夏のひんやりした板敷きの部屋 習性を数百ほどの相手でよく知ったうえで得た結論
はじめに
お食事中の方には申し訳ない。突如思い出したので、忘れないように記しておく。
わたしが小学生の頃、郷里では耕作用のトラクターがわりに牛や馬を飼っていた。もちろん母屋につづく納屋で。当時の牛は大切なしごとなかまで家族同然だった。
父や祖父母は動物たちをていねいに管理していた。それでも牛は外界と遮断されていない場所で寝起きしている。母屋と納屋は土間をへだててつづいている。文字どおり同じ屋根の下に暮らしているといってよかった。
そのために起こるできごととその対処法について。
彼らとの格闘
お盆など親戚が集まるといっしょに寝泊まりする。朝ごはんを大勢でかきこむ。こどもたちは起きてごはんにありつけるまでは手持ち無沙汰。
そこでおかずに群がるハエを追い払う。いまでは想像できないだろうが、ごはんどきになると、それまでどこにいたのかと思うほど集まってくる。追い払わないとごはんがみるみる減っていく(そんなことはないか)。
都会ぐらしで、たまの帰省だったわたしには習性がわからない。祖母がゆっくりとしたしぐさでもって捉えるのに目を丸くした。なんでそんなことができるの、と不思議だった。あのすばしっこい、ヒトをあざ笑うかのようなうごきを示す相手だ。
わたしも祖母をまねてやってみたが、とうていできっこない。超人に見えた。祖母をあらためて尊敬した。
道具をあやつる
この家にたたく道具がいくつかあった。手(というよりも指)で捕まえる祖母でもこれを活用する。すわったままで近くにいる彼らを一撃で捉えられる。
祖母はこの操作もたくみだ。長年の賜物か、はずすことがない。力をこめているわけでもなく、光速のうごきを示すわけでもない。
なまったるい夏の午後の風とおなじぐらいのゆったりしたうごき(わたしには)に見えた。まねてみたがたたき方がよくないのか、みごとにすりぬけられてしまう。敵もさるもの、かまえただけで逃げられる。20回たたいて1回ほども命中しない。あたってもそれは偶然に近い。
もっと祖母が気高く見えた。
たたみの上で三年
やはりそこは観察と実験。彼らの目玉は複眼だが、からだの前のほうにある。小学生の限られた頭脳でわたしは考えた。うしろから近よってはどうか。
その頃、戦闘機は敵の飛行機のうしろにつけたらほぼその戦いは終わりというのを漫画かなにかで読んだことを思い出した(現在、本当かどうかたしかめたわけではない)。
敵のうしろになんとか気づかれずにまわりこみ、察知されるまえにすかさず一撃をくらわす。その作戦しかないと小学4年生のわたしは思った。それには観察。たたみに留まるその生き物は前足をすったり、後ろ足を上げたりをくりかえしている。つねにからだの向きをいそがしげに変えている。
近づこうとすると逃げられる。わたしの謀略はむなしく砕け散るかに思われた。しかしさらに観察。いそがしく体を動かしつづけたあと、ふとひと休みする瞬間があると気づいた。観察の賜物。
嬉々としてわたしはその予想をもとに作戦を実行してみた。
背後からねらう
わたしの予想と行動はどうだったか。その日の午前の小一時間ほど(朝食後)で確かめた。ある程度その予想はあたっていたようだ。後ろにまわりこみ、もしくは後ろを向き、じっとした瞬間にねらいを定めると命中の確率が上がった。
自信をもてた瞬間だった。「敵を知る」とはこういうことか。やみくもにめったやたらにパンパンやっていたそれまでの自分を反省し、はずかしくなった。
しかも親の仇のごとくおおきくふりかざすのではなく、ほんのちょっとのストロークのほうが命中精度が上がるとほぼ同時に解明。
敵の習性の一端を知れたと鼻高々だったわたし。ところがさらに気づきがあった。
背後ではない?
じつはその行為に没頭していて、ふと頭をかしげた。うしろから近寄っても逃げるときはサッと飛び去る。気づかれてしまう。半分以上そうだ。
なぜだろう。近寄りすぎたのか。それとも気配を感じたのか。小学生は考えた。もちろんそれらもあろう、しかし根本的に精度を上げるには何かが足らない。なにごともなく捉える神業のごとき力学的エネルギーを極力まで使わないかに見える祖母とはいまだに雲泥の差がある。
なんだろう。わたしは道具を持ったまま考えた。
おわりに
それは100匹目(数えていた、数に小学生は強い)を捉えたころにやっとこうではないかと気づけた。それはうしろではなく、斜めうしろ。どうもそこのあたりに弱点となる視界のとどきにくい領域がある、いやありそうだということ。
それにしたがってまわりこむ角度をややななめうしろ、4時から5時もしくは7時から8時の方角とし、そこから小さなストロークでもって叩いてみた。
すると・・・、そう、その予想は的中。なんとななめうしろがもっとも叩きやすい位置とわかった。逃げる際に飛び立つ向きにも関係するかもしれない。
これは当時の夏休みの自由研究のテーマにしてよかったかもしれない。何しろ、3日間で数百もの相手と格闘した結果で得た結論だから。
しかし、祖母のわざには遠く及ばない。それは祖母が天上に向かったいまとなっては尋ねることすらできない。文字どおり神業のまま。
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