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「投稿する」という才能

note、Instagram、X(旧twitter)をはじめとして、さまざまなSNSを駆使している今の世の中がある。

そして、そこに投稿している人がいる。僕はそれがすごいと思う。特に継続してフォロワー数、インプレッションなどさまざまな数値と戦い、駆使している人がいる。

でも、僕はその根本の「投稿する」行為そのものに才能が隠れているのではないかと思っている。


0から1を作る才能

投稿することは何かしらのコンテンツを作成していることである。意外にも軽く投稿している自撮りや適当なストーリーであっても、意外と気軽ではない。SNSでなかなか投稿できない人からすれば、「投稿するだけで才能がある」と思うことがある。

何かを呟くこと、あることをまとめて発信すること、写真を撮って加工して投稿すること、それぞれ全て何か新たなものを創り出していることになる。確かに、どこかの転載だったりするものもある。しかし、バズらせたり、投稿を伸ばすことはまた別として、メディアを1つ作り上げている要素となっている。

もしかしたら、それをしていることが、あなたの才能なのかもしれない。
そんなことを続けていたら、楽しくてフォロワーが1万人行ったり、何かの投稿がバズっていいねが1000つくだけでも、そこにあなたの才能が隠れているのかもしれない。

0から1を作る才能というのはあなたの強みでアピールできる才能で「能力」なのだ。


1から100にする才能

SNSには意外にもたくさんの能力が必要とされる。

これは、僕自身がSNSのフォロワーを伸ばすことなどを個人的にやったり、頼まれて仕事としてやっていることがあるからわかるのかもしれない。

0から1にする投稿内容の作成をすること自体もすごいのだが、1を100に増やしたり、広げたりする力が必要なこともある。この力を言い換えれば、「共感力」だったり、「個性」だったり、さまざまなワードに置き換えられるかもしれない。あなたが見ている伸びているアカウントはその軸やブランディングと言えばいいのだろうか、そこら辺がしっかりしている。ターゲットを狙い撃ちすることやそこに向けた適切なコンテンツを作成すること、それを磨き上げることはこれまたすごいことなのだ。

これができてしまう人がいる。
よく「ブログを伸ばす方法」とか「フォロワーを増やす方法」という題材の記事があるが,それを読まずしても伸ばせてしまう人は天才とでもいえるかもしれない。しかし、そこらへんを研究して、勉強して、伸ばせた人もそれを実践して成果を上げる能力があるのだ。

全部、才能の塊のはずなのである。


SNSを舐めてはいけない

SNSがすべてといいたいわけではない。別にしなくてもしてもそれは個人の自由だし、だから得することがあるわけでもないかもしれない。
しかし、今現在でも、新たなSNSができたり、ユーザー数が増加しているSNSがある。その中から秀でることは、絶対的な才能でしかない。あなたのSNSがどれだけの努力なのか天性のものなのかはわからないが、その頑張りは悪いことではない。

そして、それは社会人だろうが、女優だろうが、JKだろうが、対等な世界である。ブランディングを競う、個性を個性として発信できるその場所がいかに平等であるか。「かわいい」という競争で勝てないのなら、どう異なれるのか。異なることができるというのは対等ではないのか?


「投稿する」という才能

投稿は一種の表現方法だ。何かを発信することや公開することはリスクが高いと同時に大きい影響力を持つことに繋がる。

音楽においても、絵画においても、書籍においても同じだろう。

あくまでも表現方法なのだ。

インフルエンサーというのは、アーティストと同様に表現をすることが重要になる。この表現にはやっぱり才能がいる。

音楽をしていてもなりが上がれる人が数少ないように、
SNSをしていてもなりが上がれる人も数少ない。

ただ、SNSだけでは成り立たないことが多い。何かの副産物としてSNSにつながることがある。才能というのは,副産物と一緒に作り上げていくものなのだ。その一個を「投稿する」という才能を中心に考えてみてもいいのかもしれない。

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