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共産主義と資本主義と天皇制:理想の人間社会とは何か

前回の話の続きになります。

アマチュア(amateur)という言葉の本来の意味は「愛好家」。言い換えれば「楽しむ人」です。プロのしがらみに縛られて楽しく無い人生を生きるより、仕事は素朴な畑仕事でもしながらアマチュアとして芸能山城組のように学問なり芸術なりに勤しむのが人類の理想型ではないかと私は思っています。

気が付いた人もいると思いますが、これは人類が一度通ってきた道です。それがマルクスとエンゲルスが提唱した社会主義と共産主義です。

共産主義は、支配者と被支配者によって構成される階級社会構造を無くし、人々が皆平等で幸せに暮らせる社会モデルを理論化したものでした。縄文時代の日本はそういう意味では原始共産主義社会と言うことができると思います。

ただ、世界各国が資本主義の競争原理で強力な軍隊や科学力を備えているところにいきなり競争原理が働かない共産主義を導入すれば、富はあっというまに資本主義国家に吸い取られて国が衰退・滅亡していくことは目に見えています。

そのために共産主義に至る前段階として社会主義が必要とされました。社会主義国家は、簡単に言ってしまうと「国が人々の生産性のコントロールはするけれど、それは支配のためではなくて、資本主義に牛耳られて腐敗してしまった世界をもう一度人々の手に取り戻す戦いのためなんだよ。だから世界中を共産主義に変えていくために我慢してね」という論理の上に成り立っています。

世界中が社会主義国家になれば、競争原理の差も埋められます。その差が埋められれば、ようやく本来の理想型である共産主義への移行が可能となります。

資本主義による支配と貧富の差に不満を抱いていた当時の人々はこの理論に熱狂しました。

最初にロシアで革命が起こり、世界初の社会主義国となって、他の国々もロシアに続けとばかりにこの革命の波が大陸の東側を中心に伝播していきました。また、これらの社会主義国家では、資本主義批判とセットで宗教も批判されました。原因は一概には言えませんが、社会主義構想の始祖であるカール・マルクス本人が著書の中で「宗教は大衆のアヘンである」と批判したことが人々の心に大きく響いたのだと思います。キリスト教の暗黒時代を知っていればそれも当然の話でしょう。

ただ、これは私の個人的な考えですが、社会主義国は宗教を否定したことによって北朝鮮や中国のような独裁社会へとなっていったという皮肉な面があるように思います。神、特に一神教という信仰システムは、目に見えない神にいつどこにいても常に行動が監視されているという潜在的な心理圧力を人々に抱かせます。これによって国家権力に逆らう意思を萎えさせる効果がありました。これを「監視の内面化」などと言います。
神ではなく実在する人間の王であれば、王の監視の目から逃れさえすれば自由になるという希望があるため、監視の内面化は生まれません。なかなか直感的には理解できないことだと思いますが、神というシステムは人間のこの心理特性を巧みに利用した高度な統治の方法論でした。

日本を含む現代の資本主義社会では監獄、学校、会社、そして国家の運営にこの心理学的理論が応用されています。それはミシェル・フーコーが著した「監獄の誕生」などの本を読むと詳しく学ぶことができます。手っ取り早く概要だけ知りたいという人には、YouTuberのアバタローさんのこの動画をおすすめします。


話を戻すと、社会主義国家では神による監視の内面化が失われたため、人々は常に精神的に自由であり、何か不満があればすぐに団結して国家権力に反旗を翻すことが度々起こるようになりました。
それを鎮圧するには結局のところ武力によって弾圧を行う以外に手段はありません。人々はそうなると「自由のための社会主義国家というのは嘘じゃないか!」とますます不満と不信感を抱き、そしてさらに弾圧も酷くなるという悪循環が生まれます。監視の内面化という自動制御システムが無いので、反乱分子をいち早く発見するために物理的に盗聴したり、監視カメラを国中に設置する必要が出てきます。これが現在の社会主義国家を形作っている構造の本質だと私は思います。

それを踏まえて天皇制という仕組みを考えてみると、実に合理的であることがわかります。人間の王が統治すると監視の内面化が働かないために社会主義国家のように独裁化が進みます。キリスト教のような一神教では監視の内面化が働くので国は一つにまとまるのですが、聖書の解釈に関しての統一論がないために宗教戦争という問題が生まれます。

天皇制はこの双方の問題を同時に解決するものです。神に等しい天皇が存在するというその事実によって、自動的に人々の中に監視の内面化が生まれ、また天皇はただ実在する一人の人間であって聖書のような「教え」も無いので「解釈違いによる争い」も発生しません。二千年近くも前からすでにこの完成されたシステムを運用している日本人の先祖を心から尊敬します。

明治時代の極短期間での近代化と第二次世界大戦によって日本人のポテンシャルを世界各国が恐れるようになったため、戦後に主にアメリカによって教育が改悪されましたが、それは基本的に誤解に基づく恐れなので、日本人自身が目覚めさえすれば、争いも独裁も支配もない真の共産型世界が実現できる気がします。

余談ですが、個人的にプーチン大統領は社会主義とその完成形である共産主義こそが人類の悲願であるという強い意思を持っているように思います。現代の資本主義経済は人間には全体像を把握するのが不可能に思えるほど極度に複雑化しており、政府を含む全ての人間が「構造の奴隷」になっています。人類は特定の人や国でなくこの構造によって滅びかねないところまで来ています。兄弟国であるウクライナがその西欧文化を取り入れる様は、プーチン大統領の目にはロシア民族に対する侵略として見えていたはずです。

そしてウクライナを”助けるために”ロシアの傘下に収めようとして軍事作戦を強行した気がするんですよね。それは手段としては間違っているかもしれませんが、プーチン大統領を絶対悪のように非難するのは何か本質を見誤っているように思えます。守る対象が自分と家族くらいである我々と、国や人類を背負っている大統領とでは見えている世界も全然違うはずです。その点に対する想像力は欠かさないように気をつけたいですね。

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