現金(硬貨と紙幣)を自分がほぼあつかわなくなったとふと気づいた その過程で「円」ばなれがすすみつつある感触
はじめに
昨今の状況下でわたしのまわりの生活の一部がさま変わりしつつある。数えあげればたくさんありそう。そのうちのいくつかはこの状況が終息したとしてもそのままつづきそう。
一例が現金のとりあつかい。
けっして都会でない地方でのはなし。これについて記したい。
しごとを省力化できた
このところわたしは現金を見かけない。余裕のない生活で目の前のお金がわたしの手元に居つかない点はここではとりあえず棚のうえに置いておく。そうではなくキャッシュレスがすすんだというはなし。現金を目のまえであつかうことはすでにしごとでは皆無に。
以前はすべて現金で集金や仕入れをしていた(いまでは考えられない)。ほとんどの取引先や顧客さまはその変更の申し出に応じていただけた。ところがごく一部、現金しかあつかわない顧客さまとは残念ながら取引がなくなっった。
それにくわえてキャッシュレス決済の利用により、売上の3%あまりの手数料を支払う。
デメリット<メリット
その両方がおもなデメリット。キャッシュレス導入による省力化の大きさを考えるともっとはやくふみきるべきだったし、転換にともなう多少のマイナスはやむをえなかったと思う。
現金をとりあつかってきた以前にはもはやもどれない。それほど事務的な面での貢献は大きい。わたしの周囲では導入はわりと早い方だった。
それでもすべて現金の頃から変更が完了するまでほぼ10年かかった。
生活上でも
すでにスーパーでの買い物はまったく現金をさわらない。これまでは買い物に必要な現金を得るためにまずはATMに向かい、そこで銀行口座から現金を引き出し…という手順がまず必要だった。
さらにその前提として買い物などのお金をATMの使える銀行の口座につねに一定程度振り込んでおかなければならなかった。その理由は買い物できる場所や近くのATMがしごとで取引する銀行のものでなかったから。
そのうち不便を感じて銀行の口座をうつし、しごと(いずれも自営業)で得た収入を預ける銀行口座から、必要に応じて個人の生活に必要な口座へとネット上で無料で振込む。
そうこうしているうちにその口座とひもづけできるクレジットカードやデビットカードが近隣の店でも使えるように。月々生活にかかる諸費用はこうしてわずらわされることなく自動で引き落とされる。
現金を見ない生活に
いまでは目の前で現金を見ないままに収入が得られるだけでなく、商品やサービスが手にはいる。
わたしのいる地方でも都会でははるかむかしにあたりまえだろうことがようやくととのいつつある時代をむかえたといったところ。
たとえば身近で新幹線を利用できるようになることなどもそうかなあと思う。千キロはなれた都会では半世紀前、数百キロ離れた中核都市では30年前、そしてやっと10年前にその生活に。それとよく似ていないだろうか。
おわりに
ここ最近のはなし。 しごとでは一部の顧客さまとのあいだでは、暗号資産による(ほぼ)即時払いを低い手数料でおこなう。為替レートを考慮しつつ暗号資産−ドルのあいだでネット銀行のドルをあつかう口座で管理する。
そこにまったく「円」は介在しない。つまりそれまでなじんできた硬貨や紙幣はまったく登場しない。ドルになじむようになり、もはや管理や運用もドルを主軸にしつつある。つまり「円」をあまり持たない生活になりつつある。
「円」についてはもうすぐ新紙幣に変わろうとするらしい。500円硬貨も新しくなるそうだ。はたして今後わたしが目にする機会はどれほどあるだろうか。
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