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菜園日記2023.4.25


耕す前、春爛漫の畑。これはこれで目に楽しい🌼

毎日少しずつ通い夏野菜の畑を準備している。
育苗中の苗も上々だ。

4月中頃の苗。左側にバジル、真ん中でズッキーニとマリーゴールドが旺盛に育っている。

まずは気づいた反省点から。
昨年に植え付けた野菜たちをビニール資材で土を被覆し越冬させたけど、どうも調子が良くない。
畝間に厚く敷いた鶏糞から余計な菌が土壌で繁殖してしまったようだ。放ったらかしでやってきたこれまでにはなかったこと。
ビニール資材を使うなら繊細な土作りが重要だ。

逆に自然農なら大概のことは雑草が解決してくれる。連作障害もない。
鶏糞を畝間に厚く敷いて畝と畝間を交互にローテーションしていくやり方も同じ。雑草が勝手にバランスを取ってくれる。
要は初心に戻って「過保護にしない」「野菜自身を信じる」ことが肝要と思う。

ビニール資材は野菜の株元を守るというより、植え付け前の土作りで利用するのが自分には合っているようだ。
マルチで刈草の分解を促進し、植え付け前に外して雑草と共に育てた方が自然に良く育つ。その場合、秋冬野菜は冬の寒さが本格的になる前にある程度の大きさになっている必要があるだろう。
早めの播種、育苗がポイントだ。

ビニール資材の下でよく分解された刈草の土はフカフカで素晴らしい質だった。
これは「菌ちゃん農法」を元に表土を刈草で分厚く覆いマルチで蓋をして作った土。植え付けまでのタイミングが早かったのが反省点。今が一番いい状態だと思う。

今年こそ上手に雑草と付き合うのが目標!
だんだんカネに頼らない農法に近づいているのが嬉しい。

畑をやっていると「場と記憶」について思考することが多い。

国家の教育に疑問を持った人々がそれぞれに良かれと思いニッチな教育現場を試行してきたことを思う。
しかし、学校を出た途端いきなり社会に放り出された人達は、あまりに周囲の人とは育ってきた環境や経験や思考、価値観が違うことに愕然としてきたことだろう。

思うに、教育をコミュニティや土地から切り離したことが問題を生んできたのではないだろうか。
無論のこと集団から見て特異な教育に関わる人々が形成するニッチなコミュニティは存在するが、社会という巨大な機構と対峙できるほど強固で盤石なものでもないだろう。

コミュニティはある程度自活力を持たなければ、この巨大な怪物と化した社会とは対峙できない。
つまり、教育の最小単位は村だったのだと、耕しながらふと思った次第だ。
それはおそらく民主的な機構が機能するコミュニティ単位とも相似的なものだろう。

世界戦争なんてものが登場するまで、世界はそれなりに完成していたのになぁ、と空を仰いだ。

地域やコミュニティを大事にするには、耕し食べ生きることで自分自身を含む「場の記憶」そのものを形成しなければ、持続可能な社会としては成り立たないだろう。

一先ずまっさらな畝を二つ耕した。今年から本格的に不耕起自然農へ挑戦だ。
ズッキーニを定植した。手前はマリーゴールド。近くにジャガイモがいるのでセンチュウ対策。
玉葱が良い感じに育っている。今年、長ネギの苗が失敗。ちょっとナメてた。

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