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地元産品を食べられないで、やむなく国外産のものを食べている日常


はじめに

 ふと変だなあと思う。日ごろ食べるもの。100円とグラム数を指標に買い物をすると高い安いの値段の線びきがしやすいと感じている自分がいる。

レシートにならぶ数十円から100円台の価格。そしてあまり好ましくない方への妥協の連続。あくまでも私感。この点について記したい。


100円の攻防

 実際には98円とか108円のラインだろうか。家族ふたりの食料品の買い物において、今後のぜいたくをつつしむという点を金科玉条のようにあげ、むだづかいをいましめつつスーパーに入る。先日の記事にしたように手書きのメモをもちながら。

たいてい時計(アナログ)と反対まわりに店内をすすむ。まずは野菜から。ここでまずため息をつく。このところの天候不順にともなう高騰でなかなか手が出ない。買えるのは緑黄色野菜ではピーマンか小松菜ぐらい。ほかはもやしやキャベツ。それらも値段が安いときに。

さらにすぐ食べられる野菜をさがす。処分品コーナーで半額以下のものがほとんど。野菜づくりの経験で保存法を心得ているのが役に立つ。ここにならぶものはむしろ食べどきのものがめだつ。くわえて店の廃棄物減らしに貢献している(いいわけ)。

生のトマトを横目に、ぐっとこらえて肉コーナーの向かいの缶詰のコーナーへ。そこでトマト缶を手にする。生のトマトの味はどんなだったか忘れそうなときがある。

自分でつくっていた2年前がなつかしい。毎日まるかじりしてたっけ。熟れてから収穫するとおいしかった。昨今の状況でつくれないままなのはさすがにくやしい。


地元産か国外産か

 そして、安いと思えて思わず手が出るのはどうしても国外産のもの。なぜ遠くから運んできて国内産よりも安いのか。現地ではおそらくとんでもなく安いのだろう。どんなご苦労や思いでつくられているのだろう。輸送コストをかけても安く売れるとは。

くだものはあまり買えないが、かろうじて処分品で買えるバナナ。こちらも海外産でおなじみ。正規の価格の138円を躊躇し、おもわず半額の処分品コーナーの斑点が出はじめているバナナを購入。だいじに冷蔵庫の野菜室で長持ちさせつつ食べる。

そして肉のコーナー。ここは本日記事に書きたいことが如実にあらわれている。わたしは鶏と豚をかろうじてセールのときや割引シールが貼られたときのみ国内産を買う。鶏などは海外産に安いものがあるが、これはちょっと…。

牛の肉は買えない。これは年に数回ニュージーランド産のみ。

いずれの肉であっても地元産の一般品以上のものは手が出ない。ブランド品は素通り。とても経済的とはいえず買えない。地元で育った牛はわたしの前を通り過ぎて(実際に食肉センターは家の近く)遠くへ行き、どなたかの口に入る。


海外産を食べ、地元産を輸出

 日本産農産物の海外への輸出量は順調に増えているそうだ(きょう12/2のニュース)。これはこれで農家の所得増につながれば歓迎なのだが、ひとりの消費者としては複雑なきもちになる。

結局のところ、海外のほんとうに豊かな層に向けて日本産、地元産の産物が輸出されている。ゆたかでない国内の人間(わたしをふくめて)は、安い外国産。

わが国の国民の多くは海外と比較すると先進国(ほんとうにそうなのかなあ)のなかではすでに経済的には豊かとは言えない状況にある。所得の分布状況(厚労省)がそれを示している。今後ますますその差が拡がりそう。

どうもそんな構図がすけてみえる。これが今後もつづきそう。国内に安い労働力をもとめて進出する企業ではたらいたり(すでにそうなりつつあるみたい)、海外にでかせぎに出かけたりする時代? う~ん、なんか変だ。

自分で何も余分なものをかけずにつくって食べきれないほどつくれて売っていた頃にはあまりそこは考えなかった。やさいづくりをやめ、消費者の立場にたちかえりじわじわ気づいてきた。


海外産を食べ、地元産を輸出(あるいは移出)

 もちろんむかしから農家はそうだったかもしれない。市場に出せないものを食べ、きれいにそろったものを市場へ出してきた。それは祖父や父の代も同じ。わたしもそう。

いずれにしても生産者はきれいごとでは生活できない。売り先は必要。でも時代は過ぎ、自給率は高くないし、状況はさらにすすみ地方の人も海外産のものを口にする時代。

ただし父の若い頃、つまり戦後しばらくまでのあいだ、つつましい生活のなかでやさいやくだものの多くを自給していた。牛肉やオレンジの農産物輸入交渉がさかんに世間をにぎわせた頃からだろうか。経済的にゆたかになりつつもいびつな農業にむかいはじめたような気がする。

もう、こうした昭和の生活にもどれとは言えないしできない。

高級ブランド産品と一般農産物をごっちゃまぜにして議論してはいけないかもしれない。グローバル化で各国とはおぎない合い、共存共栄を目指すことはだいじ。


おわりに

 でも食べ物という点ではどれもおなじだし、農産物の自給率を考えると…。

前章の構図を外国の方々が聞いたら、日本人とはどんな人たちなんだ、いったい何をやっているんだと思われそう。とてもよくは思ってもらえなそう。むかし一時期よく目にした「エコノミックアニマル」の言葉が頭をかすめる。

自らの足元を見つめ直すべきだろうし、このことは従来からとりあげられてきたが、事態はそれほど変わっているようにみえない。

いびつな経済構造。国内需要がそれほどないのだろう。すでに驚くほど豊かでなくなっている。もういちど記すが国内では食べていけずに、海外への出かせぎや国外を就職先にする時代がおとずれるのだろうか。

これが現実だし、将来を危惧する点だ。ちょっと長文になってしまった。


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