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パウル・クレーの絵を模写してへやに額装すると日々いろいろと語りかけてくる


はじめに

 模写はおもしろい。中学の美術で画家の特徴を実習で知ろうと企図しておこなう。先日も学習サポートにおとずれる生徒たちがやったと話していた。わたしも学生時代以降たびたび、そのときどきで興味の向く画家の絵を画集から選んで模写。

そのせかいにしばらくのあいだひたる。するとその絵のなかに画家が思い入れたものの片鱗がすこしだけ見えてくる。

きょうはそんな話。

画集をかりる

 できてまもないちょっとわが家からはなれた公民館図書室。このあたりはこのところ開けて多くのヒトビトが住まい、街ぜんたいをあたらしさがまとう。公民館には体育館や展示スペースなど地域の活動に有用なスペースがあり、どれも快適につかえる。街に行ったついでに立ち寄りここの図書室で本をかりる。新設なだけあって本はあらたに購入されたものが多い。

しかも「図書室」とよぶには立派。じゅうぶん「図書館」と言っておかしくないほどの充実ぶり。開架の本を屋外テラスのテーブルまで持ち出して腰かけ、きれいに整備された庭の花々のかおるかたわらで目にすることもできる。ひさしが出てまぶしくない。まさに理想的なあつらえ。既設のべつの図書館にはあまりなかったジャンルの本をしっかりそろえているかんじ。

なかでも画集は目をみはるほど。県立図書館にすらないようなシリーズのものが開架にならんでいる。スペースをじょうずにデザインして、本をさりげなく手にとりやすくしているのかとそのくふうに気づく。

そんななか、これはさすがに「禁帯出」だろうと思ったぶ厚く重い画集を手にとる。本をうらがえし背表紙をみるがおなじみの赤い「禁帯出」シールがない。カウンターの方にたずねてみる。なんと貸し出せるという。

はじめてのかりて

 青天の霹靂。てっきり全巻開架にならんでいると思っていたが、なんとならべきれずに書庫にもあるという。リストはPCで検索できるので所望のものを貸せるという。ほとんどわたしがはじめての貸出者だったよう。

これでかなりの画家の代表的な作品を堪能できる。ここに立ち寄るたびに電話帳ほどの厚さの画集を2冊ずつかりて帰り、家でゆっくりと鑑賞。そっと開くと、まあたらしいインクのにおいがかすかにする。ページをひらくたび、新刊特有の紙と紙のあいだの空気のうすいかんじがつたわってくる。

カラー印刷が鮮明なのでじゅうぶんに模写にかなう。もちろんよごさないようにお気に入りを写真に撮りPCで拡大しつつ色を調整し、もっぱらそれを見つつ描いた。本はただちに返却。

クレーとむきあう

 わたしの惹かれる画家のひとり、パウル・クレー。色やかたちを自由に奏でる画家。

彼の作品がこの図書室にあるシリーズの画集にあった。美術のテキストを見て、ほかの作品をみてみたいというむかしからの願いがほぼかなった。こんなしあわせなことはない。

せかい各地の美術館を巡ってもそんなにおなじ画家の作品ばかりであえるものでもないし、いつも見れるとはかぎらない。たしかに出版されている画集をかきあつめたとしてもそれはごく一部にすぎない。画家のしごとの全貌を探るなんてそんなにたやすいことではない。

しかも興味をしめす画家はひとりではないし、その時代ごとの作品にしぼれたとしても個人蔵の作品に出会うことはひたすら困難。展覧会に足をはこぶことはそれに出会う確率をほんのすこしだけあげられるかもしれないが、それもなかなかやりくりが必要。きりがない。

おわりに

 すると作品の見かたをかえるしかない。模写はそんなねがいのかわりをしてくれそう。

こんなやりかた。ひとつの作品をじ~っとみつめつづける。それこそ時間をわすれるほど。するとこんぶのようにあじわえる。

ああ、ここはこんなに色をかさねている。こっちをさきに着彩したんだ、きっと。そんなちいさな発見の連続。そして絵からはなれてみつめなおす。きっとこんなきもちでえがいたのかなとか、想いをこめたのはこのアクセントとなる部分かなとか、自由に想像してみる。

翌日みるとまたちがう。いい絵は日ごと時間ごといろいろなことばを発して飽きない。まさに彼の絵、「ドゥルカマウラ島」(1938)の一部をオマージュとして模写、玄関わきに額装して気づいた。このやり方はわたしにあっているかもしれない。


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