見出し画像

稀代の百科全書家を偲ぶ~『ウンベルト・エーコの世界文明講義』

2010年代が終わった。

あまり言われていないことだが、この10年は、我々が知の巨人たちを数多く失った10年であった。

日本人だけでも、梅原猛、梅棹忠夫、鶴見俊輔、吉本隆明らが逝き、自分の永遠のアイドル西部邁も、遂に自死を果たした。世界を見渡しても、レヴィ・ストロース(は2009年没だが)、ドナルド・キーン、世界システム論のウォーラーステインとか、もちろんホーキングや、そして、本書の著者である碩学ウンベルト・エーコも、この世を去ってしまった。

エーコ、その"百科全書的"知性

前述のような、煌めく巨星たちの中にあってなお、エーコの異色の経歴とその知識人としての佇まいはひときわ大きな存在感を放つ。著名な哲学者・記号学者でありながら、全世界1,000万部を超えるベストセラー小説『薔薇の名前』でより一層広く世間に知られ、ノーベル文学賞候補にも何度もリストアップされていた。

だが、それだけではない。彼は、全世界の「読書家」と名乗る人たちが崇拝の眼差しを向ける、稀代の読書家だった。その蔵書は実に5万冊にものぼり、「百科全書家」という言葉は、常に彼のためにあった。


本書は、まだ存命であった著者による、世界文明についてのイタリアでの講演録であり、没後に編まれ翻訳された遺作である。

百科全書的文明講義-或いは「文化の系譜学」

手に取る刹那、その辞書と見紛うような巨大さと重量感に、緊張が走る。

そして著者の”通り名”に全く違わず、これは百科全書を読むかのごとく、崇高で濃密で、そして(すごく良い意味で)実に衒学的で、全体性を伴った読書体験であった。

見慣れない作品や知らない人物が怒涛のように引用/注釈され続ける。2000年の時を超え、世界のあらゆる場所を飛びまわる。1行ごとにググり、メモり、Amazonのウィッシュリストに引用文献を入れていく。

画像1

世界の文明を構成する概念群の周囲を少しずつ回遊しながら、そのすべてを読者の目の前で鮮やかに繋げてみせる。5世紀の超マイナーな説話と、18世紀の超マイナーな書物の1部分が、著者の手により一瞬間のうちに邂逅し、そこに誰も気付かなかった意味の連関が立ち現れるのだ。

再度繰り返す。百科全書を読むかのごとく、しかし本書は面白い。

その面白さは、本書の章立てにストレートに現れる。エーコの手にかかると、”世界の文明”はこういう鍵概念に砕かれる。

巨人の肩に乗って
美しさ
醜さ
絶対と相対
炎は美しい
見えないもの
パラドックスとアフォリズム
間違いを言うこと、嘘をつくこと、偽造すること
芸術における不完全のかたちについて
秘密についてのいくらかの啓示
陰謀
聖なるものの表象


謎に包まれた文化のからくりを解きあかしていく一方で、そのウィットに富むジョークやいたずら心で、我々がこれぞ文化・文明だと思っていた観念をあっさりと骨抜きにしたりする。

本書は、文化にまつわる諸概念の考古学であり、またニーチェやフーコー、バトラーとも違う、彼特有の広がりを持った、文化・文明・芸術の系譜学でもある。

知のプラットフォーム

この手の知性とは、つまるところ、知識と意味のプラットフォームとしての知なのだ。

彼の脳内にアクセスし、そこから世界の知への新たな回路を手に入れていく。同時に、この膨大なノードとリンクの海の中で、取り囲まれ照らし返され、自分自身の知性、その何たるかを相対的に発見するのだ。

そして、いつの日か我々自身の知が大きく更新された暁には、我々は本書に再度アクセスすることで以前は見つけられなかった新たなネットワークに繋ぎ直されるだろう。それほど広範で多様な深みがここには横たわっている。

エーコの言葉を反芻しながら、この巨大な知的インフラを永遠に失ってしまったことに思いを馳せる。残された我々は、彼の叡智をしっかりと後世に展開していくことができるだろうか。

 だが、いつのときでも、もっとも時代の診断が下手なのはその時代を生きる者たちだ。私の巨人たちは、座標がどこかへ行ってしまい、未来がよくみえなくなり、<道理 Ragione>の巧妙さ、<時代精神 Zeitgeist>のささいな陰謀がまだ理解されない、移行の時空間というものがあると教えてくれた。父親殺しの健康的な理想はすでに違ったかたちで生まれ変わろうとしているのかもしれないし、未来の世代では、クローンの息子が法律上の父親や精子提供者に対して、さらに予想もつかない方法で反抗するのかもしれない。

 きっと日の当たらないところでは、すでに巨人たちが徘徊しているのかもしれない。わたしたちはそれをまだ見ないふりをしているけれど、巨人たちはいつでもわたしたち小人の方に乗る用意ができている。

―「巨人の肩に乗って」p.27

本当であれば、大量に出てくる知らない固有名詞(書籍/映画/人物背景/etc..)を少しずつ調べたりかじったり原文参照しながら、5年ぐらいかけて読むのが本書の本来の読み方であろう。時間ができたら、そのようにじっくり再読したい本。

■関連記事


頂いたサポートは、今後紹介する本の購入代金と、記事作成のやる気のガソリンとして使わせていただきます。