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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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2022年11月の記事一覧

朝の息がかすかにしろくなりはじめた おだやかな海風をつかってだいこんを干したくなる

はじめに  朝方、玄関を出て見あげると星がまたたいている。東の低い空だけがほのかにあかるい。いつもどおりの通勤日。運転席のドアをあげると、そのルーフのうえにびっくりするほどまっしろいだいこんのたんざくがならぶ。 そうだった、切り干しだいこん。きのう干したのをわすれてた。おくれて思いだす。ようやく朝の気温がさがり、いっきに乾きそう。 日がみじかい  きのう昼間にだいこんを干した。天気情報を見つつようやく干せそうとひもをカーポートの軒下にはり、はったひもをぬれぶきんでふく

学習サポートの小学生に効果てきめんだった「◯◯るとおぼえられる石」

はじめに  学習サポートを主宰してきた。あるとき小学3年生の児童が来ていた。こうしてやるといいよと説明になっとくしてそのとおりできるのはまださき。 そこでこんな方法をつかったことも。 暗唱でみにつける  この地域の小学校の先生は国語のものがたりの暗唱を宿題にされる。するとわたしの主宰する学習サポートにやってきた小学生たちは、いつもの漢字の書きとりや算数のドリルをやったあと、「先生、聞いててね。」とその暗唱の宿題をはじめる。 まずは1文ずつわけておぼえていく。すべての

ごくごくふつうのnoteユーザーのわたしにはオーバースペックになりそうなカメラの進歩

はじめに  デジタルカメラをつかいはじめてひさしい。20年ほどになる。最初のカメラからすでに2台め。そして家族のカメラやスマホをみると機能はますます進歩したようだ。 スマホ、タブレット、PCをつかい、note投稿や閲覧に支障ない写真とは。もはやごくごく日常的な写真ですら、ひとむかしまえの銀塩写真に遜色ないようだけど。 注)この記事につかった写真の画質はおとしています。撮像素子のサイズなどは気にせずにくらべています。 最初のデジカメは  最初のデジカメは、Nikonの

こどものころの街の空き地がどこもあそび場としてつかわれていた

はじめに  むかしすごしていた街。工場地帯の周囲にひろがっていた。街はまだまだ基盤整備が必要で、雨の日には未舗装の道を一列になり、どろんこになりながら通学。そのまわりに空き地がひろがっていた。そうしたあそびの場にできる土地は数かぎりなく、10あげよといわれればつぎつぎにうかんでくる。 当時のおとなたちがこうした「空き地」に関してはこどもがつかうぶんにはおおらかというか、無とんちゃくだった時代。そんなころのようす。 こどもの居場所  ひまさえあれば寄っていた。そこには時

とおい祖先の冬ごもり・冬眠のなごりで近ごろねむくてねむる時間がながいのかもしれない

はじめに  いつもねむい。なつのころとくらべるとあきらかにそう感じる。このねむさはどこからくるのか。朝のくらいうちから出かけ、くらくなり帰りつく。 いつものねどこのわが家は、この時期にはわたしがすごす時間帯はいつもくらい時間。その生活と睡眠はどうもDNAにかきこまれているのかも。ふとそんなことを思いつつしごとにむかった。 家族ようすから  どうもわが家の家族は冬になるとよく食べる。これからの冬眠にそなえて準備する小動物のよう。いつもの食事をのようすをみていると、これか

ものごとがうまくいかない理由はかならずある うごかないファスナーを修理してつくづく思った

はじめに  けさ、シーツのファスナー(チャック)がうごかなくなって敷布団からはずせず、洗濯機をうごかすのに間に合わなかった。あせるとなお開かない。 あまりにうごかないので意固地になりかけた。でも、ここでこころをおちつけて、すると…。 かならず理由が  いったんやりだすと夢中になりまわりが見えなくなりがち。ほかをほったらかしにして時間ばかりかかってしまう。敷布団をおおうシーツを洗濯したいのにファスナーがなかなか開かない。 すでに朝にやろうとした段どりがこれでずれはじめ

リアルとバーチャルの物々交換 電子マネーの世のなかにどちらもあってもいいのでは そのしくみについて考える

はじめに  タイトルを目にされた方。おどろくに値しない。まっこうから現代の経済に異をとなえるつもりなど毛頭ない。 物々交換とは究極のキャッシュレス決済。ある意味アナログなしくみが共存してもいいのではないか。なにもかもがべんりで合理的なせかいではねえとふとかんがえた。 べんりさを享受するなかで  すでに紙幣や通貨を見なくなってどのくらいかな。すくなくともこのあいだ、てもちのカードがつかえない店で財布(これすらカード入れに変貌しつつある)からやむなくしはらっていらい、現金

生きているうちにわかるとは思ってもみなかった宇宙のようすを知れる情報にせっして

はじめに  宇宙ずきでしかもこうした情報にせっするとこころがやすらぐ。こどものころからずっとそう。ふるくなった望遠鏡を空にむけるのはあきらめたが、それを上まわるほどの情報がつぎつぎにとびこんでくる。 科学の分野でも宇宙は深海とおなじく未知の世界。技術が進歩すればするだけ期待以上のあらたな興味のわくをひろげてくれる。昨年からことしだけでもそうだった。いくつかを紹介したい。 ①最近のおどろき:ブラックホール  なんといっても昨年のブラックホールの実態をあらわす画像。SFで

スマホはすでに「電話」として未完成のまま、ほかのなにものかになろうとしている機材ではなかろうか 

はじめに  ふたつ折りの携帯電話からスマホに変えてかれこれ4年になる。その前はPHS、黒電話…。スマホをつかいつづけてやっぱりなあと思うことのいくつか。 つかいづらい  ヒトがスマホで電話をかけているのを見る機会がなかなかない。ヒトはどうしているのだろう。だってめったにかかってこない呼び出し音が鳴ってから送り手に応じるまでに、すぐに出られないのはわたしだけだろうか。 アンドロイドスマホ。まずはカバーをひらいて、真っ暗な画面を右ボタンを押して顔認証。そのあとは電話マーク

1年でもっともいい季節がやってきた ほんのすこしだけ夕方の風が冷たくなってくるころの思い出

はじめに  この季節になるといつもほんのりと思い出す。中学1年のクラス。ちょうどいまごろの時期だった。 担任で美術担当の教師からスケッチ大会に出てくれないかとの申し入れ。学校の授業を休んですきな絵を1日じゅう描ける。それが頭にうかんでふたつ返事で引き受けた。その日の帰りの寒空の印象がのこる。 朝から夕刻まで  スケッチ大会の場所は家からバスで30分ほどの市営の公園。弁当を持参し、遠足気分ででかけた。街の中心からすこしだけ先。近くには球場や競技場。 この街の文化・公共

フィルム一眼レフカメラをつかいつづけたころ デジタルとくらべて費用がかさんでいた

はじめに  以前は一眼レフのフィルムカメラをつかっていた。それから25年がすぎ、いまはデジタルカメラになった。 ミラーレス一眼カメラを手にする現在。これまでのフィルムカメラでの撮影を趣味にしてきたひとりとして、どのくらい費用がかかっていたのかのふりかえり。 フィルム代は...  カメラを手にしはじめた中学生のころ。数か月分のこづかいののこりをためてようやくネガフィルムを1本買えた。フィルムをカメラに用心深くセット。このカメラへのフィルムの装着はコツがいる。気をつけてフ

noteに100日連続投稿 毎日2,000字ぶんの考えをめぐらす時間をいただけた周囲のおかげ

はじめに  このところまたたくまに年月がすぎていく。光陰矢の如し。あれっ、ついこのあいだ正月だっただろう。そんなかんじ。ことしは世のなかをまきこむ大きなできことが進行中。それでことしの前半にははじめたばかりのnote記事の投稿をいったんひかえていた。ところが事態は膠着し、ながびいている。 その経緯のなかでこうかんがえた。なにしろ明日はどうなるかだれにもわからない。それだけに連綿と受けついできた生命のひとかけらとして、なにかしら文をつむぐ作業をやってここへのこしてもバチはあ

油絵を描いておもうこと:こんなアプリがあるといますぐにでもつかいたい

はじめに  油絵を趣味にしてきた。かなり長くなる。ほぼ基本どおりにやってきた。その時間と手間のかかるプロセスもふくめてたのしみとすればよいのかもしれないが、描くたびにもっと作業しやすくなるといいなと思ってきた。 わたしのわがままな希望としてはデジタルの画面上で油絵の作業がほぼ再現できればいちばんいいと思う。その理由とは。 油絵のおもしろさ  油絵ではキャンバスなどの平面にえのぐを置いていく。数日から1週間ほど乾かすとつぎの作業にすすめる。乾いた油えのぐのうえにぬりかさ

食事のスタイルにあうスープを入れる食器をさがす

はじめに  こういうことは休日の朝にしか思いつかない。けさもそうだった。わが家にはスープをよそう食器がない。みそ汁もポタージュもおなじ和洋折衷の汁椀にいれて出す。なにかよいいれものは...。 このクニではスープでも家ならばえんりょなく口を食器につけて飲んでもさほど違和感はない。 みそスープつまりみそ汁にスプーンをつかうと猛烈にそうじゃないよというかんじ。じゃあ洋風のスープならばどうしよう。スプーンをひっぱりだすほどではなく、口をつけたってかまわない、でも洋風でもなじむも