地方の大学生はみずからうごいて生の情報をつかむ力をつけていく
はじめに
研究パートのしごとで日ごろ学生たちに接する。この地方の中核市から全国へとはばたいていく。まさに四方八方へ。
地方にいるハンデをおぎなうには主体的にうごくことのたいせつさを現実に接して身につける。思っている以上のギャップに接して折れそうになる学生の話を聞き、互角にわたりあうようすに悲喜こもごも。応援せずにはいられない。
きょうはそんな話。
変ったところ・そのままの部分
しごとさきは地方の中核市の国立大学の理系研究室。ここには毎年のように卒論生、修士そして博士の学位を修めようとする大学院生たちが出入りする。地元出身者が半分、それ以外が半分といったところか。毎年接していると卒業(修了)後の就職先はじつに幅広く多岐にわたる。
なかにはよくみつけたなという職場がある。わたしの学生だったころとちがうのは製造業よりもサービス業、とくに当時はなかった職種が多いとかんじる。これはもちろん、このクニの産業構造の変化と無関係ではない。数十年まえにはなかったしごとがいまや主流になろうとしている。ということはこれからのちの学生のえらぶしごとはさらに変わるのは必定といえる。
わかいということ
そうしたあらたな職に関する情報は当事者の学生たちがもっとも敏感に時代の空気を察して得ているはず。もちろん学生たちにメーカーを中心に就職先をえらんだ経験について話をすると、めずらしい話に感じるらしく目を丸くしている。
「バブル」のころを肌身で知るわたしの話をどんな思いで聞くのだろう。こうして上の世代と話す機会がないとわたしにむかって吐露する学生。「そんな時代がここにあったなんて。」とひとりごとのようにつぶやく。
率直に聞いて若者らしいことばをまじえて返ってくる。わたしにはのこりの時間をかんがえるとすでにとれそうにないスタンスの話も聞かせてもらえる。それらの話に耳をかたむけることで、むしろこちらのエネルギーのもとになる。
その一方で
地方にいることのハンデや生のたしかな情報に接しにくいのはむかしとさほど変わりなさそう。やはり見ると聞くとでは大ちがい。当時は都会とはまず物理的距離だった。文字どおり遠いところ。それがいまは高速道路や鉄道・航空路もくふうすればわりと利用しやすい。
ところがこれだけネット情報のあふれる世のなかに変っても、そこはやっぱり生身のヒトが発し、やりとりする情報の鮮度にまさるものはない。就職の活動はまさにそう。
むかしはそれをどうやって集めようとしていたか。たしか電話や手紙で悠長にやりとりしていたはず。正確にはおもいだせないが、おかげで失礼のない手紙の書き方が実地で身についた。ほんの数時間差で就職先がどちらかにきまるという友人の電話でのやりとりをよこで見てきた。つまりそののちの彼の人生を左右する場に遭遇していたといまになるとふりかえられる。
そして、いま
ここにいる学生たちはその意味においては、都会の学生とことなる境遇におかれているといっていい。ある程度自分から都会に行き来して新鮮な情報をかぎわけてあつめて、じぶんのものとしてそしゃくする能力がついてくる。これは強み。
都会にいてまわりから聞こえてくるのとはわけがちがう。自分でとりにいく、より主体的な活動と言っていい。これはどこへいっても通用するかもしれない、そしてちがいを見分ける力へと変貌するかもしれない。
おわりに
つね日ごろこうした学生たちと喜怒哀楽をともにしていると、ある意味、たくましいなあと感じる。たしかに採用していただいた企業側の声ではこの大学の学生の行動力は定評がある。さらにがんばれよと自分ごとのように応援したくなる。
それだけ地方にいる強みを身につけつつあるんだと思えれば勇気もわくし果敢にのりこえていけそう。この部分はむかしと変っていないのかもしれない。
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