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屋外で大ざっぱに時間や場所をつかむあくまでもじぶんなりの方法とは


はじめに

 はたけや山では基本的に時計をしなかった。ほとんど必要ないから。その日に予定した仕事が完了すれば家にもどる。ただそれだけ。

ところがまえの晩に風が吹いてそなえつけたビニールがはがされるなど、予定しない突発的な作業がくわわると算段がくるい、とたんに時間を知りたくなる。そんなときにどうするか。山でじぶんの位置をつねに把握するには。

あくまでもじぶんなりのいまはやっていない方法なので、あてにしないでいただきたい。

きょうはそんな話。

山にはいると

 この時季には山によくはいる。その多くは山菜採りと腐葉土あつめ。堆肥は可能なかぎりそのへんにあるものからつくるか、こうしてじぶんの山から材料をいただいてつくる。

そのためヒトよりも動物たちの気配のほうが圧倒的に多いと感じられる里山にむかう。数年来、山のなかでヒトに出会うことはほぼない。一度だけあったのは自分の父。しかも1回きり。

山での作業はのんびりマイペースでやるのだが、おなじ作業をするかぎりはほぼおなじ時間しかかからない。終われば一輪車を押しつつふもとのはたけか家にゆっくりともどる。家の時計をみるとほぼいつもの時間にたどりついている。

突発的な事象で

 ところが大風が吹く、動物に荒らされるなど予想だにしないことが起こるとそのだんどりがくるう。とくに風によりしっちゃかめっちゃかになってしまうことはたびたびで、なかなか骨のおれる作業に格闘させられる。そんなときには時間がどのくらいかかっているのかわからなくなりがち。

陽がさしていればみずからの影を見る。その影がたいていいつもならば身長ほどの長さの時刻には家にたどりつくのが通例。ところがこうした突発的な事象に対処せねばならぬときは、昼からの予定が気になる。難渋してすすまないしごとで影の長さが短くなる。

かくじつに行動

 山のなかは見知った場所にしか行かない。地元の山々でも山道をすすむときにはかならず確認しながら。視界がひらけた場所などそうあるものではない。しかも年中、草木はおなじ状態ではない。茂るととたんにいまどこにいるのか勾配もあるので方角すらわからなくなるとしたらたいへん。

そこで迷子にならぬように目印をさだめてそこを拠点にし、そこから1本でむすんでもどれる場所でしか作業しない。つねにそれをあたまにいれておく。かならず拠点のありかと特徴をたたきこむ。

あやふやなままではさきに進まない。地元で近寄るなと言われている場所にはいかないし無理はしない。わずかでも確信に至れないときにはすぐに拠点までもどりナタでめだつ草などをはらい、たどった形跡をのこしつつ確固としたものにしてからすすむ。天候がわるくなるときにはそうした作業をしない。

おわりに

 山のなかにはいろいろと以前にそこへ来たヒトののこしたものがある。たいていめだつ色のテープや刈った草木。ここでは山づたいの送電線の管理をする会社のヒトビトが残したものが多い。おそらく年に数回入るようでその際にやぶをはらった形跡がのこる。はらいかたに特徴がある。これは例年のことなのでとくに支障はない。

ところがごくたまに山いものつるかなにかを見つけたのだろう。そんな場所に見慣れぬ目印をみつけたことがある。いったいだれだろう。こうした見知らぬヒトの形跡をあらたにみつけるとちょっと不安になる。

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