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親を検査のための病院に送迎して待合室で仕事先とメールをやりとりしながらおもうこと


はじめに

 病院の待合室でふと思った。ここには年配者が比較的多い。その病気や症状の当事者。それに付き添うわたしのような立場のヒトビトも。それぞれ時間をつくってきている。

ということは付き添う方々のぶんのしごとはどなたかが代わってやっているか、そのぶんが止まったままなのか。これから先はもっと余裕がなくなりそうな…。

きょうはそんな話。

病院に来て

 きょうは父の検査の日。「食事ぬきで朝いちばんに来てください。」といわれておとずれた。となると昼ちかくまでかかるだろうなあと、食事ぬきで来て腹ペコのはずの父のためおにぎりを準備してきた。検査がおわってやれやれとその時点でたべるために。ペットボトルのわが家の水といっしょにもってきた。

さて、父の検査のあいだは手持ちぶさたなわけではなく、しごとを中断してきているので、しごと先のヒトビトからいろいろと問いあわせなどがメールでとどく。それを読みつつ、そのしごとのかかえる問題点などをあれこれかんがえてみる。どうもかんたんに答えられそうにない。まだすこし時間があるので、もうすこし待ってもらおう。そんな感じに返答する。

ふと見あげると、いつのまにか待合室のロビーはヒトであふれている。まだ寒さののこる日々。さまざま体調をくずしおとずれている方が多いようす。しかも年配者が比較的多いかと思いきや、わたしのようなまだリタイヤ前の年代のかたもけっこういる。

よく見ると

 だがよく見ているとたいてい同年代ぐらいの方々の多くは、もうひとりのご家族と思われる方を介助されている。ああ、そうかわたしとおなじ立場の方か。まわりをみわたすと「おなじ立場」の方がけっこういる。おそらくみなさんお仕事をかかえているんだろうな。なかには有給とりつつ送迎されて世話をされている方々もいらっしゃるかもしれない。

するとそのぶんのしごとは同僚のどなたかが肩代わりするか、そのしごとは一時的にとまっているか。

どこも人手不足がありそう。やりくりしながらしごとをすすめるところが多いと聞く。この地方都市にそんなにしごとがあるだろうかとけさ、父とさきほど車のなかでここへむかいながら話したばかりだが。

そして世話される方々も父と同年代の後期高齢者の方々と見受けられる。車いすだったり、つえだったり、歩行器だったりをつかってようやく移動されている。

予想だが…

 それに付きそう方々。こんなに多くの方々がいる。しかもこれからしばらくのあいだ、65歳以上のリタイヤされる方、後期高齢者となられる方の全世代でのわりあいはふえつづける。つまり世話をするがわの生産年齢の方々のわりあいはまだこれからも減っていくと予想されている。老々介護がふつうになっていくのか。

すでにそうなっているのかもしれないが、高齢者がもっと高齢の方々を世話をするのがあたりまえとなりそう。介護施設ではたらく高齢者の存在もいろいろと聞く。高齢になってもはたらき、さらに老いた方々を世話する。


おわりに

 きょうはほかのしごとなどの用事をすべて調整して時間をつくった。それでもこうして仕事先から問い合わせメールがとどく。やっぱりヒトはたりてない。それをなんとかやりすごしながら毎日がすぎていく。


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