」

「まぁ、食べてみて」

 サミーはお菓子を摘んで眺めている。

「因みに今日のお菓子は『祭りはなび』って名前だよ」

「まつりはなび?」

「夏祭りで打ち上げる花火だよ」

「あぁ。その花火ね」

「練り切りの皮に花火の絵があるだろ」

「成程ね。皮に包まれている黄色いのは何?」

「黄味餡だよ」

「きみあん?」

「卵の黄身を混ぜて作った餡だよ」

「餡子ね」

「その黄色で花火のパッと散った明かりを表現してるいるんだと思うよ」

「へえー。趣向が凝らしてあるんだね」

「ここの黄味餡は美味しいよ」

「そう?」

 一口で食べようとするサミーを純太は慌てて止めた。

「あぁぁぁぁ。ちょっと待って」

 サミー、小首を傾げて純太を見る。

「何口かに分けて。味わって食べてね」

「うーん。そうなんだ?」

 そう言いながらサミー、一口食べた。

「うわッ。美味しい」

             *

 仁美、純太に続いてサミーの薄茶が出された。

「サミー。座ってて。僕が代わりに取って来るから」

 そう言って純太は立ち上がる。

 そして茶碗を持って戻ると、それをサミーの前に置いた。

 サミー、茶碗を見つめている。

 そして彼は、純太の顔を見るなり言った。

「どうやって飲んだら良いの?」

「先ず、ちょっと頭を下げて『頂戴します』って言いながら挨拶をするんだ」

「頂戴致します」

 頭を上げたサミーに純太は言った。

「右手で茶碗を取って左手の掌の上に載せて、ちょっと持ち上げる」

「こんな感じ?」

「そんな感じ。上手いよ」

「何でこんなことするの?」

「押戴くって言う所作でさ、お茶を作ってくれた人たちへの感謝の意を表してるんだ」

「ふーん」

「そうしたら茶碗の正面を二回に分けて左に回して、正面が左真横に向けるんだ」

 サミーはぎこちない手つきで茶碗を回す。

「何で回すの?」

「お茶碗の正面を汚さないためだよ。亭主が一番見せたいと思っている部分が正面だからね。そこを綺麗に扱うことで、亭主に敬意を表すのさ」

「ふーん。ところで亭主って、旦那の事?」

 純太、ちょっと呆然。

 純太以外の面々は思わず笑った。

 ちょっと気を取り直して、純太は答えた。

「亭主っていうのはお茶を点てた人の事だよ。ここでは真由美さんだね」

「ああ、そういうことね」

「さぁ、一口飲んでみて」

 サミー、恐る恐る薄茶を口にする。

 最初は、何となく渋い顔。

 でも間もなく、サミーの表情がパッと明るく変わる。

 そして彼は、ちょっと興奮気味に言った。

「純太。これメチャ美味しいよ」

 薄茶を点てた真由美と佐和子が、ホッとした表情になった。

 ところがその時、仁美が急に大声を上げた。

「あっ。あぁ。ちょっと。あっ、足が、痺れた…」

「あらあら。無理しないで。足、崩して良いわよ」

 和やかな時が流れている。

             *

 点前が終わった後、庭を見たいと言ってサミーは外へ出た。

 その彼の元へ、佐和子が歩み寄った。

「やっぱり、外は暑いわね」

「そうですね」

「ジャケット。脱いだら?」

「大丈夫です。ここは木陰で涼しいですから」

「そう」

「中国語。お上手ですね」

「そうでも無いわよ。難しいことは聞き取れないし、話せないし。純太の方が流暢よ」

「はい。中国語は純太から?」

「いいえ?」

「では、どうやって?」

「老板さんや太太と台湾や東京で遊んでいる内に何となく覚えちゃったの」

「凄いですね」

 佐和子は屈託なく笑いながら言った。

「あの子は教えてくれないのよ」

「えっ、どうして?」

「きっと、私に気を使っているのね」

「…」

「私の子供の頃ね、近所に中国と韓国の人が住んでいたの。私の母は、あの独特な賑やかさが肌に合わなくて毛嫌いしてたのよ。その影響で私も、中国や韓国の人を嫌厭していたのよ。だから、あの子にも何となくネガティブなイメージを与えちゃったのね。でも純太は中学に入った時に中国語を勉強したいって言ってね。でも、私が良い顔しないのわかっていたから、目につかないように勉強していたみたい。私の目につくところでは英語の勉強に勤しんで、隠れて中国語を勉強。私が嫌がると思ったのね」

 庭の真ん中にある紅葉を見上げながら佐和子は続け言った。

「この紅葉ねぇ、ここの庭を作った時にあの子が植えたの」

 サミーも紅葉を見上げる。

「あの子って、ああ見えて意外と頑固なの。嫌なことや、納得のいかない事は絶対にしないし。好きなことや、やりたいと決めた事は絶対にする。でも、そんな風でいて気遣い屋さんだから、他人の気分を害さないように振る舞うから、意外と溜め込むのね」

「変なところに我慢強いです。もっと自由に発散すれば良いのにね。だから僕は、彼がそうならないように気遣います」

「サミーさんは、あの子の良き理解者なのね」

 二人、笑う。

「純太って、子供の頃から茶道を習っているのですか?」

「幼稚園の頃からよ」

「そんな歳からやってるんだ」

「だから人に教えられるレベルで、先生の資格も取っているのよ」

「あいつ。お茶の先生、やれば良いのに」

「そうね。きっと向いてると思うわ」

 佐和子、ちょっと寂しげな表情を一瞬過らせる。

 そんな彼女を見て、サミーが言った。

「先生。しないんですか?」

「時々、時間が開いた時に手伝ってくれるわよ。でも、本格的にお茶の先生業をしようとは思っていないみたい」

「どうしてかなぁ?」

「私ね、純太が茶道に勤しむことについて誤解していたのよ」

「誤解ですか?」

「物心つくか、つかないような幼い内から稽古を始めたし。無理強いしたこともないし、自分からやりたいって感じで稽古を続けていたから、好きなんだろうなって思っていた。だから私も、将来はこの稽古場を純太が引き継いで、純太の子供や孫が茶道をするようになったら好いなと思っていた。でもね、私の勝手な願望が純太の重荷になっていたのね」

 サミーは、話し続ける佐和子を静かに見守った。

「私ね。父を早くに亡くしたの。母は、再婚せずに女手一つで私を育ててくれたんだけど、私の中には『家族』とか『家』に対する憧れや想いが人一倍強いところがあるのね。だから純太が生まれた時、自分が思い描くような『家族』や『家』が築けるって思った。でも、私の身勝手な願望が純太を苦しめる結果となってしまったのよね」

「でも純太は、お母様のことを深く愛していますよ」

「ええ。そうなの。純太は優しい子なのよ。だから私をガッカリさせたくなかったし、私や主人を傷つけまいと我慢して、本当のあの子ではない、言い方は良くないけどいわゆる『普通』という姿で日常を振る舞い続けさせてしまった。それが、あの子をどんなに傷つけるかなんて考えもせずにね」

 佐和子が淡々と語るだけにサミーには、彼女の言葉がより深く心に突き刺さった。

「そこまでご自分を責めなくても…」

「そうじやないの。サミー。責められるべきは全て私なのよ」

「…」

「私ね、あの子がゲイかもしれないってかなり早くから感じ取っていたのよ」

「えっ。それって、いつからですか?」

「幼稚園の頃から」

「そんなに早くから?」

 茶庭の前に広がる借景の雑木林で、油蝉がジリジリと鳴いている。

「私が産んだ子だもの。解かるわよ」

「…」

「でもね。その事を認めたくなかったの。それは純太の一時の気の迷い。どんな子でも同性への興味本位。時が経てば『普通』に戻るって信じてた。いいえ。信じたかったのね。だからね、私は、あの子の母親にも関わらず、在りのままの純太に向き合いたくなかった。見ないで済ませようと思った。いいえ。そうじゃ無いわ。私はまだ、正直に語っていない。そうじゃ無いの。あの子の在りのままを受け入れ、認めてしまったら。純太が私の手の届かない所へ行ってしまうと、心底から恐れたわ。変でしょう。でもね、本当に怖かったのよ。だから必死だった。そうならないようにするにはどうしたら良いかって。あの子が手元から離れないように、繋ぎ止めて置けるようにって。笑われるかもしれないけど、この家も、茶道も。あの子を繋ぎ止めるためにも利用した」

「お茶で繋ぎ止める?」

「バカよね。でも、あの子は茶道を自分から始めたの。自分の意に沿わないことは絶対にしないあの子が、誰に勧められるでもなかったのにね。それならば茶道を教え続ける限り、あの子は離れて行かないと思ったのよ。でも浅はかな考えだった。そんなことをしても純太を縛りつけることはできないし、どう抗おうとも、あの子は自分で歩いて行く」

 そして佐和子は、遠くを見るような眼差しで紅葉を見上げると言った。

「自分がゲイだとあの子から打ち明けられた時、自分の非力を痛感させられたわ」

 佐和子の表情からは苦渋が滲み出ていたけれども、同時にどこか吹っ切れたような安堵にも満ちていた。

「カミングアウト。純太が大学二年生の時でしたよね」

「知ってるのね?」

「彼から聞いています。辛かったけど、楽になったと言ってました。一方で悔やんでもいました。墓場まで持って行くつもりの荷物を母に背負わせ換えただけだったって。その為に母を苦しませてしまったと。言わなきゃ良かったと後悔していると。でも僕は、その時彼へ、それは違うと言ったんです。誰かに違う苦しみが始まるかもしれないけど、それは純太が自分の生き方を始めるために必要なことなんだと。そして、それはストレートとかゲイであるとかに関わりなく、誰もが通過するに違いないことなんだと。だってそれは、親から独り立ちする時に大なり小なり生じる葛藤に他ならないですから」

「そうね。そうなのよね。あの子のカミングアウトで私は苦しんだし、自分を責め続けた。でもその果てで、あることに気がついたのよ。あの子もまた、私と同様の苦しみの中で生きてきたんだなってね。彼が不条理に受けてきた苦しみに比べたら、自分の苦しみなど高が知れていると。不思議なものでね、本当のあの子へ向き合い受け入れると覚悟した時から、何かが変わり始めたわ。それまで心に描き、夢見た願望や想いを諦め、捨てるしか無かったけど老板や太太、あなたも含めて新しい出会いに恵まれた。お陰でつまらない拘りや偏見からも解放された。呪縛からあの子を解き放って。あの子が自分らしい生き方を歩めるようになって、私もまた自由になれたの。良かったと。今は、とても感謝してる」

「そうですか。良かった」

「でも感謝しつつも、今日まで自信が持てなかったのよ」

「自信が持てなかった?」

「そう。あの時に始まった受容と解放が、純太にとって本当に正しかったのってね」

「…」

「今日の稽古場での純太があなたへ熱心に教えている様子やサポートする姿を見て、これで良かった、正しかったんだと確信できたわ」

「そうなんですか?」

「嬉しそうにしながら楽しく熱心にお茶を教えるあの子の姿を、今日初めて見たもの。あの子はサミーのことが本当に好きで、あなたと一緒にいることが一番の幸せなんだなって解った。そして、それが純太の歩むべき人生なのだとね」

 佐和子はサミーの手を握ると、彼の目を見て言った。

「サミー。純太の事を頼むわね」

「はい。任せて下さい」

「そして忘れないで。今日からあなたは、私にとってもう一人の息子よ」

「佐和子さん…」

「違うでしょう。お母さんよ」

「はい。お母さん」

 そこへ、純太が姿を現した。

「母さん。サミー。何やってるの?」

「サミーと二人で、あなたの悪口を言っていたのよ」

 そう言って佐和子は長身のサミーの顔を見上げると、軽くウィンクして見せた。

「そうでしょう。サミー?」

「うーん。そうそう。悪口で結構盛り上がってたよ」

「はい、はい。俺の悪口で二人が意気投合できるなら、平和で結構なことですよ」

 少し拗ねた顔の純太を、二人は和やかに笑った。

「ああ。そうだ。言い忘れてた。早く家に入ってよ」

「どうしたの?」

「仁美さんが持ってきたケーキ。切り分けたんだ。みんなで食べましょうって」

「あら。良いわね。直ぐに戻るわ」

「早くね。熱中症になられても困るからね。早くねッ」

「わかったわよ」

 純太は先に戻った。

 彼の後を追うように歩み始めた佐和子を、サミーは呼び止めた。

「お母さん」

 佐和子、立ち止まって振り向く。

「サミー。どうしたの?」

「純太のことですけど」

「純太?」

「はい」

「純太がどうしたの?」

「あいつ、きっと…」

「うん?」

「茶道。嫌いじゃないから。心配しないで下さい」

「…」

「以前に一度。茶道をどう思ってるのって聞いたことがあるんです」

「それは、純太にとって茶道がどんな存在なのかってことかしら?」

「はい」

「…」

「あいつ。面白いことを言ってました」

 

『たかが一杯の茶を飲むのに道具を選び。準備し。七面倒くさい点前はしなきゃならん。茶を待っている間に足は痺れる。やっと飲めたお茶は苦くてさ。好い事なんてお菓子を食べるくらいかな。まぁ、でもさ。こんな事。好きでなかったら絶対にやらないでしょう』

 

「その時、純太の奴。とても嬉しそうに笑って、そう言ってましたよ」

「…」

 佐和子は何も言わず、サミーの話を聞いていた。

 そして彼女は、純太が植えた紅葉を改めて見上げる。

 彼女の瞳が潤み、眦から一滴の涙が溢れ落ちた。

 袂から取り出したハンカチで、佐和子は涙を拭った。

「イヤーねぇ。汗かしら」

 そして彼女は、穏やかな笑みを彼に向けて言った。

「やっぱり、ここは暑いわね。早く家に入りましょう」

 佐和子はサミーの手を取って、みんなが待つ家へ戻って行った。

 

 

 

(END:「楽趣公園 ―HANABI 前編―」)

(次回作:「楽趣公園 ―HANABI 後編―」)

(次回作アップ予定:2022.1.7予定)

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