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スピ考 ②✨

前回スピ考の続き。

風呂から出て、夜気の風に触れながらぼーっとしていたところ、ふと思い付く。

私が出会った、人生を運と勘だけで生きていけているような神の祝福を受けた者は「メッセンジャー」なのではないだろうか。

隣に居た人が、たしかに感と度胸はすごいんだけど、それ以外は本当に白痴というか発達障害というか、簡単にいえばADHDだと言っていた。
本人は、自分に起きることは全て良いことだと思っていると言っていた。なんと私もまったく同じように考えているのだがw

つまり、既にしてその人間としての組成が「空」を孕んでいることに気付く。
「己を空じることで天の力が入る」ということは最近読んだ自然療法の本でも書いてあったし、私も感覚的に理解できる。常日頃、ふとした何かに反応できるようニュートラルな部分を持っていないと創作活動などできはしない。

私が会ったメッセンジャーは、記憶することや論理的に考えること、記録することや合理的に物事を組み立てていくことが苦手というかできないらしい。
しかし、話すときはベラベラベラーっと立板に水の如く話し続ける。なんだかまるで、天から水を注がれ口から流れ出ているように。

歴史上、こうした感覚を論理的かつ実践的に説明しようとしたのがシュタイナーだったのではないだろうか。江戸川ケーシーという人もいるらしい。

「メッセンジャー」の他にはおそらく「預言者」と「救世主」が別にいる。と想定してみる。
メッセンジャーはあくまで天の受け皿だから、彼らから見える景色はいつも輝いているのではないだろうか。

なぜなら彼らには天の加護があり伝えることが使命だからだ。そして人間的に一様に攻撃性が乏しく女性が多いのも、その加護によるため戦う必要がないためだと思われる。
彼らからみれば、戦う人間も陰の言葉を吐く人間も、自らの周囲を自らによって汚している不合理な生き物に見えているに違いない。

そう、前回指摘した歴史上のマイナス面まで捉えられる「預言者」は別に居るのだろう。預言者はもっと深いところに居るに違いない。そう簡単にお目にかかれるものではないと思う。

メッセンジャーは天の言葉を会った者に伝えるのが役割だ。即ち、メッセンジャーに会い、放たれた言葉を受けたその言葉は天からのものだと考えていいだろう。
受け取りし者は「救世主」の可能性もあるが、少なくとも加護は受けている、使命ある者の証だと思うが、これでは自分のことをそう思っているみたいで面映い。そうした話ではないのだが。

おそらく救世主は彼らを媒介としてメッセージを受け取り、強烈なバイタリティーを持って現実世界で行動を起こしていく者のことだろう。
歴史上で振り返った時に浮上してくる者たちのように。

かつては権力者の側には必ずメッセンジャーや預言者が置かれており、生まれた時にその展望を伝えてきたに違いない。
救世主が民衆の中に生まれた反逆者でも、きっとどこかでメッセンジャーや預言者の言に触れ、自身の行先に確信を持ったことだろう。

大事なことはそのメッセンジャーや預言者が本物かどうかだ。
歴史上、本物ではない者が神官を務めてしまった国はきっと滅びているのではないか。
本物でなければ、適当に権力者が喜びそうなことを言っているだけで王宮での悠々自適な生活が享受できるボロい詐欺行為なのだ。

南アフリカにおけるコーサ族とズールー族の戦争だったか、どちらかの巫女が信託により牛を全滅させてしまったために戦争で負けたという歴史を読んだが、好例ではないか。

「目には見えないもの」の扱いは誠に微妙だ。

さて、「預言者」は更にインスピレーションの受け取り方が神がかっているだろうと思う。
おそらく人としての部分の欠落がメッセンジャー以上になっていて、ほぼ完全なる入れ物、空そのものに近い状態ではないだろうか。
もしかすると病院等の施設にいる可能性がある。

そう考えると、我々は貴重な預言者を社会的に異常者と呼び拘束してしまっているかもしれない。
戦前くらいまでなら、そうした人もそうした人なりに共に生きていたから、そうした社会の在り方が、何かしら今の我々から見て健全な日本人や日本社会に見えているのかもしれない。

以上をまとめて考えると、大事なことは「己を空じる」ことなのだ。
中心の「空」に神威を注ぐという作法は、まさにその理に適っている。
松岡正剛の本で読んできた”音連れ”や”さなき”、来訪神そのままの作法ではないか。

私はかねてより「身体は入れ物」、「脳はアンテナ」と考えてきたが、あながち外れていなかったことに今更ながら驚いている。
意訳だが、シュタイナーは「思考はそもそも世界に在って、それを自身にインストールすることだ」と言っていた。私が上記の考えに裏付けを感じた所以である。

【己を空じ、中心に空を抱き、天を受信し、器たる己に落とし込む】
これが目には見えない、もう一つのシステムの根幹なのだ。

さて、そろそろまとめに入ろう。
今回はかなり読む人を選ぶ内容になったと思う。
それに、殆どが自分の想像に依った話だ。意味のない独り言かもしれない。

横尾忠則が言うように、信じる人は信じる、信じない人は信じない。ただそれだけ。という内容である。
人によっては脊髄反射で嫌悪感を抱く者もいるだろう。構わない。

件のメッセンジャーの話を聞いて、世界には普通の人の知らないネットワークで生きている人々がいるのだ!と知ったことが、今回の考察のきっかけである。
おそらく世界は残念ながら人間がいる限り血は流れるだろう。しかしそれでも、何かしら世界を良い方向へ導く力と悪い方向へ導く力が拮抗していて、それらのバランスは波のように、陰に陽にと傾くのだろう。

全てを必然と捉えれば善悪はなく、メッセンジャーは今日も人の世からなるべく邪を取り除くべく、綺麗な言葉で世界を浄化しようと試みているに違いない。
少なくとも、それは天の意思ではあるのだろう。

反対に取り憑かれたように残酷な人間が権力を手にしていくのも事実で、そんな人にもやはり邪なら邪なりの天が憑いているのだろう。

以上、今回はなるべく神や霊という言葉を使わないようにした。「造物主」というのとは観念が違うからだ。
天はもっと大ぶりなものだ。地球や宇宙のあれこれを人間ごときが理解できるように造ったりはしない。
ましてや自身に似せて人間を作ったなど笑止千万。人間こそ神を象った存在だというのは驕りが過ぎる。

霊はやはり幽霊とか守護霊のイメージが強いので、話のイメージを一本化するために、対象を”天”のみとした。
天は天。それ以上でも以下でもない。本質そのものだ。

とはいえ、実際には「祖霊」や「前世」はとても大事なものらしい。なんとなくなら分かるだろう。まさに身近な天もしくは霊としての”ご先祖様”であり、我々の出自は母の子宮をすら遡る。

このように、取り留めもないことを考えすぎて、なんとなくボーっとしているが、一先ず掃除でもしようと思うのは、きっと浄化の一部なんだろうと、ぼんやりと考えている。

今日は御仏壇も綺麗にしてお線香をあげて静かに手を合わせよう。

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