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科学者として勉強の価値を考えた:藤井二冠の活躍と高校中退をきっかけに


はじめに

 将棋の藤井聡太さんが活躍されているようすは数年前からファンのひとりとして注目しています。昨期の途中で高校をやめて将棋に邁進されているというニュースを耳にして半年ほど過ぎました。今も精進がつづいています。

ひとりの親として学習をサポートに従事し、そして30代で論文博士を取得した立場で、彼のニュースをきっかけに学校と勉強について考えてみました。

なにも学校や勉強を擁護する意図はありません。むしろ各々の人に学びのチャンスやタイミングがあることを記したいと思います。


将棋>学校(高校・大学)

 すでに藤井くん(あえてこう呼ばせてもらいます)の学校とのかけもちスケジュールの困難さは、はたから見て感じていました。したがって本人だけでなく、保護者の方々や対応する学校の先生方ともじゅうぶん話し合って出した結論なのでしょう。

もちろんほかの生徒たちを前にして彼を特別あつかいできませんし、授業への出席日数なども規定に沿った扱いだったはずです。将棋の活躍があり、あくまでも推定ですが、日程的にレポートや追試験で振り替えるなどの措置自体困難だったのかもしれません。

あと数カ月すれば卒業という時期に、一見すると目前の頂上への登頂をあきらめたととらえがちです。出席日数不足など物理的な側面をきっかけに高校に通うことの意義を再度考えられ、出した結論だったのではないかと推察します。

そのことがきっかけのひとつかもしれませんし、そもそも将棋を精進していくうえで、高校へ通うことにどれほどの意味があるのか、彼はたえず自問自答してきたはずです。世間にはさまざまな意見があると思います。

わたしは本人の覚悟で決めたことにとやかく言うのは差し控えます。藤井くん自身が結論を出し行動したにすぎません。ひとりのファンであることに何ら変わりはありません。


ブラッシュアップの場

 いったん藤井くんからはなれましょう。

高校や大学で教育を受ける権利は本人にあり、通うかどうかを決められ、周囲はその権利の行使がスムーズにいくように望んでいて支援します。

のちに通っておけばよかったとか、高卒(大卒)の資格をとっておけばよかったと思う場合、通信制高校や放送大学など、だれにでも門戸が広げられています。一般の大学でも社会人への門戸はひらかれています。

社会にいったん出てから、あらためて実学上の学びが必要だと大学に入り直して学ぶ方がいます。諸外国ではわりとその形を取ることがふつうにあるようで、私の知り合いのアメリカ人にそうされた方がいらっしゃいます。

おおかたの高校生(大学生)にとっての学校の存在

 大部分の生徒や学生にとっては、履歴を継続させるという意味で学校はとりあえず無難な落ち着き場所です。

これは大学もしかり。モラトリアムという言葉がありますが、将来についてじっくり考えてもらうきっかけと時間の猶予がもらえます。

在学中にじっくり考えて方向性を出す(出さないままでもいいですが)ところを、藤井くんは卒業前に自分の居場所(経済的な面もふくめ)を見つけました。これが大部分の高校生よりちょっとだけ早かったといえます。

この「ちょっとだけ」がポイントかもしれません。大部分の高校生にとっての学校は、将来のヒントを提供してくれて、考え方を身につけられる場です。将来へ向けてひと押ししてくれる、経済的自立に向けてきっかけになるものが得られます。

もちろん高校で技術や資格を身につけ、卒業してすぐに社会に飛び立つ生徒も多くいます。藤井くんよりほんのちょっとあとなだけかもしれません。


勉強と社会に出ること、そして出てから

 社会に出るうえで自分にとって何が必要か、より納得できる選択につなげられるか、まだ世間を知らない段階ではわかりにくいでしょうし、比較的大きな課題といえそうです。

「スクール」の語源にあるように、自分のことに専念できるだけの時間的猶予をもらえているので悩むだけ悩める、チャレンジするだけする時間がそこにあります。

ほぼ同年代のなかまといっしょにすごすなかで、ともに泣き・笑い、おなじ空気のなかで励ましあえて糧にできます。たとえ結論が出ないまま卒業したとしても、それだけ社会に出てからの助けになる考え方や知識を学んだうえで旅立てます。

学んだことのひとつひとつはその個人にとって社会に出てそのまま役に立つのはまれかもしれません。逆に働いて必要だと感じたら上述したように学び直しをするとよいでしょう。海外では大学や大学院はそんな位置づけともいえそうと記しました。

しかし、上に書いた点では勉強することは長い目でみると無駄ではないし、視野をひろげ人生をゆたかにしてくれます。安心して学べる平和のたいせつささえ気づけます。


ふりかえって、わたしなりの勉強とは

 参考にはならないでしょうが、働きながら30代で論文博士を取得したわたしにとっての勉強について記しましょう。

博士論文を書くころになると、ごくごく狭い専門領域をつきすすんでいきます。ある日「学問」という広場にぽつんと立っている自分に気づいて、はっと我にかえりました。

たったひとりです。ある一点まで行きついたといえます。それまではだれかが正解を準備してくれていたばかりの勉強からはなれて、答えのみならず問いすら自分で探し出す旅に出るしかありません。

そしてそこには広大な知の世界が垣間見えます。わたしは科学を選んで身を置きました。生命の巧妙なしかけに気づいて、感動とともに畏怖の念すら感じたことがあります。おそらく世界で初めてその真理に接する機会が与えられるのです。ここまで来れたご褒美かもしれません。

しかし同時にその果てしない広がりを思い知り、ため息が出るとともに、どちらにむかって進んでもよいという自由さに嬉々として、新たなやる気がわいてきます。真摯に地道に向き合うしかありません。本来の勉強とはわたしにはそういうものと感じています。

だれひとり足跡を残していない場について記した文章を、論文のかたちで紡ぎます。何ごとにも時間のかかるわたしには12年かかりました。この途上でたくさんの学者の目を通して不備な点などを審査され「博士論文」はできあがります。

学位記が大学院から与えられ、完成した論文は日本では国立国会図書館に収められ永久保存されることになっています。

科学の場に身を置いた経験と学びについては、なるべく多くの方々にわかりやすく伝えていきたいと考えています。

おわりに

 さて、藤井くんの場合にはすでに夢中になれて、しかも食い扶持となるだけの目標とすべが学校とはべつの場でみつかっています。でも将来はどの人にとってもわかりません。藤井くんもおなじ、わたしもそう。

したがってすべての人が「藤井くん」である必要はありませんし、「科学者」など具体的な進路を明確に定めなくてもいいと思います。

学校の場をどう活かすかは人それぞれ違うでしょうし、むしろ同じである必要はないでしょう。

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