お読みいただきありがとうございます! 神社、たまにはお参りされてますか。観光地にもなり人でにぎわっている神社、地域の丘などにあるひっそり静かな佇まいの神社、住宅街にちょこんと建っている小さな祠。家と家の間に突然建っていたり、お寺と一緒になっていたり(そもそもお寺と神社の違いが分からなかったり)、歴史上の「人物」が祀られていたり。日本人にとって神社はそこら中に当たり前にあって馴染み深いけれども、少し掘り下げて考えてみるともやもやっとなる不思議なスポットではないでしょうか。
この石段が魅力的だった稲荷神社 前回の記事でしたためた真幡神社(黄幡社)から黄金山という山の麓を時計回りに少し歩きますと隣町(西霞町)の裏路地に不思議な佇まいの神社がございます。こちらも小学生時分によく一人で遊びに来ていた神社で、長い石段とそれを登った先にある境内の『見えない何かが居そうな狭く薄暗い空間』が好きでした。 石段を登ると狛犬さんがお出迎えしてくれます。 十軒屋稲荷神社のご由緒書きご由緒書き1/2 十軒屋稲荷神社の由緒書きは2つございます。一つめの由緒書
令和六年五月二十五日、子供時代から馴染みの深い神社へ散歩がてらお参りしてきました。 ようやく半袖でないと暑いくらいになり夏の足音が聞こえてくる様です。 小学生時分、境内で遊んでいたのはもう四十年ほど前になります。そのノスタルジーも相まって天気の良い日に歩いて来るとほっこりできる場所です。 日本人の多くの人が思い当たるところのあろう、そんな地域の氏神さま。真幡神社はそんな神社です。 なぜか呼び名は「おうばんさん」 実はこちらの正式名称が真幡神社だと知ったのはほんの数
悠久の時の流れの中の今 神道思想に『中今』(なかいま)という考えがあります。過去と未来を意識した中間にある今のことで、遠御世(とおつみよ:昔)からつながる今頃を捉えて言う事もあります。 刹那的、個人的な意味合いで言うところの「今を大切に生きる」とはニュアンスが違って、いまこの時を紡いできてくれた先人やご先祖様への感謝と未来の子孫の為をも想って今を精一杯生きようという思想だと認識しております。 合理的になると鍛錬されないよ 今の状況をみて合理的に判断することが必要なことも
護国の英雄の姉上様の遠流地 令和六年五月二日、天気が良かったので妻とドライブがてら(片道約75km)、広島県三原市にある御調八幡宮へ参拝してきました。『御調』は『みつぎ』と読みます。(確か難読地名だったと思います。) こちらは和気広虫姫(わけのひろむしひめ)様が道鏡事件のとばっちりで遠流された地に創建された神社です。 豊かな自然の中に建つ神社で初夏の新緑が心地の良い参拝でした。 法均尼(広虫姫) 広虫姫は天平二年(730年)から延暦十八年(799年)を生きた奈良時代
水分と書いて、 みくまりと読みます。 今回は広島市府中町にある『みくまり峡』と呼ばれるピクニックやデイキャンプで賑わうスポットにご鎮座される水分(みくまり)神社の由緒書きを読んでみたいと思います。 水分峡近辺は初代神武天皇とのご縁が深い地域です。日本国をひらく折、日向(宮崎県)から大和(奈良県、御即位は橿原市)への東征の途中に阿岐(明)の国に宮を置いたと言われるのがこの界隈です。日本を建国してくださった初代天皇に想いを馳せられる私のお気に入りスポットであります。
先日、息子が部活で大きめの怪我をしてしまい学校へ迎えに行った際に久しぶりで広島の三輪明神へもお参りしてきました。 こちらは奈良県桜井市に坐します大神神社(おおみわ)の広島分祀になります。大神神社は三輪山を神体山とする古代山岳信仰の神社です。本殿はなく拝殿から三輪山を拝する形になります。そうしてみると広島の三輪明神も山(見越山)を拝する形になっておるように見受けられます。Googleマップのリンクを貼っておきますのでご覧ください。但しこれは私の勝手な解釈ですので間違って
比治山(ひじやま)と読みます 今回は広島市南区比治山町の比治山神社へお参りに来てみました。こちらは広島市民に馴染み深い比治山という丘の麓におわしますお社です。 比治山の標高は71.1m。少し登ると御便殿跡の広場があり桜の名所としても人気がございます。毛利元就は広島城の候補地の一つにしていたという説もあるそうです。原爆の際には破壊された広島県庁が当日のうちに臨時でこちらに移されたりもし、被爆者が多数この山へ避難されました。神社の反対側の麓には縄文時代の貝塚もみつかっておりま
コンビニエンス厳島神社 令和六年三月二十九日の広島市は春雨があがり快晴の一日でした。雨の前と比べて急に暖かくなり、上着を一枚多く着て出た形になってしまって無駄な手荷物が一つ増えました。 そんな中でこの日は広島市中区広瀬町におわします廣瀬神社へお参りしました。 廣瀬神社には安芸の宮島におわします厳島神社の主祭神である宗像三女神といわれる三柱(日本の神様は一柱、二柱…と数えます)の女神さまが祀られております。室町時代までにはこの辺りに廣瀬荘という集落が営まれていたようで