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おなじ内容を書きあらわすのでも否定形よりも肯定の表現のほうが澄んだきもちで前むきになれる


はじめに

 このところnoteなどに文章をしるすにあたり、なるべくきもちをフラットにしようとしている。こうして第3者的な立ち位置につこうと意図して。読み手の方々にストレスにならないよう。

記す文のかたちにすこし意識をはらうときもちまでちがうと気づいた。

日本語にせっしてきて

 すでに半世紀ほど日本語とせっしている。みずからのかんがえをわかりやすく明解にあらわすのはなかなかむずかしい。つらつら書き記したものをすこしおいたのち読みなおし手をいれる。すなおに書けばいいはずが、日によってはとてもつたない。どうしてこうもムダが多いのだろう、もっとよくなるだろうにと日々思う。

ほぼおなじ表現のなかからぞんざいにことばをえらぶと、とくに粗雑な文、つまり雑文に見えてくる。こればかりはわたしの狭量さの結果なのでしかたないのかもしれない。

素人なりにはんぶんも内容がつたわりさえすればいいのだろう。ただし誤解をまねかないように辞書をひきつつ注意をはらうのだが。

いくたびか書きなおして

 noteを日々書く。おおむね原稿用紙3枚ほど。ほぼ20分ほどをついやす。きもちにさざなみがたっていると文章がギスギスしがち。「~すべきでない」とか「~しないように」などどこかに否定のかたちがはいりがち。そこを読むとゆびにささったとげのようできもちがよくない。「じゃあ、どうすりゃいいんだ?」と 自問自答 してしまう。

そこでこうしてみた。上にしめした否定の表現をおなじ意味で肯定にした。するとどうだろう。読んだときの感覚がちがう。きもちが前むきになれてへんな疑問符は湧いてこない。まずはやってみようという気にさせてくれる。

なにか他人ごとでいきあたりばったりの行動にみえるかもしれない。それでもかまわない。どうせわたしのすること。自己責任でやるぶんにはヒトさまにめいわくをかけなければかまわない。前むきにとりくむきもちがでてくるだけまし。

以前といまをくらべると

 文章にしないままうごいていた(それこそいきあたりばったりで)ころはこうだった。ろくすっぽかんがえなしに(それなりには思案したつもりで)ちょこまかうごいて壁にあたっていた。ダメージもおおきい。

最近はまずあたまで一度、肯定文にしてそのうえでうごく。するとまちがいをおこしにくい。よりよいのはPCでも紙でもいいが文を書きおこしてみる。当面のみずからの行動や方向性をめいかくに確認するため。

こうしたほうがよりかくじつに一歩前にすすめる。とくに副業でやっている研究パートの場では効果がみえやすい。上に書いたように、うかんだアイデアを肯定のニュアンスをふくむ文としてノートに記す。するとポイントとプロセスの重点がはっきりする。

これはいい。しばらくつづけている。

おわりに

 文章を記すことがこれほどプラスに作用するとは。やってみるまでわからなかった。自己暗示かもしれないがそれでもいい。

きっとあたまのなかをうまく整理してくれるのだろう。そして否定より肯定。これでくよくよしてないで前むきに行動できる。


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