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NPO活動のはざまで行き場がなく困っている若者やこどもたちがいる そこへサポートの手をさしのべたい


はじめに

 行政の行き届かない部分をおぎない、新たな視点から手をさしのべるNPO法人(特定非営利活動法人、以下NPO)の活動。地域に数多くある。

すでに社会のなかで欠くことのできないだいじな役割を担っている。ところが自分なりにそうした団体の外から協力するなかで、あまたあるはずのこうした場ですら救えない人々がけっこういるとわかってきた。

あくまでも私見。各所の活動を非難するわけでもない。誤解しているだけかもしれない。でももどかしい。


気づいたところから

 ある団体と協力しつつも、あくまでも外部に身を置いている。自由な立場で若い人々を支援する活動をはじめてそろそろ3年になる。ほぼボランティア。ほかのしごとでなんとか食べている。いろいろな立場の方々の声を聞き、動いていると気づくことがある。

わたしはさまざまな理由から学習できずにいる中学生・高校生の学習支援、さらに社会からいったん離れた一般の方を対象にした支援活動をひとりで行っている。もちろん、医師、大学教員、NPOなどの事業所などさまざまな立場の方々のアドバイス、支援、協力をいただきながら。

世の中の困っている方々の状況はさまざま。失礼かもしれないが、行政は穴のあいたバケツにたとえられそう。水を入れてもそこから水がもれ、いまも新たな穴が生じつつある。そこを両手両足でふさごうとするが、水は漏れつづけている。困っている人をかならずしも救えていない。

もちろん無理難題、手におえるものでないのはだれがみても明白。あらたに部署をつくったとしても行政では限界がある。

なかでもこころに傷を負い、社会からはなれて、居場所がなくなって家にこもる、病院に通う、果ては自分の身の置き場すら明確でなくなってしまう。そんな方々の行きどころがなかなかない。そこでNPOが受け皿となっている。

一例をあげると、わたしが外部から協力しているNPO法人は、就労継続支援B型事業所。福祉の分野だ。状況におうじて利用者の募集や声をかけている。利用者にはさまざま提示した仕事を紹介、できることを見つけて分担する。

そこへサポートの手をさしのべ、いっしょに活動。時間はかかるが就労のなかから糸口を見つけ「自分」を見出し、小さな希望や自信の火が灯るのを確認して社会にふたたび飛び立っていく。

ここにかぎらずそうした場はいくつかある。もちろん異なる形態や状況に応じた施設や事業所がさまざまある。いったんたどりつけば団体どうしで連携しているのでよりふさわしい場に移れる。

これで救えれば何も問題はないはずだが・・・。


ところが・・・

 こうしたサポートの場にたどり着けた方はまだいい。支援の場に出向いて(送迎もしている)くださるだけでもすでに何割か前向きになっているはず。ところがなかなか見つけられない、たどり着けない方がいる。

もちろん家に閉じこもったきりの方の足は重い。その部分については大きなテーマなのでべつの機会にふれたい。

ひとりではほんのすこし前向きになれたとしても、それからどうやったらよいのか途方に暮れることになりやすい。それでまたもとの状態にもどってしまう。社会に出るまでには苦難がつづく。手を携えサポートしてくださる方がいるのは心強い。

しかし既存の団体ではスタッフは限られており、活動は届け出の範囲内の予算しかないし充てられない。困窮の幅のほうがひろく、それに合わせることはなかなか難しいようだ。この点でも法律をもとにした縦割りの行政は足をひっぱっている(ごめんなさい)が、これもまたべつの機会に。

活動の場がそれなりにあり、事業所どうしの連携も図られていてもそう。なかなか利用する立場の方とかみ合わない。

各所でも努力をされてできる範囲の融通をされている。そこを非難するつもりは毛頭ないし、それだけでも称賛に値する活動ばかりだ。

しかしそれでも行き届かない。まだまだメッシュが荒い。受け皿としてはまだまだ。漏れ出てしまう方々を救えていない。

出番かもしれない

 そうした各所で受けきれない、対応しにくい方を何とかならないかと相談を受ける。どこにも受け入れ先がない方々。わたしのほうがなるべく臨機応変に融通できる範囲でお受けする。

より具体的には、学校に行けない、職場になじめないで途方にくれてうごけなくなっている若い方々を解きほぐしていく役割。教育に長年あたってきたことを活かそうとしている。


またべつの問題が・・・

 ここ最近、とくに気になっている方々がいる。外国から日本に家族で訪れて暮らす方とそのご家族。サポートの網の目は当該地域でまだ荒い。言葉の壁。生国では何も問題を抱えずすごしてきたはずのこどもたちが、日本に来て孤立しがちでみすみす能力を活かせないままチャンスを失うかもしれない。

義務教育の教室ですら手をこまねていていると聞く。日本語や日本の文化などになじめるように、補助するサポートはだいじで、早くに日本を訪れた母国の方々を中心にはじまっていると聞く。それでも地方ではまだこれから。

コロナ渦をべつにすると、わたしのいる県はある国からもっとも多くの人々が訪れ働いている。その数は年々増えている。学校にもそうしたこどもたちがふつうにいる。

今後は微力ながらここに焦点をあて実際にできることからしようとしている。


おわりに

 それまで自分が気づいていないだけ、あるいはそこに考えが及んでいなかっただけと悔やんでも悔やみきれない。それほど問題の根が深いと言っていい。

こうしたニッチな仕事には、もちろん補助や予算はつかない。もちろん利用してくださる方のご負担でわたしは収支とんとんで動けている。こうした方々は経済的に恵まれているほうだろう。とくに貧困に苦しむ方からは活動費はいただきにくい。

クラウドファンディングなどでは活動の期間や成果が求められ、タガがはまりわたし個人でできる自由な活動が制限される可能性がある。NPOの二の舞となり応募は二の足を踏んでしまう。臨機応変さが求められる活動なので、理解のあるべつの寄付を募るくふうに知恵を絞らないと。

社会に加わりたい、自立したい、生きやすい場にしたいともがき苦しむ数多くの方々がいる。みなさんの協力のおかげでこうした活動で何人かの方々を社会に送り出せている。ほんとうに微力だが実感できている。


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