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そうだ、"占い"をしよう

さいきん取り憑かれたように耽読しているフランソワ・ラブレーの大著『ガルガンチュアとパンタグリュエル』に、「ウェルギリウス占い」というのが出てきた。

ところで、もしもよければ、やってみたらどうかと思うことがあるのだ。ウェルギリウスの作品を持ってくるのだ。そしてな、指先で三度ほどページをぱらぱらっとやって、本を開いてみるがいい。何行目にするのかは、最初に決めておいて、その詩句でおまえの結婚の将来を探ってみることにしようではないか。ほら、昔の人々も、ホメロス占いにより、しばしば自分の巡り合わせを悟ったことがあるではないか。
―『第三の書』位置No.1,755

結婚をするかどうかであれこれ逡巡する家臣パニュルジュに、主人公のパンタグリュエルが諭していう場面である。

ウェルギリウスは『農耕詩』『アエネーイス』などで知られるラテン文学最大の詩人で、その詩集をめくって詩句を拾ってみようということらしい。

なるほど、これ、なかなか良さそうじゃないか。


古代の人々もよく「ホメロス占い」なんかをして吉兆を占っていたらしい。詩や散文的な物語なんかが選ばれているようだ。

そういえばフィリップ・K・ディックの傑作『高い城の男』では、日本が第二次大戦に勝った世界のなかで主要キャタクターたちが易経で行動を決めていってた。あれは結構シュールだったな。


さて、さっそく自分もやってみる。

特定テーマで幸先を占いたいこともあんまりないので、11月の運勢というかキーワード/指針的なものを拾えれば。

なんとなく、自分で選書すると恣意性が入っちゃって微妙かもしれんと思ったため、全蔵書に連番をふって[書籍ID|ページ数|行数]にExcelなんかの乱数を割り当てれば自動で毎日無限にできるやんけと考えた。

ところがこれだとダメらしい。筋金入りの福音派人文主義者ユマニストラブレー先生が言うには、サイコロ遊びなど目の選択肢が制限されているものは神意が十分に反映されないためNGとのこと。

「そんな占いなんぞ、さいころを三つ使ってやれば、もっとてっとり早いじゃないですか」と、パニュルジュがいった。 「それはいかん」と、パンタグリュエルが言い返す。「さいころ占いはな、人を欺く、不正なもので、破廉恥きわまりない。絶対に、そんなものを頼りにしてはだめだ。
...
小骨占いについてもな、さいころ占いについて話したのと同じことがいえる。これまた同様に、人心を惑わす易断というしかない。反証がございますなどといって、ティベリウス帝がアポヌスの泉に、幸運の小骨を投じて、ゲリュオンの神託を授かった例などを挙げるようなことは、してほしくない。いずれも釣り針のようなもので、誹謗中傷男は、これを使って単純なおつむりの連中を永遠の滅びに陥れているのだからな。 
―『第三の書』位置No.1,755

単純なおつむりと言われちゃかなわんということで、サボらずにみずから選書することにした。

本は、書棚に目を走らせてなんとなく視線が止まったフェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』で。

あらゆる神々が私を守り、残してくれますように。外的現実についての明白澄明な概念と、私が取るに足らないものだという直観と、小さな存在として幸せだと考えることができる快適さとを、私のこの外見が消え失せるそのときまで。
―p. 110

それっぽいの出た!!

周囲にしっかりと目を配りながら明瞭な認識を保ちつつ、謙虚さとそのうちにある穏やかで満ち足りた感覚を大事に持っておくべし、ともなろうか。

印刷して壁にでも貼っておこう。


みなさんもおひとついかがでしょう。

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