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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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この記事を出張中の新幹線のS Workシートで記した

はじめに きょう(7月25日)は出張。ひさしぶりに新幹線を利用。以前といろいろとちがうようでそれも興味深い。とくに気がねなくPCを使える車両が準備されているほかに予約も自宅でできるようになった。そのおかげでスキマ時間にいつもnote記事を書くわたしには好都合。 きょうはそんな話。 東海道新幹線で 以前ならばもっぱら東京駅まで出て新幹線を利用したもの。飛行機にプラスして新幹線をつかいがちのわたしには新たな品川駅の存在は朗報。ここからきょうは西に向う。今回はまさにそう。

拡大していくばかりが果たして成長や進歩といえるのかどうか

はじめに 職場の研究パートにおいて節電が実行できているか本部の抜き打ちチェック項目リストなるものが。注意喚起だけではないらしい。これってなんか遠いむかしを彷彿とさせる。中学や高校の服装や容儀の検査。登校する校門の脇や体育館などいつも気まずい雰囲気のなか先生たちのチェックがはじまる。 なにもそうしようとしてなくてもひっかかるおそれあり。わたしの場合は「髪を切りにいけ!」のお達しが多かったかも。こういう「抜き打ちチェック」なるもの、もうちょっと前むきに取り組める方法にもってい

大きな街ならばすんなりうまくいくことも中小の町ではいくつかくふうが必要

はじめに 個人事業であらたなアイデアでなにかを興す場合、大きな街ならばそれなりの需要を予測しやすいかもしれない。それを小さな町でおこなうには需要を掘り起こしや、ヒトの密度が疎なため広域で存在を知ってもらう労力が必要。 店舗まえの人流が日に10人を超えないならば(まさにそんなところ)、探して遠くからいらしてもらえるだけの魅力で集客する。そうたやすくはない。 きょうはそんな話。 教室をひらく そろそろ事業をとじる。どうにか20年ほど4人家族が食べるだけはなんとかなったし、

セミのなきごえの聞きはじめ:ものごとにはどんなことでも順序がある

はじめに 梅雨が明けて夏がやってきた。というかその前から気温はまちがいなく夏本番だった。雨の合間にそれが垣間見え、汗をずいぶんかきはじめた。からだはそうした「練習」を経て本番にそなえたいのだが。気候の変化は情け容赦ない。ずいぶんと照りつけてきた。 きょうはそんな話。 すでに日に日に 梅雨あけ間近ははっきりしない天候がつづいた。そんななかすこしの晴れ間にことしも聞こえてきた。ニイニイゼミ。いまも近くでないていてなんとも暑さを予感させる。夏のおとずれとともにやってくる。こ

歯のメンテナンスにむかうようになり日ごろの歯みがきのコツと限界にようやく気づいた

はじめに はずかしながらようやく歯の維持にめざめた感じ。歯科医の適切なアドバイスとともに不具合を直し、ながく良好な状態を保てるように指導を受けた。数か月に1度の歯石とりと定期的な検診のほかは日々のじぶんでの維持。もっぱら適切なはみがき。物理的に行き届かないところを歯科医におぎなっていただく。 きょうはそんな話。 歯みがきが変わる 食事中に詰めものがはずれて近所の歯科医をおとずれた。昨年の12月のこと。応急処置で詰めもののはずれたところに仮のあてもの。それにくわえて口のな

ほぼあらたな資金を要しない研究だってあるにはある

はじめに このクニのお役所は大学に実質的な運営費なしで研究成果や論文などを発表せよとの姿勢。米国のように大学への寄付の容易さやスポンサーの得やすさを整備できていないなかでそれをやってしまった。独立法人とはいえ足かせが多く、事業や資金運用の自由度がないにひとしい。 費用が必要ならば指定の競争的な研究課題に応募して参画すれば資金を提供するという。これでは自由に考えをめぐらし、気ままに探求することはなかなかできないだろう。 きょうはそんな話。 いびつなかたち どこか尋常でな

カメラとスマホ:写真の撮影のための高邁な機能を使いこなせていないらしい

はじめに 手もちの道具でつかわなくなって久しいものがいくつかある。それはフィルムカメラ。最後にフィルムを買ったのはいつだろう。すくなくとも21世紀になり購入していない。デジタルカメラをもっぱら使いまったく現像にむかうことがなくなった。せっかく現像(白黒)をじぶんでできるのにもかかわらず。 くわえていまはスマホが手もとにある。いつでもどこでも撮影できる。もちろんデジタルカメラと併用。可能な限り両方を使うつもりでいるが…。 きょうはそんな話。 最後のフィルムは いったいい

なにげなく選んで貼りつけるnoteのタイトルヘッドの写真にはそのときの心理が投影されるかも

(2024.7.24加筆) はじめに 下書きしたnoteの記事を数日置いて手をいれて、最後に撮りためた写真ののなかから1枚をえらんでタイトルヘッドに貼りつける。ほぼ無意識でギャラリーのちいさな画像のなかからひょいととり出す。躊躇せずそのまま貼りつける。そこになにかしらそのときの心理がはたらいていそう。 きょうはそんな話。 ここ数日 さきほど掲載したい下書き記事に手をいれてPCの所定の操作を経て掲載。「記事」のプルダウンメニューを選択し、掲載されているのを確認。いつもどお

noteを日々記しているとだんだんと同世代が集まるような気がしてきた

はじめに こちらも以前に一度書いた。それでも確信にいたるまでなっていなかったのでようやくそれに近いかたちで触れておきたい。 なるべく年齢や住んでいる地域(西日本とだけ案内)にふれないのに、どういうわけかどこかに類似点のある方、同世代の方がコアな読者層がコアな層になっていないかと感じる。 きょうはそんな話。 ふと思う 毎日、PCのキーボードに手を置いた瞬間に思いついたことを、間をおかずに頭に浮かんだまま入力する。15分ほどの作業。数日置いて見直して投稿。熟慮を重ねるわけ

マンションの3階の部屋の窓ガラスがくもるのはどんな理由からか

はじめに いつも部屋にいるときは窓のほうを向きいすに腰かける。すると顔をあげると窓ごしにそとを見わたせる。その多くは林立するマンションやビル。右手に近くの山々。ここから散歩できる距離。 窓ごしなのでちかくに視点をうつすと窓のよごれぐあいが気になりはじめた。地面近くでないのにどうしてくもるのだろう。 きょうはそんな話。 雨つづきで ようやく梅雨の晴れ間。けさ起きてすぐそう思った。朝からこんなに澄みきった青空はじつに何日ぶりだろう。雨が空気中のちりをおとしてくれたせいかほ

研究の手がかり:あたらしい良質なテーマは身についたごくそばにころがっている

はじめに よくヒトから言われるのが、「よくあたらしい研究テーマを思いつきますね。」だった。そう言われてはたしてそうかなあと思う。ほとんどがガラクタにすぎない。100にひとつもまともなものはない。でもなかにはちょっとだけたしかめてみようかと興味本位でとりかかることもある。すると…。 きょうはそんな話。 まわりにヒントが どうも雑学のさまつなことへの興味がつきない。新聞や雑誌などならばコラムとかトピックのところが好き。もはや新聞やテレビに接しなくなったが、それでもなにやかや

梅雨からこんどは台風の季節がやってくるとこのところ気になること

はじめに このクニに四季があるところは気に入っている。これまでそれぞれの季節のおだやかなふるまいに風情を感じてきた。もちろん自然はそうなまやさしいものではないのは承知。ときに荒々しさやきびしさを表に出す。だからふだんのここちよさがきわだつ。 ところがどうだろう。このところどの季節にももうすこしやわらかであってほしいと願う。雨風にとげとげしさがめだつ。どこか「まとも」でない。 きょうはそんな話。 梅雨にもいろいろ ことしの春から夏にかけて住んでいる地域ではほんとうに雨が

若い方々へ:なにかと不便だったころを知る層なのでわたしたちをほうっておいていいのでは

はじめに いちど同様のことを書いたがもう一度。 すくなくともわたしの生まれた頃(1960年代)まではまだユニセフの食糧(給食の脱脂粉乳など)の援助を受けていたほどだった。戦後の余波からぬけだすための社会資本の整備も途上。街でもすこし郊外にむかうと舗装されていない道路や下水道工事がいたるところでおこなわれていた。 とくに地方などはそのままというか、「環境」などに気を払う余裕もない。住居のそばには廃棄物の山。そんな時代をすごし、そまつな身のまわりですごし、おざなりなモラルの

睡眠のリズムをつくるのに夜明け間近で起きるのがいちばんよさそう

はじめに はるか平安のむかしのヒトビトは明るくなると起きて、暗くなると眠ったらしい。たしかにそれで部屋を灯す高価な油を使わずに済む。農耕を中心とした生活ならば納得できる。もしかしたらいまもそうかもしれないと自らの睡眠をかえりみる。 きょうはそんな話。 寝る時間 睡眠時間はどれぐらいがいいのだろう。個々人でちがいそう。わたしはむかしから7時間程度だった。最近はそれをきりつつある。6時間台で目がさめてしまう。 やはり歳を重ねたせいか。けさは目覚まし時計よりもはやく目を覚ま