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2001年11月19日午前3時すぎ しし座流星群で「流星雨」といえるほどの流れ星を体験した


はじめに

 興味あってさまざまな天文現象に接してきた。なかでも流星群はいくたびか空を見上げる機会はあったが、満足できたためしはなかった。よくて数個の流星をながめるため数十分間、じ~と空を見上げつづける。

ところが1度だけとんでもなくたくさんの流星をながめられた夜があった。流星雨だ。それは21年前のある未明のこと。

できればこうしただれもが体験できる流星群を観望できる夜空を今後ものこしていきたいと思いつつつづった。


しし座流星群で

 彗星(ほうきぼし)のめぐる軌道上の宇宙空間にはちりなどの物質がながく漂っている。地球の公転軌道上にも数多くの彗星ののこしてきたこうしたちりがちらばっている。その場所を地球がくぐりぬけるたびに、地球の大気とぶつかり燃えつきる。これが流星の正体。

地球の公転軌道上のきまった位置をとおりぬける時期ごとに、〇〇流星群と名前がついている。そして流星群は夜半すぎから夜明け前までが条件がいい。地球の公転の進む方向と自転の向きがそろい、ちりのなかに突入していくイメージ。

放射点の方向からながれいく流星の軌跡を写真でながめていると、宇宙船にのり星々のなかをつきすすんでいくようなダイナミックな宇宙のスケールをあじわえる。これを実地で体験したい。

でもなかなかその機会は訪れない。流星群は条件がものをいう。出現の期待できそうな流星群はあかるい月が出ていてじゃまをする。なにより天候がよくないと話にならない。晴れていても霧がかかると見えない。

そして最近は夜でも街灯がこうこうと灯されているので、そもそも空が明るく、ほのかな流星は出現したとしても目でひろえない。


たまたまその機会はおとずれた

 そのチャンスはとつぜんおとずれた。

しんしんと寒くなる頃のふとんは恋しく離れがたい。しかも夜半すぎの丑三つ時。いったん寝床にはいると起きようという気にはなかなかなれないもの。それがその日にかぎって「よし、起きよう。」とふとんからむっくり起きあがった。

さすがに外は寒そうだ。1時間ほど外にいられるだけの厚着をしないとならない。コート、マフラー、2重の手袋、2重のくつ下の重装備で外に出た。家から空のもっとも暗い街灯のとどきにくい場所は見つけてある。歩いても数十秒の場所。

そこについたとたん息をのんだ。ほんとうに夢を見ている、ねぼけていると思った。すでに「流星雨」が起こっていた。すこしだけこわい、帰ろうかと感じたほど。十秒とおかずに星が流れる。

たてつづけにこっちで、そしてあちらで。放射点(輻射点)周辺だけでなく、まさに全天くまなくここかしこで明るくかがやく。ときに流星の出現のたびに空がぱあとほのかにあかるくなるほど。

そして圧巻だったのは流星痕を残した流星。空全体を数秒のあいだ昼間とみまごうばかりにするどくかがやいた。火球といってよいのでは。そののち1,2分間、もっともかがいた軌跡のあとの空にうっすらあかるい薄雲のような痕がのこった。

周囲は雲ひとつないほど晴れわたっていたので見まちがいではないだろう。これを観察したのは生まれてはじめて。

あぜんとして30分間ほどその場にたたずんで夜空のつぎつぎかがやく流星の光線をながめていた。内容の濃い短編映画をじっくり見たようなここちよい疲れと感慨が湧いた。つづいてこういう経験は一生のうちに何度もないだろうなあとじんわりした。


おわりに

 いま、こうして思いかえしてもとても幸運だった。なにしろいま書き記しつつ調べても、これほどの高出現の流星群に出会えないようだ。

この2001年11月19日のしし座流星群での体験についてはある資料をみてもそれはたしか。わたしは運よく出現のいちばんさかんな時間にたまたま観望していた。どれぐらいのひとたちが体験できたのだろう。

流星群の観望は道具がなくても年間をつうじていくたびかできる。だれでも10分間のしんぼうで1,2個ながめる程度の経験をできる天文現象。夜空に親しむいい機会。

しかしなかなかよい条件がそろわない。せめてこうした流星群を観望できるチャンスをあたえてくれる夜空を今後ものこしていきたい。


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