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【十軒屋稲荷神社】江戸時代の干拓で開かれた郷の社(広島市南区西霞町)


この石段が魅力的だった稲荷神社

 前回の記事でしたためた真幡神社(黄幡社)から黄金山という山の麓を時計回りに少し歩きますと隣町(西霞町)の裏路地に不思議な佇まいの神社がございます。こちらも小学生時分によく一人で遊びに来ていた神社で、長い石段とそれを登った先にある境内の『見えない何かが居そうな狭く薄暗い空間』が好きでした。

こちらがその長い石段になります
上から見たところ。
吸い込まれそうなスリリングさがたまらなく、意味もなく登ったり降りたりしていました。

 石段を登ると狛犬さんがお出迎えしてくれます。

十軒屋稲荷神社のご由緒書き

ご由緒書き1/2

 十軒屋稲荷神社の由緒書きは2つございます。一つめの由緒書きは石段の下、参道入り口の脇にございます。

稲荷神社の由緒書き

 二つめは、さらに詳しい内容のものが拝殿に貼付されています。後ほどそちらを読んでいきたいと思います。
 参道入口には被爆建物の案内板もございます。

十軒屋稲荷神社の場所

 爆心地は原爆ドームの辺り、そこから3Km強の場所に当神社はございます。爆心地から距離があったことと比治山があったおかげでこの辺りは原爆の被害が市内中心部ほどではなかったようです。そのため原爆により灰燼に帰した広島市中にありながらも黄金山近辺はそれ以前の古い町並みの名残や郷土文化を多く残している地域だということです。

 ところで上の地図に引いた青い線は大雑把な江戸時代中頃の海岸線です。後ほど当記事の本題である由緒書き解説の参考として引きました。
 この線に沿うような形で原爆復興の象徴とも言える平和大通り(百メートル道路)が敷設されています。平和大通りでは毎年ゴールデンウィークの三連休(5月3・4・5日)にフラワーフェスティバルが開催されています。
 毛利元就の孫の輝元公が埋立や干拓をして広島城を築城して以来、埋め立てが進んで現在に至ります。ちなみに現在でも埋め立ては進んでいます。近年砂浜は陸側へ後退している所が多いですが広島の行政用地の埋立地は海側へ前進し続けているところに人間の業の深さを感じてしまいます。

由緒書き2/2

 それでは当記事の本題、2枚目の由緒書きを見ていこうと思います。まずは拝殿をご覧ください。

十軒屋稲荷神社の拝殿

 拝殿の左の壁面にある貼り紙、こちらが本命の由緒書きになります。

由緒書きその2

十軒屋稲荷神社

御祭神
宇気母智神(うけもちのかみ)

由緒
 寛文二年(西暦一六六二)仁保島と比治山が干拓により陸続きとなる。その後、元禄五年(西暦一六九二)広島藩四代藩主浅野綱長侯が比治山のお茶屋谷に茶亭を新築され、茶亭から前方に見える山麓附近の眺望を良くするため、蒲刈島から農家十軒をこの地に移される。これより当地を十軒屋と呼ぶようになる。
 その後、元禄十二年(西暦一六九九)頃附近一帯の新開地には田畑が広がる。村民は農作物と、豊漁を祈ると共に家内の反映を願うため宝暦元年(西暦一七五一)京都の伏見稲荷大社から熊鷹稲荷大明神を勧請されたのである。
 現在の稲荷神社本殿は明治十八年(西暦一八八五)二月二十七日に再建され、昭和十一年二月社殿の改修、戦後の昭和二十二年九月原子爆弾の爆風により破損した箇所の補修が行われ、昭和六十二年三月神社の拝殿が建て替えられる。
 当稲荷神社は五穀豊穣を守護する農業神、商売繁盛、家内安全、子孫繁栄、学業成就の神として信仰されている。

例祭日
旧暦二月初午、邇保姫神社宮司によって神事がとり行われている。
(現在の例祭日は旧暦二月初午より前の日曜日となっている。)

十軒屋稲荷神社の由緒書きより

「け」は食べ物を表す音

 御祭神のウケモチの神は日本書紀に登場する神様です。とある経緯でツクヨミに斬り殺された死骸から五穀の種子他が生じて人間の食べ物の由来となった伝説をもちます。
 古代以前の日本語は音が意を含みます。「ケ」「ウケ」「ウカ」というのは食べ物を表す音です。
 例えば伊勢の神宮の下宮に祀られている豊受大神。ウケは食べ物を表し「トヨ」はそれに掛かる美称で主にたくさんとか大きいとかを表す音だったと思います。
 稲荷神社の御祭神であるウケモチの神も上記の通り食べ物の神様です。また転じて商売繁盛も司る神様として崇敬されています。

仁保島と比治山が干拓で陸続きに

 先ほどのマップに引いた青い雑な線がここで活きてきます。
 仁保島というのは現在の黄金山という山のことで、その北西の麓辺りに稲荷神社がございます。そしてこの辺りが蒲刈島から移民してきた人々が開いた集落『十軒屋』であったということになります。
 十軒屋稲荷神社の北西に比治山があり、その麓あたりまで寛文二年の干拓までは海や沼地だったようです。
 荒涼な干拓地に家が建ち樹木が植えられ路が開かれていく、領地が発展してゆく様をみて浅野の御殿様は喜ばれた事でしょう。リアルシムシティと言ったところでしょうか。

お稲荷さんが勧請される

 そうして人々の営みがなされるようになると決まって伏見稲荷大社からお稲荷さんが勧請されてきます。
これが「伏見稲荷大社は全国のお稲荷さんの総本山」と言われる所以でしょう。
 何はともあれ人間たるものおまんまを頂かないわけにはいきませんから食物の神様に豊作を祈るのは当然と言えば当然でしょう。

原爆の爆風に耐えた本殿と渡殿

 由緒書き1/2にあった被爆建物は拝殿の向こう側にございます。

拝殿に向かって左側に奥へ進む階段がございます
渡殿
その奥が本殿と思われます

 原爆の爆風に耐え、補修を受けながら今も立派に立っている本殿を思うと、その忍耐強さにあやかりたい次第でございます。

最後にご利益をお披露目

 由緒書きの終盤に「学業成就」とございましたが実は私、大学受験の数日前に自宅の最寄りの神社であったこちらへお参り致しました。たいして勉強していなかったのですが希望の大学に見事合格!
 そしてさらに最近では神社検定(壱級)の合格祈願でお参り致しまして、こちらも見事合格いたしました!
 十軒屋稲荷神社、バッチリ学業成就のご利益があるかもしれませんよ。

最後までお読みくださり誠にありがとうございました!

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