はじめてでありながら生涯でさいごのつもりでやむなく買ったもの
はじめに
このところ買いものにでかけると、こう口をついてでそうになる。「もう買わないよな、きっと...。」この記事のタイトルをごらんになり、おそらく「家」のことだろうとお思いの方が多いかもしれない。たしかに30代でもそう口をついてでていた。
くるまについては家族からも先日そんなふうに言われた。そのことばにうなづく。電動化のすすみぐあいやプラグインハイブリッドなど気になる。さきがみえないので実績のある中古にしとくか。ついそう思う。
でも意外や意外。みじかなこんな商品でおなじことばがよぎった。
スーパーの買物で
全国展開の大手のスーパー。わたしのくらす地方にもある。この店にむかえば日本の経済の平均的なようすをかいまみれる。
なかにはいると3方ぐるりと肉・魚・やさいなどがならぶ。そのむかいの内側には冷蔵品の加工食品。とうふとかちくわとか。そしてそのまたうちがわには常温の加工食品や洗剤、雑貨など。店のおおきさはちがえどもその品物のならぶようすはほぼおなじ傾向をしめす。豊富だなといつもかんじる。
日々の買いものなので、こうした店でわが人生のいくすえなどを考えながらの品えらびはまずない。まあ例外的にカニやマツタケなどはそうかもしれないけど。
ところがなかにはなんでこんなものでという商品でそう思ったばかり。それはなんと「タッパー」。
タッパーを買いにいく
わたしはこれまでの人生でタッパーを買ったことがなかった。べつに御曹司だったわけではない。たねをあかそう。すべてもらいもの。こうした日用雑貨品は引き出ものや景品などとしていつのまにかわが家にすみついている。
たまに大がかりなそうじどきに、あまりあけない戸だなのおくでわすれられている。まあなにかしらあるだろうと買う機会はなかった。
このあいだ戸だなを整理したときにふたが変形したりやぶれたりして用をなさないタッパーを処分。ついでにローリングストックの置き場所にあらたなものがひょっこりでてこないかさぐった。けっきょくみつからなかった。期待どおりにはいかないもの。弁当やつくりおきを冷蔵しがちなくらしで、必要なぶんやサイズがたりないとわかる。
それでふだんあまりたちよらない店のたなをうろついている。
はじめての買いもの
スーパーである程度妥協してそこそこの品を購入した。買った商品は4つのふたつきで税込217円。電子レンジ可でふたつつかえば弁当としてたずさえるのにちょうどいい。家にかえりつき「あっ、そうか100円ショップでやまづみされていたっけ。」とおもいだす。あとのまつり。買いものとはそんなもの。
購入したスーパーのたなにはデザイン共通のサイズちがいで4,5種類のみ。かさねてコンパクトにふたとともにビニールにはいっている。1個50円あまり。弁当箱にしようかとちらりと見くらべたうえで購入。そういえばタッパーを買うのははじめてだなと気づいた。
そういえばプラスチック製品をちかごろ買う機会がない。わが家でつかう石油由来の製品では5年前に買ったマイバックが最後かな。マイバックは天然繊維の不綿布のもの(もちろんもらいもの)ばかりになった。ラップは1箱買うと2,3年はもつ。ラップの代用はさらしのふきんをかぶせたり、再利用できるラップがわりのふたをさがしたりしているけど。
家にあるタッパーのおおくはいずれも20年以上まえにいただいたものばかり。ものもちがいいほうなので、タッパーはもう買いにいくることはきっとないだろうな。
おわりに
できればプラスチック製でない容器をほしいのだが高くて手がでない。木製のおひつや弁当箱はとくにそうおもう。やむなくしかたなくこうしたプラスチック製品のおせわになる。すこしだけ罪悪感をもちつつ。そのかわりだいじにつかおうと思う。
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