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すきま時間でほかにわずらわされずに地形図や地図をながめるたのしさ


はじめに

 けっこうしごとのあいだにじぶんの時間を確保できるし、ぽっかり時間があくことも。自営業かつフレックス制のパートしごとの兼業ならでは。そのときはやりたいことをする。

さいきんは運動不足解消に散歩をしたり、ちょっとまったりしたいときには音楽を聞いたり。その日その日ですぐにできるたのしみ。

きょうはそんな話。

雨や雪の日に

 しごとのあいまに時間ができたのに、からだをうごかす目的の散歩に行けないときがある。雨風が強かったり、さむくて雪のふりやまないときだったり。こういう日は家のなかですごす。

ちかごろは音楽を聞いている。しばらくまえまではお気にいりのCDをよく家でも車でも聞いていた。ところがつぎつぎにうごかせる手もとの機材がこころぼそくなりつつある。いま使う車ではなんとかCDをつかえる。おそらくつぎの買い換えではついていないものになるだろう。もうそんな時代。むしろスマホやほかの機材との接続のほうが優先しそう。

こんなめまぐるしく変わる時代なので、いまは自重してPCでネットからえらんで聞く。きりがないほどの情報の山。これはもうむかしにはもどれない。

もうひとつのたのしみは地図や地形図をながめること。これは冊子のものでもネットのものでもなんでもいい。世界じゅうから気になる場所をみつけて、拡大して数十メートル単位までこまかな地形をたしかめたり、現状のようすを写真でながめたりする。ほぼ行ったつもりになって喜んでいる。


再訪してみる

 この地図をながめるのはもっぱらすきま時間。ほかに雑用がないときをみはからってみつける。先日はおさないころにすごしていたあたりをさがしてみた。

ざんねんながら時間がそんなになかったので、思いあたる場所にはたどりつけなかった。すでに何十年もまえにうまれてから4年間ほどいた場所。その記憶はすでにごくごくすくなくあいまいになっている。時間をかけられたとしても見つけられないかもしれない。

なにか手がかりが現状でのこっていないかグーグルマップでもしらべてみたが、もはやそういったものの痕跡すらみあたらなかった。というかあまりに記憶がおぼろげで周辺の道路さえわからない。小さいころの記憶なんてそんなものかもしれない。注意して道を行き来していたわけでないし、おさない3つの子の行動範囲なんてそんなにひろくないから手がかりはすくないはず。

周囲にくらしていた方々はどうしているだろう。いっしょにあそんだ子はいまごろおなじ年代のはず。その家々はどんなだったか、どのくらいはなれた場所にあったのかすら思い出せない。これではマップをみつめてもなんにも出てこないのはあたりまえかもしれない。

中学校にすすんだころから行動範囲は校区にめいっぱいひろがった。はしからはしまで歩くとすれば1時間以上。そこを歩くか自転車で移動しつつ友人たちとすごしていた。

これはさすがに記憶の質がちがう。はなす当時の友人の声すら思い出せる。そうした友人たちとラジオやレコードからカセットテープに音楽を録音、交換しながら聞いていた。聞く音楽のジャンルなどはやっぱり友人たちの影響が大きい。


おわりに

 音楽を聞くのも、地図をながめるのもいずれもたのしい。あらたな発見もいろいろある。外国にさえマップの上ではあっさりと行ける。

ひとつひとつの通りに建つ家々にそれぞれのくらしがあるんだなとおもうと感慨深い。


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