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宇宙を知りたがるわたしのそばにいつもあった学習百科大事典第6巻


はじめに

 天文、気象、鉱物などがわたしの好みの分野。へやには30数種類のさまざまな石をならべている。天文関係の書物も最近まで豊富だった。あまりに本はかさばるので、社会復帰をめざす若い方々をサポートするNPOが図書スペースをつくるというので先日寄付した。

ほとんどの書物をそこへ預けた一方で手元にのこした書物がある。宇宙に関するふるい1冊。

宇宙を知る興味は根源的なものかもしれない。自分がどこから来てどこへ向かうのか。その問いにいちばん真っ先にとりあえず相手をしてくれたから。

地球と宇宙のなりたちは

 「学習百科大事典」(学研 1970年)。同世代の方ならご存じの方もいらっしゃるだろう。12巻セット。なかでも第6巻はときあればくりかえし読みかえす。この事典の記載内容はさずがに古ぼけてしまったが、読みかえすと情報にはあつみとあじわいを昭和の雰囲気とともに感じられる。

いまではそれほど評価されていない記載もある。すでにべつの有力な説にも接することができる。しかし執筆者たちの伝えようとする迫真のイラストもあいまって、当時こどものわたしをページをめくるたびにどきどきさせる世界へいざなってくれた。

外遊びしていてふと手にした石ころ。いきもののように息づいているかのような地球の変化の歴史を経験したのかと思うと、じっと見ているとふしぎなきもちになった。

石の成り立ちは

 社会見学で行った製鉄所。当時は活気にみちあふれていた。赤く溶けてまばゆいほどの銑鉄。まぶしいと感じた瞬間にからだ全体が熱さにつつまれた。どろどろに溶けて熱い液体の印象は強烈。

家に帰り、あんなふうに地球もどろどろに溶けたところから冷えてかたまったのかなと勝手に思っていた。まさに事典のとおり。

しかし、近年の説はところどころ異なる。現在では宇宙の詳細な観測により原始惑星系や生まれてまもない惑星と考えられる場の観測に成功している。いい歳をしてもっと知りたい、さらにわくわくしたい、そんな状況下にある。

くぎづけになったページ

 さてこの第6巻にわたしの目をとらえてはなさないページがあった。それは地球のはじまりと歴史。この事典のいいのは日本で出版された書物にもかかわらず、ほぼ全体にわたりカラー図版。おそらく経費ばかりかかりそんなにもうからなかったのでは。そしてそのカラーの図の多くがもとは手書きのイラスト。

当時の説と近年の科学的な事象に基づいた説ではかなりことなることもある。それでも当時知りうるせいいっぱいの科学者の想定する説をイラストつきで詳細に紹介している。それをなんどもなんども見返し、頭の中にイラストそのものが思い浮かぶほどになっていた。

小学生のわたしがそれほど夢中になれた理由は、想像しやすいイラストの影響が大きい。どうしてヒトすらいなかったはずの時代のことを見てきたかのようにイラストを描けるのか。幼い頃はコロッと信じてしまった。だれから聞いた話だろうかとか、テレビで見る火山の溶岩が赤いのはその熱のなごりかななどとあやしげな妄想にふけっていた。

いまではかなり?な記載などもあり、こどもたちに見せるには注意が必要。したがって理解の進んだおとなたちが、こんなふうにおそわっていたんだと教科教育の歴史を知る素材として、さらに感慨にふける道具とするといいのかもしれない。

おわりに

 いま読みかえしても感心することが多い。当時の科学技術の状況では知り得たことはいまとはくらべものにならないほどかぎられていたはず。それにもかかわらず、こどもたちにじぶんたちおとなが知り得た知識や技術はこんなもんだといわんばかりにふんだんにもりこまれている。

ここまで書いてしまうとあとにひけなくなってしまう、といった記述もなかにはある。明るい未来への期待感も感じられる。出版された1970年は大阪万国博覧会の行われた年。そんなわくわく感のある世の中だったんだと感じられる。

進展著しくより詳細があきらかになってきた地学や宇宙分野だが、50年前にはまだこのくらいが精一杯の記述だったのかとか、ここまではあきらかだったんだとよくわかる。いまや多くの人の知るブラックホールなどという言葉すらみあたらない。

未来を託するこどもたちにわかってもらおうとする熱意がページのあちらこちらからつたわってくる。おそらく当時の一流の執筆陣が試行錯誤しながら仕上げていったことはまちがいない。その熱意に感謝しつつ頭を下げたい。

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