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小学生には勿体ない!?面白すぎる『砂糖の世界史』

ジュニア新書と塩歴史

皆さんは、岩波ジュニア新書をご存知だろうか。

岩波文庫や岩波新書などの、あの岩波書店が中高生向けに手掛ける新書シリーズなのだけど、ちょうど昨年が創刊40周年にあたるとのことで、『ホンキのキホン』というフェアやらブックガイド(これがまた素晴らしい!)やらをやっている。

だいぶ大人になってから何気なく買った数冊がどれもすごく面白く、以降定期的にここの良書を漁っている。

さて、そのシリーズの中でも、特に名著と名高いのが掲題『砂糖の世界史』

。。。
うん。

うん、わかる。わかるよ。

自分の最初の印象も、以下のような感じだった。

「さ、、、砂糖?・・・の、世界史・・・??
全然興味無いんですけど。。なんでこれがベストセラー?
すっごい地味そうだし、もはや塩歴史やんけ!」

でも、評価が高い本にはどんな見た目であれなんらか知見が含まれているはずなのでまずは手に取る、という自身の読書スタンスを思い出し、グッと堪えてページを開く。火のない所に煙は立たず。ない名は立たず。

そして、その小さな挑戦は、大成功に終わったのだった。

砂糖「は」世界史

さて。
本書は、「世界商品」である砂糖が、ときにシルクロードを伝い、ときに大航海時代の荒波に乗りながら、世界のあらゆる場所を旅する、2000年に及ぶ壮大な世界紀行である。これだけ分かり易くジュニア向けに書かれながらも、大人も存分に引き込まれる筆致と編纂は、さすが岩波ジュニア新書の仕事と唸る。

その旅の始まりは紀元前まで遡るが、しばらくは人類にとってはかなり局所的/限定的な使われ方をしていたようだ。希少で高価で白い(これが重要らしい)ため、薬を主な使途として世界を巡り始めた砂糖なのだが、とにかく甘さを求める人間本能と世界的なカロリー不足に引っ張られ、どんどんとその旅路を拡大していく。

そして、ちょうどいい頃合いでイギリスを中心に空前の紅茶ブームが勃発。これは機なりと、砂糖は紅茶のすぐそばにくっつき、はじめは記号消費(紅茶を飲むのは貴族的でオシャレ)として、後には産業革命でガンガン働く庶民の朝食のカロリー源として、イギリスの世界での覇権掌握とともにその普及のピーク近くに達する。

圧巻は、大西洋を股にかけた超巨大三角貿易

1.ヨーロッパから布やビーズを持って出航した船が
2.アフリカ植民地で大量の黒人奴隷と交換し
3.カリブ海諸島の植民地プランテーションで奴隷を下ろし、出来上がった砂糖(/タバコ/綿花等)をヨーロッパに持ち帰る

これらが世界の人口分布を変え、今日に至るカリブ/アフリカの貧困の構造を生んだ。砂糖が無ければ、キューバ/ドミニカ出身の黒人メジャーリーガーがHR量産することも無かったのだろう。

(寄り道 ―歴史の力学お試し考察)

さて、砂糖が世界商品になった理由を、最近読んだ『問題解決大全』のNo.6「ティンバーゲンの4つの問い」に照らして、砂糖の通史を動物行動学のフレームワークで整理し直してみる。
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事象の内部
①至近要因(機構):
 →作物特性として、耕地から養分を多大に吸い取るため、常に新たな耕地を必要とすること(内在的な移動性の存在)
②発生要因(発達)
 →旺盛な貿易需要結びつく高付加価値性/保存性/交換可能性
事象の外部
③系統進化要因(進化・歴史)
 →特に15世紀以降の世界経済の発展、伴う商品需要/貿易需要の増強
  -科学革命以降の世界地図の急速拡大に伴う貿易ネットワークの確立(cf.『サピエンス全史』)
④究極要因(機能・適応)
 →希少性/甘さ/高栄養価により、その商品価値の高さが人類に認められ続けたこと
 →紅茶/コーヒー/チョコレート等、他の世界商品との親和性の高さ
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なんとなく脳内整理がすっきりした感もあるけど、個体-群体のアナロジーが使いにくいやで...

砂糖の今、人びとの未来

閑話休題。

世の春を謳歌し切っているように見える砂糖だが、本書の結末はなんともあっけない。
カロリー不足を克服した世界市民はもはや多量の砂糖摂取を求めておらず、健康志向の高まりも相まって、最早砂糖は無前提に欲しがられる商品ではなくなっているとのこと。相対的に、糖分が少ない人工甘味料の使用量が増加してもいるらしい。世界を彩り大きく動かしてきた砂糖は、歴史上でのその役目を既に終えた、著者はそう結論づけている。

その誕生以降長きに渡り、人や社会から求められ続けてきた砂糖。狂乱にも近しいダイナミズムを以て、世界の諸相を決定的に変え、数多くの悲劇も生み出してきた。
「砂糖のあるところに奴隷あり」
この悪名の表すところの一切を、本書は明らかにしてくれる。

だからこそ、思うこともある。
この歴史の上に立ち、当然のようにこの歴史”から”形作られている我々現有世代が、この価値観と居心地の悪さを無自覚のうちにあっさりと捨て去ることが、”自然”な振る舞いなのだろうか、と。アフリカから連れてこられ、生涯苦しい生活を強いられた1,000万人の奴隷たちの目に、「砂糖は不要、はい次!」とでも言うようなこの顛末は、どう映るのだろうか。

少なくとも、産業革命の敷石のもと拡大しピークアウトした砂糖の現状と、無駄になりゆく彼らの苦役を重ねたとき、彼らの目から見えるのは、止むことのない資本主義の狂騒曲と進歩史観の大いなる虚構性、ただそれだけのように、自分には思われる。

非常に面白い本だったが、じゃっかんの虚無感に苛まれる、なんともやり切れない読後感でもあった。

ただ、さらにもう1点付言できるなら、傍目には地味~な本書のような本がしっかりと売れていて、少しずつではあるが語り継がれているという事実そのものに、人類の未来への少しの希望を見出すのも、おかしな話ではないと思うのだ。
我々は本書を読み、何かを学んでいく。

今まさに進行中で、今後も繰り返される次なる世界商品による「XXXの世界史」が、願わくば砂糖のそれよりももっともっと良いプロットになるように。

・・・この本、子供向き??


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