なにげなく選んで貼りつけるnoteのタイトルヘッドの写真にはそのときの心理が投影されるかも
(2024.7.24加筆)
はじめに
下書きしたnoteの記事を数日置いて手をいれて、最後に撮りためた写真ののなかから1枚をえらんでタイトルヘッドに貼りつける。ほぼ無意識でギャラリーのちいさな画像のなかからひょいととり出す。躊躇せずそのまま貼りつける。そこになにかしらそのときの心理がはたらいていそう。
きょうはそんな話。
ここ数日
さきほど掲載したい下書き記事に手をいれてPCの所定の操作を経て掲載。「記事」のプルダウンメニューを選択し、掲載されているのを確認。いつもどおりだがおやっと気になったことがひとつ。それはサムネイル画像。
「記事」の画面には掲載記事の表題と下書きのそれらがあたらしい順に画像とともにずらりと縦にならぶ。なんと青空の写真ばかりがならんでいる。
先週は…
たしかに先週はどういうわけか梅雨の中休みで青空を数時間だけ見わたせた。雨つづきの数か月でじつにめずらしい。澄みきった空をひさしぶり見た気がして、いとおしさにおもわず上をあおいで写真におさめた。
そう、それほど晴れ間が恋しい。なにしろ雲のきれる間がほんとうにすくない。晴れてほしいきもちがずっとあるにちがいない。サムネイル写真にずらりとならぶ青空はまさにそんなわたしの願いにちがいない。
食べ物がならぶのは…
さてそんなちいさな発見をしたので、すこしだけ期間を写真だけ見つつスクロールしてさかのぼるとやはりそうかと納得。たべものばかりがならんでいる。おもわずにんまり。どうやら食べものをつくるのにすこしだけ執着した時期だろう。
日々これ食べたい、あれつくろうはやってくる。季節ごとにまちがいなくそんなきもちがわいてくる。これはおそらく本能的なものかもしれない。おなじものばかり食べつづけるのはよくない、ときには旬のものを口にしようとおのずと湧きあがる行動かもしれない。
緑や花を選ぶのは…
いちばんめだつのは花や木々の写真かな。身のまわりの毎年目にするものが多い。数は多いがごくごく身近なものばかり。われながら行動半径はかぎられているのによくもまあこんなにさまざまな花々があるものだと思う。とくに昨今の状況下でほぼ家の敷地から出ないままなのに、よくもまあこれだけ写真を撮れたと思う。
ほぼほったらかしでろくすっぽ世話をせずに姿を消したものも数しれないほど。それにもかかわらずこれだけタイトルヘッドに使うだけ写真を撮りためた。
おわりに
街中に引っ越し、生活のようすは様変わりした。家まわりの自然のようすや状況もちがう。はっきり言って激変した。きのうもはたして畑をつくっていた、やさいを育てていたなんてほんとうに自分がやっていたのだろうか、あれは妄想でほんとうはつくっていなかったのではとふと思うほど。
意外なサムネイル写真のずらりとならぶようすに自らの心理を探ってみる。noteの作業画面ではそんな意外な使い方ができる。
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