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みずからのなにげない旅のすぐそばにあったはずの運命のちがいとは


はじめに

 人間の運命はほんのごくわずかな行動のちがいで変わるものなのか。

過去のみずからのごくありふれた行動を例にとりあげふりかえる。つくづくあまり考えずに動いているなと思う。そこにまちうけていたかもしれないさまざまなリスク。

渡欧の機会を得た。2003年3月から4月にかけての10日間。ちょうど20年前。いまふりかえるとこのあいだにさまざまなできごとのそばにいた。時間が経っているのでここに記してかまわないだろう。

きょうはそんな話。


渡欧の機会

 まずは旅に至る経緯から。年度末まで未消化だった有給を活用しようと思った。当時は有給休暇のしくみすらほとんど知らなかった。つまり土日祝もふくめてはたらいた。休んだのは1年間で両手の指でたりるほど。たいてい冠婚葬祭。

とくに上司からそうしろと言われたわけではない。裁量でやりたいだけでよかったのでそうしたにすぎない。

みかねていたのか、周囲の方から年度を超えるとほとんどくりこせない有給をすこしでも消化してはどうかとアドバイスをもらえた。なるほどそうかとスタッフと協同の仕事に迷惑をかけない時期を確認し、同僚と旅立つことに。

ところがその旅の日時は微妙な時期だと出発の時点では予測していなかった。

というか世情にうといわが身をのちに知ることになる。


旅は先達の案内こそ…

 旅先のカウンターパートが信頼のおける邦人の方で、現地の事情を熟知していることから、不案内なわたしがいてもだいじょうぶだろう、行こうと決めた。

治安のわりとましな日本とちがい、海外では行く先々の治安は同じ街なかでも知っておかないととんでもないことに巻き込まれかねない。比較的安全とされる場所、交通機関でも。したがって先達のいることはこころづよい。

話は飛ぶが、日本でALTとしてはたらいているニューヨーク出身の方から現地の地下鉄やダウンタウンなどの話を聞いた。

路線や時刻、それぞれの駅や出入り口でも安全度はずいぶんちがうとのこと。東京とさほど変わりなく「使える」路線がある一方で、とくに夜間は近づかないほうがよい経路や時間があるとのこと。

旅先にて

 やはりその土地のことを知っているか否かは大きい。旅先ではお世話してくださる方の忠告にしたがい、羽目をはずさないことを心がけた。それでも旅行者はめだつし奇異に見えるのだろう。こんなことがあった。

英国の地方の町でのこと。地元の遊んでいるこどもから、通りがかりに同行者の布マスク姿にむかって「Rough mask!」と大声で指をさされた。つきそうおとながその子をたしなめていた。

こどもは正直なものだ。たしかに見てくれのよくないマスクだったし、当時はマスク姿すらその地方では見かけなかった。その子が奇異に感じたのも無理はない。

この子がふと気づかせてくれた。旅するわたしたち以上に、受け入れてくださる現地の方々が見慣れないわたしたちのような人や物に対する不安は当然あるだろう。寛容のきもちで受けていれてくださっていることをもっと意識しないと。それをこころにとめつつ行動すべきなんだろうと思った。


いくつかの事象

 その旅ではシンガポールでトランジットがあった。トランジットツアー(2022年現在、彼の病のため中止中)も終わり、乗継便を待つあいだ、チャンギ国際空港で時間待ちのなかでのあるニュースがとびこんだ。

「アメリカを中心とした有志連合がイラクの攻撃を開始した」と。例の大量破壊兵器うんぬん…の件である。そこで知り合った日本人の若者もまじえてこのニュースについて話し合った。

彼は多少気にはなるがこれからエジプトに向かうとのこと。この時期に中東の国々に向かうのはどうだろうかとわたし。一応、目的地に向かい情勢をみつつ行動しようと思うとの返事。

むしろこちらがイギリスに向かうと聞いて、相手のかたも気になったようだ。おたがいに「気をつけて。」と別れた。どうしようか、ひきかえすか考えたが、渡航制限などは出ていないので向かうことに。

情勢によっては…

 のちに知ることになったが、イラクは領空を通過する航空機について、民間機だろうが何だろうが攻撃の対象となりうることを警告していたらしい。

たしかにシンガポールから英国に向かう航空路は、カスピ海の南(イランの領空)を通り、黒海からルーマニアへ抜ける。ここを抜けるのは夜半過ぎだったが、数百キロ南が紛争の該当地域と想像すると機内で気になり眠れなかった。

到着後の状況は

 ヒースロー空港からごくふつうに入国したが、とくに支障なく通過できた。日本からの渡航なので問題となることはないのだろう。地域によってはくわしく調べられたかもしれない。

目的地のホテルに入るとNHKの国際放送が流れていた。やはり当該ニュースを流している。そこでは英国内にいる邦人に向け、主要地(国会議事堂や政府関係施設など)にはなるべく近よらないでほしい旨の放送を流していた。それなりにテロなどに警戒しているようだった。

これもあとで知ったが、攻撃開始から日本国内では通常の番組を昼間も休止してこのニュースをしばらく流しつづけていたそうだ。それほどの事象だった。

それから2年後にはロンドンのこのたびで利用した地下鉄やバスの拠点などで爆弾テロが勃発、多くの方々が亡くなっている。この旅で利用した主要駅や路線などが標的にされた。

旅先での食事について

 旅先では食べものを摂らないと過ごせない。水とともになるべく選んで注意しながらの食事となったが、これも帰ってからさまざま知ることになった。

じつは2003年当時はまだ英国はBSEの報告がつづいていた。これはむしろ下のグラフ(横浜市ホームページ)を見ていただくと一目瞭然。日本でも2003年にはBSEの牛が4頭見つかり、牛の月齢による輸入制限などがつづいていた。一応、対策が進みつつある段階ではある。

横浜市HPより

                         
しかし、当事国の英国だ。シンプルな食事ではあっても牛肉をふくめて食肉が入っている。滞在しているあいだはそれでも食べないと動けないので、あまり意識せずに食事をした。これでは何十年もあとにプリオン病を発症したとしても因果関係などつきとめることさえ困難だ。

そしてこれものちに知ったこと。今回の旅では期間の点で該当しないが、英国渡航歴のある一部の人はその時期や期間によって、いまでも献血や臓器移植などの制限(厚生労働省資料)などが定められている。

牛肉輸入や献血についてはその後、条件つきで制限は段階的に緩和されつつある(日本赤十字HP)が、いまもって要注意の状況に変わりはない。

そして、SARS

 そして帰国。ここでもひとつ気になることが。同行者のひとりがずっと旅行中に風邪ぎみだった。マスクをしていた当事者。帰国したばかりの通路でまっさきに目にすることになったのがSARSの対応。

その4か月まえに隣国で発生。たびに出る2週間まえの2003年3月12日にWHOから「グローバルアラート」が出ていた。このクニも水際対策をはじめたばかりだった。

通関するさいに熱をはかる機器がそなえてあり、このときばかりはいらぬうたがいをはらすために、同行者はマスクをはずしてなにごともなく通過できた。熱がさがっていたのがさいわいした。


おわりに

 旅や生活にはそれなりのリスクが伴うのかもしれないが、それにしてもふりかえると、軽はずみな行動をしてはならないと反省。おそらくわたしはいまのところは、たまたまそうしたリスクに遭遇せずにすんだに過ぎない。

なかには無意識のうちに気づかないままだったこともあるだろう。数えていけばきりがないし、行動も必要以上に二の足をふんでしまう。一方で場合によって(時と場所によって)はあっさり出くわすことになりかねない。

「あすはわが身」や「一寸先は闇」とはそのことか。あたりまえと言われればそうだろう。日々こうした「用心」と「情報収集」で襟を正さないと。当事者意識というか、わが身にふりかかることは正常バイアスがかかってしまい、自覚できていないまま。欲やつごうが先立ってしまうのかも。

そして今回の彼の病。わが身をふりかえり、すくなくとも他人様に迷惑をかける行動だけはつつしもうとこころがけている。


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