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『世界最高の人生哲学 老子』に無為自然の道を学ぶ

学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損す。これを損して又た損し、以って無為に至る。無為にして為さざるは無し。天下を取るは、常に無事を以ってす。その事有るに及びては、以って天下を取るに足らず。
-『老子』第四十八章

老子(B.C.6世紀頃)は、中国を代表する哲学者である。その考えを記したとされる『老子』は、現代にまで脈々と読み継がれている一大思想書であり、本書は、この中国思想史における最大の叡智たる一冊を読み解きながら、無為自然の境地に至る心構えを説いていく本となっている。

冒頭の引用部に戻る。

われわれは通常、より多くの知識を学び、吸収していくことを求められる。常に成長し、その知識を有効利用して、みずからの人生をできるだけ良い方向に向かわせようとしているし、現に日々、陰に陽に周囲からもそうした姿勢が求められているのではないだろうか。

老子に言わせれば、そうした努力の仕方は、あまり良い結果を生まないという。

何かを学ぼうとしながら生きていると、日々知識が増えていく。逆に、「道」に向かうとどんどん知識が減っていく。さらに「道」に向かうと、さらに知識が無くなってゆき、最後にはなにも意志せず、何も持たない「無為の境地」へと至る。無為に至ると、ものごとがこじれるような余計なことは何ひとつしなくなり、それゆえ、この世界をわがものにできるようになるのだ。

この箇所で、老子はそう唱える。

「道」とは、この世界を動かす原理であり、それに正しく向かう人間のあり方は、「無為自然」と呼ばれる。この無為自然の境地は、水に例えられている。水は、多くのものに利益を与えるけれど決して争わず、高きより低きを好む。なによりも柔弱だけれども、しかしどんなに剛強なものよりも、その柔弱さゆえに強い。

この無為自然を軸にして紹介される具体的な理念の数々は、普段われわれが耳にするアドバイスや人生訓と、ことごとく逆をなし、そうであるがゆえに、何にも増して傾聴に値するものである。

曰く、知識を溜め込みすぎると、賢しらにそれをひけらかすようになり、ひいては虚偽の応酬に至る。

曰く、財を蓄えれば失い、思慮が増えると悩みも増える。

大事はかならず小事からなり、これを軽視してはいけない。

本書の著者は、道が持つ宝を、「慈しむ」「窮する」「先頭に立たない」の3つに集約している。

無為自然、ひいては道<タオ>の原理は、大きすぎてかえって見えないものであり、人間の認識能力をゆうに超えているがゆえにどこか欠けているようにも見える。


こうした老子の教えは、「孔孟の教え」に鋭く対立する。

孔子を始祖とする儒教や、それに連なる諸子百家の中国思想の系譜は、だいたいにおいて極めて実践的な思想だった。これらは、とても大まかに言えば、われわれが暮らす日常的な世界の中で、「こうやって生きていくと良いことがあるよ」といった個人や社会における目的に即した規範倫理を示すような、努めて実践的な考え方である。「仁」や「礼(礼儀)」を重んじ、一定のルールに沿った生き方をすれば、良い人生が歩める。各人が主張する具体的なルールは違えど、基本的にはなんらかの規範を射抜いていく暮らしを通じて、”現実的な利益”としての善き生を実現することを、多くの思想家は説いている。

ただ、老子だけは、彼らとは毛色が異なる。なにかを得ようと人生をがむしゃらに生きるための教えを否定し、自然の中にたゆたうように、あらゆる作為から離れて大いなる道に身を委ねるべしと諭す。

それだけではない。この考えの背後には彼特有の壮大な自然哲学があり、それこそが、ときに厭世的ともみなされる彼の利益否定主義につながっているのだ。

老子は、前述のような人生哲学に先立って、この世のことわりとして存在する「道<タオ>」を中心とした世界の成り立ちを語り、道の存在を万人が感じながら生きることを勧める。われわれの眼前に生じているように思えるさまざまな表象や感情を、ことごとく虚構と断じ、ものごとの無限の関係性を前にして理性の限界を告げる。この点において、世界の究極の原理を求め続けた西洋哲学やインド仏教にただ一人接近し、実際に道教は仏教を中国的な形で受け継ぐ基盤となった。この哲学は一箇の宇宙論であり、また、事物の存在論と認識論にまでその視線を投げかけ、非西洋的な形で世界を捉える。


個人的には、本書にもそういった哲学的側面の読解もそれなりに期待して手にとったのだが、あくまで人生哲学に特化して編纂されており、そこはひとつ残念ではあった。著者の(著述家としての)専門が、「中国古典を実践的な知恵として読み解く」というところにあるようなので、これは自分のリサーチ不足であった。

ただ、難解とされる老子の思想を丁寧に噛み砕き、誰にでもわかる平易な言葉で説明付け、読者に語りかけている点で、本書が企図している側面では十分に成功していると言える。本書はAudibleで聴いたのだけど、逆にAudibleにはこのぐらいがちょうど良い内容でもあったかもしれない。

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